建築学会会館での千葉学さんのレクチャー「そこにしかない形式」へ。会場に着くとちょうど始まったところ。後輩(といっても学部2年生なので10歳くらい違いがあるが)のKとSがいたので一緒に聴く。
レクチャーは意表を突いて農地の航空写真からスタート。「農地、大地は人間の営みに出会うときにあるかたちに収斂する。そこに形式性がある。そういうことに興味がある。」と切り出す千葉氏。ぶどう畑、茶畑、風力発電のファーム等、農業的な風景が続く。
続いてサンフランシスコの街並が映し出される。東京は尾根—谷をつないで街が出来上がっているが、サンフランシスコは高低差があるのにも関わらずグリッドをベースにしていて、ところどころ急すぎる場所だけグリッドが破綻する様子が語られる。そういう、「その場所が持っている、何らかのキャラクターとかたちが投影されることで生まれる環境をつくり、その場の質を浮かび上がらせたい」と語る千葉氏。
そのまま作品の紹介へ。まずは話題の最新作「日本盲導犬総合センター(2006)」。左右へ蛇行する細い回廊と中央を貫通する太い回廊の周りに、ボリュームが分散配置される。
ここで語られたのは・・・
1.盲導犬の訓練センターというプログラム自体があやふやだったこと
2.スタディのプロセスでだんだんとプログラムを理解してきたこと
3.単純な骨格と建物の関係のルールだけ決まっていればよいと考えたこと
といったことであるが、最後に日光いろは坂?のような左右に蛇行する道路の写真が出てきて「プログラムから発見したオリジナルなかたちだと思っていたけれど山に登っていく道は蛇行していて、むしろもとからあるかたちだと思えた」と形式と場所との関係が語られる。
次は「platform(2006)」。ここでは、最初に以下の2点が考慮されたという。
1.周りに遮るものが無く、広大な空地に囲まれた場所でコンテクストが面白いということ
2.62戸という規模が1個の建築で街をつくるようなスケールを持っていること
ここでもまた、様々なリクエストに応じながら相互に調整を繰り返されたのだが、そのありようが都市のあり方に似ていると感じたのだとか。「『カワとアンコ』という強い構造は、プログラムから導かれたのだけれども、知らず知らずのうちに都市的な構造が投影されていたのかな」と振り返る。
このほか、御殿山、恵比寿、八ヶ岳、七里ケ浜のプロジェクト、Iプロジェクトなどが紹介される。
終盤、「本日のまとめ」モードになり出てきたのはサヴォア邸のスライド。この住宅を「大地から切り離されていた」とし、5原則を「どこに行っても成り立つ」と批判する千葉氏。さらにミースのナショナルギャラリーを映しながら「単に歪めたりとか、それだけでは新しい様式の話でしかない(このへんは藤本壮介批判?)」とバサーリ。「モダニズムは普遍性を指向する。切り離された『場所』の問題を取り戻すことでしか次はないのかなあと思っています。」と主張する。
急に話のスケールがデカくなり、照れがあるのか言葉のなかに「まあ」の連発率が上がる。
最後に「盲導犬総合センター」を見学した乾久美子さんが「この建築は幼稚園にもなりますね」と感想を述べたことを振り返り、「プログラムなり、環境なりを想定してつくった形式が何にでも使える形式になっている」ことの可能性を再確認し、レクチャー終了。
新作のスライドにもいろいろ発見はあったが、この日出た質疑応答での千葉氏の受け答え方もまた、印象的であった。質問自体はよくわからなかったのだが、事例を出して明快に応える千葉氏の話を聞いていると、「ああ、そういう議論だったのか」と理解が進む。
でもよく考えると、千葉氏の建築自体が、そういうコミュニケーションかも知れないと思った。環境にしろ、プログラムにしろ、質問されている内容はおろか、質問自体が的確になされているのかすらよくわからない状況にあって、建築の「形式」を通じて、「問い」と「答え」の構造そのものを浮かび上がらせていく。後からみると、あたかもそこに明確な「問い」があって明快に「答えた」かのようにみえる。
帰り道、後輩K(19歳)は「『ドラクエをハードモードで完クリ!』って感じですね。」と言っていたが(意味はよくわからない)、確かに千葉建築は、あやふやな状況にゲーム性を見いだしていく、ゲーム・プログラミング的な建築と言えるのかも知れない。
fujimura