RAJの発送作業続く。静岡Oさん、新潟Sさん、仙台Mさん、京都Wさん、鹿児島Tさん。そろそろ在庫が少なくなって来た(あと400部くらい)ので、欲しい方はお早めに。
15日、塚本研の後輩Nの壮行会@自由が丘。2次会ではカラオケに突入。マイクを話さない留学生たち。4時頃解散しマックで始発待ち、的な。
16日、そのまま一睡もせず事務所へ。新建築社へ書評原稿を送ったあと、新幹線で仙台へ。宮城大学の卒業設計自主レビュー@せんだいメディアテーク。中田千彦さん、岩下暢男さん、本江正茂さんと一緒に12人の学生の作品を講評。
講評会に呼んで頂いた時は意図して分析的に話すようにしている。分析的な講評が一番フェアだと思うからだ。自分なりにメッセージを込めたつもりだが、どれだけの学生に伝わっただろうか。
面白かったのは、「宮城らしさ」をテーマにしている人が皆無だったこと。以前、新潟大学の学外講評会に参加した時は新潟のローカリティに関わる提案が多かったので、地方の大学とはそういう空気なのかと思い込んでいた。他の大学ではどうなのだろう。
もっとも宮城大学の場合、「日本一決定戦」が近くで開催されていて、運営スタッフをやっている学生も多いそうだから、卒業設計のトレンドを良くも悪くも学習してしまっているのかも知れない。その意味では「日本一」にあまり接続していない東工大の方がむしろローカルっぽい。
ところで卒業設計のトレンドとは、一言でいえば「個人の主観を根拠にした形式主義」。機能はもちろん、歴史も伝統もテーマにはせず、個人の感覚を形式化し、オーバードライブさせる。
そういう趣向に「社会性がない」と批判するのは容易だが(そして大半の大学ではそういう講評が行なわれているのだろうが)、ここで必要なのはむしろ「まだ個人の感覚の掘り下げが足りない」と問いかけることなのではないかと思う。現代の工学的状況においてはコンビニで立ち読みをし、自動車に乗り、ショッピングモールの売り場で家電を買って・・・という日常の身体感覚を建築的に掘り下げるほうがよっぽど社会性があるのだが、そういうアプローチの作品にはなかなかお目にかからない。おそらくそれを評価し、議論する枠組みが大学の講評会にはないのだろう。
結果、大学では地域性や公共性を持ち出して適当に繕い、学外では「つくりたいからつくりました」とトートロジカルに語る、という議論のショートが反復される。このままでいいのか。
17日、11:00住宅施主打ち合わせ@事務所。引き続き13:00台湾の雑誌『Dialogue』誌の取材打ち合わせ。『Dialogue』は文字通り「話し言葉」を重視した媒体で、RAJのコンセプトとも通じるものがある。LRAJ の記事は早速『新建築』『GA』『日経アーキ』に掲載して頂いたが、結果的にどこよりも早かったのがこの『Dialogue』だった。しかも次号では8ページの記事を組んでもらえることになった。
レイアウトも出来そうとのことなので、vol.4のようなジャック形式で、vol.7として対応してみたい。RAJの活動が日本の地方で知られていくように、中国語圏、英語圏でも広まっていくのは面白い。
17:00移動し、石上純也さんのKAIT工房の内覧会へ。工科大学的な無表情な裏庭に、ものすごいオーラを発していた。石上さんらしい、偏った個人的な身体感覚が徹底的に追及され、抽象化された形式主義的な建築。まさに卒業設計のトレンドとも重なる手法である。
構造の現れ方など、建築的な細部もあるのだが、その扱い方はやはり建築的というよりは美術的な思考を感じる。緩めなスケールと均質な照明計画、鉄骨平屋という構造、透明なファサードなどがあいまって、スーパーマーケットのような、とても郊外的な空間性を感じて、そこに親近感を感じたりもした。あと、経験としては意外とスタティック。極端な話、写真1枚で伝わってしまう。『新建築』なら4ページで紹介できてしまうような単純明快さがある。
そこで会った人と感想を話し合うがありきたりな感想しか出て来ない。これについて何か書くとその人の講評力がバレるような感覚を覚える。「中と外が曖昧」とか、「機能が曖昧」とか書いたら負け、そんな建築だ。
ともあれ、きっと様々な媒体に載って世界を駆け巡る記念碑的作品となるだろう。海外ではどういう評価がなされるのだろうか。
20:00渋谷に戻り、LRAJのメンバーで打ち上げ@事務所近くの飲み屋。久しぶりに全員揃った。振り返って余韻を噛み締めたり、今後の課題について話し合ったりするはずが、結局(いつもの)茶飲み話。日曜の夜は開いている店も少なく、ファミレスに移動して高校生のようにダベる。この放課後感、部活感が長続きさせる秘訣だろうか。でもなんとなく次号のテーマや攻め方は見えて来た。あとは仕掛けるタイミングの問題だ。
fujimura