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4月前半を振り返り、「『表層』と『深層』」を考える

3日、事務所に新しいオープンデスク参加者が集合。HPで告知した結果、今期は各大学から8名の応募があった。この日は新3年生が中心でとりあえず4名。

夜、中村竜治事務所の花見へ。工芸品のような模型がきれいに並んでいる。若手建築家が集まってたわいもない話。アットホームなパーティで心温まる。

5日、20:00事務所で南後君と柄沢君と打ち合わせ。フリーペーパーでの議論をきっかけに、UMATという東大の情報学環の国際会議に参加しよう、ということになり、企画の詰め。動いているいくつかの企画を連動させていく。

8日、朝6:30研究室に集合。車に分乗して仙台のアトリエワンの新作「ノラハウス」へ。凸凹の床と不定形の屋根を極細の柱が繋ぐ構成。玄関にしてはやや広く、リビングにしてはやや狭い2400X3600の空間が単位となり、レベル差を持ってランドスケープ的に繋がる。大きな縁側があって、前面道路や畑と緩やかに繋がる。いろいろな場所があるし、回遊できるし、パーティとかやったらとても楽しそう。書斎とかDJブースっぽいし。

外観がとても異様。アニハウスとかも異様だったのだろうけど、たぶん今までで一番異様な気がする。「アニ」は空間図式的だったけど、「ノラ」はとても物語図式的だ。

その後久しぶりのメディアテーク。絨毯や家具等、建物はだいぶくたびれていたが、空間は依然として新しい。以前は気がつかなかったが、今回は7階の素材やディテールの生々しい感じがとても目についた。

新幹線で帰京し、19時から建築道場。トラフのレクチャーとトリコの佐伯さんと岡田栄造さんの対談を聞く。アイディアをリズミカルに繰り出す感じはトラフも佐伯さんも共通している。

12、13日は打ち合わせで飛び回る1日。夜は吉岡賞記念講演会。中山さんのレクチャーはいつもながらポエトリー・リーディングのよう。たくさんの場面のスケッチをFAXでスタッフに送りつけて、送り続けているうちにそれらのスケッチがひとつの空間をイメージしていることに気がついてそれを模型にした、という設計プロセスの話は面白かった。

昔、アメリカの大学を回っていたときにそういう設計をやっている学生がいたことを思い出す。心の中の風景を描き続け、それを精神分析みたいに自己分析し、形式化していくという主観と客観が共存するようなプロセスである。

今のところ、デザイナーの主観的な世界観を強固に構築しておきながらユーザーとの客観的な距離を語る、というパラドックスが中山さんの魅力の核だと思う。聞いているとなんとなくしんみりとしてしまうのだが、同時に冷静に突っ込みを入れたくなる感じ。審査員の入江さんはそこのところをはっきりと突いていた。

14日、12:30ギャラ間のアトリエワン展で人形劇を見る。大盛況。塚本研の後輩たちも出演しているのでハラハラしながら見ていたが、みんな楽しそうだった。会場で坂本研の後輩達に会ったのでそのままプリズミックへ誘導。展示を見せてちょっと議論。事務所に戻り、その後19:00OZONEの大成優子展オープニング。建築のイメージを伝えるにはちょっと概念的すぎる気もするが、意表を突いた感じが大成さんらしい。その後事務所にてToY3の定例ミーティング。3期もいいメンバーが揃ったのでは。

15日、13:00埼玉でロータリーの地区大会。「新世代プログラム」で毎年恒例のご挨拶。打ち合わせを挟んで都内に戻り16:00プリズミック。五十嵐淳さんをご案内。せっかく来て頂いたから、と必死に説明をしていると後ろから「藤村さんですか」と声を掛けられた。広島の谷尻誠さんだった。初めてお話ししたが、事務所の話等いろいろ勉強になった。近い世代の建築家の方々に展示を見て頂けるのはとても光栄なことである。

16日、15:00授業。17:00塚本研でMDR飯尾さんと打ち合わせ、round about journalを気に入って下さったとのことでとても嬉しい。編集者の方々にこちらの議論のイメージをお伝えするためにも、フリーペーパーは役に立っているのかも知れない。そのまま18:00南後君、柄沢君と打ち合わせ、夕食を挟み20:00第1回全体ゼミ。ロッシ、ベンチューリ、コールハースという建築軸と、ルフェーブル、ボードリヤール、ハーヴェイを思想軸を繋いで読むという企画。南後君、柄沢君、唯島君に参加してもらい、7月のUMATまで毎週続ける予定。盛り上がりそうな予感。

