いろいろレビュー
いろいろみたので、順番にレビューします。
1.『SPACE FOR YOUR FUTURE』展(@東京都現代美術館)
石上さんの「四角いふうせん」を見に。大きさと、斜めのラインが効いていますね。上を見上げてあんぐりしていると「動かしてみますか」とスタッフの方に声を掛けられる。動かしてみると重さが実感でき、面白かったです。
「100 ERIKAS」(タナカノリユキ)は意外とインパクトあり。芸能と芸術の混在という日本独特の社会的なコンテクストと沢尻バッシング等、諸々のタイミングを考えるとかなりの問題作なのではと思うが、マスコミレベルではあまり話題になっていないところに物足りなさを感じる。
2.『DEROLL Commissions Series 1: box』(@ars gallery)
通称「箱」展。岡田栄造さんが石上純也、中村竜治、中山英之、永山祐子、山口誠の5人に「箱」をオーダーするという企画。中山さんの作品は少々説明的でやや意外だったが、ほかの4人はなるほどと思わせる「作風」のようなものを感じさせられます。
展覧会をみて、dezain.netを毎日更新していて、研究者で、教育者で、かつDEROLLというブランドを構築するという岡田さんという人物に改めて興味を持ちました。
3.『六本木クロッシング2007:未来への躍動』展(@森美術館)
1970年代以降生まれの作家が多数取り上げられていて、やはり上の世代よりも同世代の作家の作品のほうが面白いと感じる。コンテクストを共有するということはそういうことか。インスタレーションでは名和晃平と鬼頭健吾の作品が見れてよかった。
うなったのは佐藤雅彦+桐山孝司の「計算の庭」。前評判通り、すごい面白い。メディアアートって「感覚の可視化」みたいな作品ばかり、という先入観があったが、これには感動。
4.『ヴィヴィッド・テクノロジー 建築を触発する構造デザイン』(小野暁彦・門脇哲也・乾陽亮 編著 学芸出版社)
大阪で活発かつ継続的に展開されているレクチャーシリーズ「アーキフォーラム」発の単行本。構造をテーマにした昨年度のシリーズをベースにまとめられたもので、恊働する大野さん(オーノJAPAN)のレクチャーではK-PROJECTなど私のプロジェクトも取り上げられて頂いています(>)。
作品をつくるようになって、雑誌に取り上げて頂くようになってから、一番難しかったのは自分なりのストーリーをつくること。そのストーリーが単なる作品解説を超えて、マニフェストに繋がったり、建築をつくる根拠になったりしますよね。
その意味で建築家は日常的にあらゆるメディアでストーリー作りのレベルを問われているわけですが、構造家のストーリーテーリングはとても新鮮。解説レベルでは雑誌などで読む機会も多いものの、作家としてどういうストーリーを持っているのかは興味があって、一気に読みました。結局のところ、「で、何がやりたいの?」と問われるのは意匠も構造も同じですね。
5.『SD2007』(鹿島出版会)
第1特集はSDレビュー2007、途中に原広司×伊東豊雄対談を挿み、第2特集は「住宅でつくる都市 若手建築家たちの、都市へのアプローチを探る」(>)。
原×伊東対談の最後は学生批判。伊東さんが「今の建築学科を出てくる学生、特に日本の学生は何の役にも立たないような気がします(笑)。」と煽り、原さんが「学生たちがダメだというのは幾何学を知らないんですよ」とたたみかける。
それだけ聞くとただの世代論にも聞こえるが、批判の骨子はかなり具体的。伊東さんはアルゴリズムを理解できないと可能性が無い、といい、原さんは「美しいものをつくろう」という美学的な態度ではITに勝てない、といい、両者ともコンピュータ的思考の有無がデザイナーとしての価値を分けつつあるといいきる。それでも「いや、それでもオレは生き残る!」と反論したいあなたには『10+1』48号をおススメします(笑)。
第2特集「住宅でつくる都市」は塚本さんの監修。巻頭の「ヴォイド・メタボリズム試論」はなかなか迫力がああります。60年代の丹下メタボリズムを「コア・メタボリズム」と再定義し、現代の東京の都市空間を「ヴォイド・メタボリズム」と対比させ、建築類型と都市形態の有機的関係(タイポ・モルフォロジー)を主張しています。
若手建築家と塚本さんの対談はほとんど説教部屋。若手建築家から何かを引き出すというよりは持論を展開する場面が多い。
ところで、この特集のタイトル「住宅でつくる都市」には違和感がある。「ヴォイド・メタボリズム」の骨子は建築類型と都市形態の関係であるから、ふつうに考えれば「建築でつくる都市」といったほうが広がりが出るのではないかと思うが、「住宅」というタームに塚本さんのこだわりがあるようだ。
6.『REALIZE 立脚中国展開世界 迫慶一郎/松原弘典』(@ギャラリー間)
中国ベースで活躍される迫さんと松原さんの展示(>)。3階の迫さんの作品群が示すのは、近代以降の権力が半自動的に作動する「工学主義」のコンテクストそのもの。住宅はなく、プロジェクトのほとんどが不動産とインテリアで、中国的コンテクストにおいても「住宅」が批評性を失っているということがわかります。
他方、4階の松原さんの展示を見ていると、レンガを纏った「批判的地域主義」的作品と、カーテンウォールを纏った「批判的工学主義」的作品が対立的、あるいは乖離的に共存しており、工学主義と地域主義の対立する状況が現在の中国なのだろうと理解できますね。今目立つのは前者だが、2008年の北京オリンピック以降に復活してくるのは後者ではないか。その意味で松原さんは「2008年以降」の中国も同時に捉えようとしているのかも知れない。
レセプションのスピーチでは山本理顕さんが迫さんの展示を評して「迫ワールド」と批判。迫さんの答えは「僕なりに場所のことを考えています」と迫さんらしく?直球だったが、「ハーヴェイ的『非場所』の実践だ」と反論するか、少なくとも「ワールドを展開して何が悪い」と開き直るべきだったのではないかと。
ところで、ここで提示された「『工学主義』と『地域主義』のブリッジ」というテーマは、中国という特殊なコンテクストでの特殊な問題であるとタカをくくらない方がいいと思った。冷戦以降の全世界で同時進行するグローバリゼーションに対して建築に何ができるか、という命題は、むしろ現在の日本でこそ問われるべきで、その証拠に、「迫ワールド」は金沢の郊外でも展開されている(ex.「金沢ビーンズ」)。
その意味で、「つくれる」ということを「中国的状況」だと読み替える迫さんの論旨は「失われた10年」の気分を引きずっているようで違和感を感じる。ここ数年の日本の状況というのは、彼らが中国で活動を開始した2000年-01年のそれとは大きく変わり始めている。日本でも「つくれる」人はつくり始めているし、工学化する社会状況との対峙という建築家のテーマには変わりがない。
そのことを自覚させられるという意味で、単なる作品展を超えて時代的な批評性のある展覧会でした。12日のレクチャーに行けなくなってしまったのが残念!
fujimura