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2008年03月 アーカイブ

2008年03月09日

研究は現実を上回る

『新建築』3月号で南後由和+ドミニク・チェンとの鼎談、『GA JAPAN』3+4月号でインタビューが掲載されました。両者とも、LRAJ開催後すぐの企画でした。ありがとうございます。

その後の反応をいくつか頂きました。建報社のサイト「KENCHIKU」やぽむ日記、nordicmanさんのブログなど。

ぽむ桂さんの「コイツらこそ真の暴走族」「警察(建築メディア一般)を巻き切って東を制した感あり」という表現は面白いですね。確かにチームとしての秩序感、スピード感はありました。nordicmanさんは同世代の編集者の方のようですが、中村拓志さんのブックショップと私たちのイベントを並べて「手の内をみたいという欲望」として論じてくださっています。

「ライブ編集」というコンセプトの一番の狙いは編集者や読者に対する問いかけであったのは確か。単なるプロセスの透明化ならそば屋でもパン屋でもやっていますしね。

フリーペーパー「RAJ vol.3」の配布に協力して下さった方の反応もちらほら。広島の小川文象さんida-10さんなど。

ida-10さんは「昨年春に青山のプリズミックギャラリーで藤村展を見た際、藤村さんのいう『超線形プロセス』にはそれほど興味を惹かれなかったが、今回やっと意図するところが分かったように思う」と率直な感想を書いてくれています。創作の「意味」というのは1度ではなかなか伝わらないもの。2度目、3度目でようやく伝わることもありますね。

そのほか、五十嵐太郎さんが迫慶一郎さんとの対談で「批判的工学主義」について言及して下さっています。『建築雑誌』についてのインタビューでも私たちの活動について触れて下さっています。

イベントも面白いですが、事後的にメディア上でこうした反応を頂くのも面白いですね。

身近なところですが、LRAJを振り返った建築あそび@竹屋の詳細が松島潤平の日記伊庭野大輔のブログ藤井亮介のサイトにレポートされています。

2日、スペインの雑誌『PASAJES』の取材でK-PROJECTの現場へ。撮影に立ち会う。ちょうど鉄骨工事の目処がついたところで、建築のシンボリックなシルエットが街並のなかに出現している。想像以上に迫力があり、若いスペイン人写真家も興奮気味に大量に撮影していった。仕上がりが楽しみ。

その後合同講評会@安田講堂へ。1000人以上の学生が集まっていることに驚く。東浩紀は「この道路いつもは混むんですけど、本当にこんなもの計画して大丈夫なんですか」などと市民目線のコメント。最後の「僕は大きいスケールと小さいスケールの衝突に興味がある」というコメントは講評の内容としてとても的を得ていたと感じた。

グランプリは芸大の学生。東工大で得点したのは1人だけで全体に東大が強かった。4月から藤村事務所に来る予定のI君は内藤賞。今年はインフラがトレンドのようだ。個人的には雑居ビルをテーマにした難波研の学生の案は面白いと思った。

賞については、学校ごとの傾向や個人の実力というのもあるが、議論を行わず投票のみで順位をつけるというのであれば、結局一番大きいのは審査員の好みとその場の印象の問題となる。講評会なのだから、審査員どうしが議論を行い、好みや当初の印象を覆して新しい価値を発見し、構築するプロセスを見せなければ、単なるゲストのマイクパフォーマンスになってしまわないか。

事務所に戻りワソサソこと王銘顕さんとチームラウンドアバウトのメンバー集結。台湾の雑誌『dialogue』に掲載される予定の座談会を収録。6-10ページが予定されているので、『建築雑誌』のようにジャック型の記事にして、台湾の同世代の建築家に議論を働きかけるような内容にする予定。

6日、「トウキョウ・コレクション」の公開審査。全国から集まった大学院生たちが修士論文の発表を行い、八束はじめさんのモデレーションのもと、馬場正尊さん、佐藤淳さんと僕がコメントをするという内容。大きなゼミのよう。

この日の議論のうちで最も面白かったのは「最適化」というキーワード。佐藤淳さんが「コンピューターを使うと何がいいと思いますか」という質問が面白かった。佐藤さん自身がよく聞かれることなのだという。

自然科学系の論文においては再現可能性の担保が原理ではあるが、常に主観性と客観性の緊張関係が求められる。そのあたりがアルゴリズミックデザインにおける最適化の問題に似ている。僕の場合は「論文と同じように設計を行う」という発想が「超線形設計プロセス論」のベースになっているのだが、根底には主観と客観の緊張関係という主題が常にある。