17日はビジネスモードで打ち合わせに回る。

18日、13:00つかもと師をプリズミックへご案内。忙しそうだからためらっていたが、予定に組み込んでもらえた。先生に見てもらえるのはやはり嬉しい。帰り際に「個展といっても、同級生とかなかなか来てくれないもんですね。」とぼやいたら、「それでも無理矢理連れて来るんだよ。」とアドバイスされた。

その後塚本研の後輩連中とプリズミックで合流。ほとんどのメンバーはオープニングに来てくれたのだが、当日があまりに混みすぎてよく見てもらえなかったので無理矢理機会をつくって改めて全員に来てもらった。展示を解説して質問を受け、少し議論。「見解が変わった」という人もいるし、相変わらずそっけない人もいるが、身内とはいつでもそういう存在であって、とにかく見せることが大事。

この日は「街歩きゼミ」という企画で、国立新美術館、ミッドタウンを経由してギャラリー間をみるという企画。21_21で安藤展に寄ったら、安藤さんがいて久しぶりに生で話を聞く。会場に入るなり「安藤先生のご希望で学生の方は前に来て下さい」とアナウンスがあり、学生が前方に集められ、瞬時に熱気のようなものが立ち込める。

のっけから「今の学生はだらしがない。漢字も読めない。対話もできない。うちの事務所の若い連中も対話をしない。」と安藤節全開。「日本人はもっと美術館とか映画館とか行った方がいい。そういうことに積極的なのは女性。男性は家でゴロゴロしている。だからこのギャラリーを作りました」と(無理矢理)締めるころにはいつの間にか大きな人だかりができていた。安藤さんの話は論理的ではなく、建築家というよりは政治家的で、その意味でとても社会的だ。

安藤さんの作品集にはよくパステルカラーの色鉛筆のスケッチが出て来るが、建築を学ぶまではあれが表現だということに気がつかず、本当にああやって設計しているのだと思っていた。長年にわたってそういう「フリーハンドで色鉛筆を走らせ、スケッチを繰り返す」みたいな建築家のイメージを構築して来た安藤さんが、スタディ模型とか施工図を並べることによって大衆の「建築のイメージ」を変えようとする試みは面白い。

ただ、安藤さんの見せるプロセスはあくまで断片であり、少々演劇的だ。あれを見て、設計のプロセスが具体的にイメージできるわけではない。スタートからゴールまで全部見せる()ならば、建築の設計がもっとオープンソース的になり、建築家のイメージも変わるのではないか。

そんなことを考えながらギャラリー間に移動し、「人形劇の家」でゼミ。後輩Kの司会でミッドタウンについて議論。ちょっと前に全力ゼミの連中とミッドタウン・ゼミをやって仕込んでいたので、いろいろ思うところはあった。

ミッドタウンで思ったのは、隈研吾のアルミに桐の突き板を貼った15mmのルーバー(サントリーミュージアム)にしろ、内藤廣の穴開きブロック(虎屋)にしろ、杉本貴志の枕木(MUJI)にしろ、アトリエ建築家らの試みが総じて「ダイノック・シートだらけのミッドタウンにおいて、いかに素材感を導入するか」という一点に集中しているということ。

かつてレム・コールハースは「錯乱のニューヨーク」で、アイコン(表層)としてのスカイスクレーパーと、アーキテクチャー(深層)としてのマンハッタン・グリッドの対立を指摘した。ミッドタウンを見る限り、その対立はますますクリティカルになっているように思える。つまりここには、素材という「表層」を決定する建築家アトリエ群と、全体のボリュームの配置や構造スパンという「深層」を決定するSOMと日建設計のような建築家組織群が対立的に共存しているのである。

これまで建築の世界は「住宅」と「公共(施設)」の差を問題にしてきた。「住宅作家」と「(公共)建築家」という2種類の建築家がいて、「住宅は芸術である」とか、「住宅に批評性はない」といった議論が繰り返されてきた。

今問題にするべきは「住宅」と「公共」の対立とか、「小さい」と「大きい」の対立というよりも、「表層」と「深層」の対立なのではないかと思う。演劇的なスピーチで政治家のように振る舞い、組織事務所すらコントロールしてしまう安藤さんも、圧倒的な仕事量で表層をルーバーで覆い尽くす隈さんも、美術や思想の枠組みを援用しつつ「実践」を標榜するアトリエワンも、それぞれ異なるアプローチで都市の「表層」から「深層」へ介入しようとしているようにみえる。

今日の建築が持ちうる社会的な批評性を考えるならば、六本木は熱い。

fujimura

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2007年05月03日 18:00に投稿されたエントリーのページです。

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