やや気になったのは「現実は研究を上回っている」という割り切りに似た共通認識のようなもの。現実から抽出したモデルはモデルにすぎず、モデルそのものには意味がないという。僕はむしろモデルは現実そのものであり、モデルによって初めて現実を変えることができると考えるべきだと思う。「研究(や設計)は現実を上回る」と考えなければ、研究と実践を繋げられるはずもないではないか。

この日、新潟大のKや福岡大のMなど、以前卒業設計の講評会などで会い、印象に残っていた連中と久しぶりに再会できたのは楽しかった。バイタリティのある人物は、お互い特に連絡を取っていなくても自然と視界に入ってくるから不思議である。就職を控え緊張していることと思うが、それぞれの道で頑張ってほしいと思う。頑張っていれば、いずれまたすぐ再会するだろう。
fujimura

2008年03月10日

身体の発見 卒業設計日本一決定戦2008

3月9日、昨年に引き続き、卒業設計日本一決定戦に行ってきた(取材です)。まずは、模型フロアを一気に見る。東は明大と工学院が、西は近畿大、京大の作品が目立ったように思う。前週の3大学公開講評会でグランプリだった芸大生の作品は100選にも選ばれていない。評価は生ものだ。京都6大展で気になっていた、ニューヨークを敷地とした近畿大の学生の作品が100選に残っていた。ぜひファイナルでプレゼンを聞いてみたい(が結局12位で落選。残念)。途中、明大田路研の斉藤さんらに出会う。g86からも声をかけられる。

結果は関西勢の圧勝。一位は6大展でも最優秀だった「神楽岡保育園」。激ウマのデッサンと、作り込まれた模型。よどみないプレゼン。今年は一位の選出に時間がかかったが、それでも対抗馬が見あたらない完成度だったと言える。日本三も京大。学内ではまったく評価されなかったらしいが、仙台では三位。注目は二位の作品。大阪大学の女子学生だ。内容は、作者の自邸。プレゼンは、親しい人に宛てた手紙を読むという異例の形式。しかし伊東さんも「ぼーっと聞いてしまった」と言うほどに聴衆を魅了する内容。五十嵐さんは「500の作品を見て、この作者にだけは会いたいと思った」とラブコール。質疑応答では「私は自分に正直なことしかしたくなかった」と繰り返し主張する彼女に、私性と社会性という、ここのところ問題化されがちな構図がぴたりと当てはまり、激論に発展。伊東さんとこの学生が応酬するすさまじいマイクパフォーマンス。

個人的には、特別賞に選ばれた東北芸工大の学生の作品が心に残る。ある敷地において、過去そこにあった身体の所作(具体的には農家のおばあちゃんの動き)を読み込んで土地にトレースし、場所の記憶を建築化するという案。私と社会の両方をまたぐ身体の問題に真っ正面から取り組んだ作品に、感激した。

社会性について、伊東さんがある作品にこんな批判を寄せていた。曰く、その作品は一見社会性を持っているように見せて、実はまったく社会に開かれていない、と。ぼくは、そもそもなぜ10選に選ばれたのかよくわからなかった。そこに、設計した学生たちの身体が見えなかったからだ。説明を聞けば聞くほど、問題意識の「本気度」が疑わしく見える。案にどう取り組み、何をつかんだのかいっこうに伝わってこない。要するに、主体が見えない。主体性のない議論は机上の空論だ。

ふと、さいきん話題になりがちな社会性と私性の乖離について考えた。審査の過程でも、たとえば貝島さんは再三に渡り、社会を忘れたアプローチが卒計を跋扈する状況(さらに、今年の結果が来年に与える影響)を危惧していた。まったく正論だ。でも、社会性と私性は、本当にそんな簡単に対置されるものなんだろうか。日本二の案は、「私」の問題だけを扱っていたようには思えなかった。「私だけが扱える問題」ではあったが、「私の問題」ではなかった。「私から始める問題」ではあったが、その問いかけは共有可能だったと思う。うまく説明できないけど。

逆に言えば、たとえば石上さんや大西+百田さんの案が支持を得るのは純粋な私性ゆえだろうか? 答えはおそらくNOだ。彼、彼女たちの建築を下支えているのは、無垢な私性でも強引な作家性でもなく、身体を介在させた強靱な主体性なのではないか。しばらく考えてみたい。

それにしても、今年は審査員の布陣がすばらしかった。特に新谷さんのコメントと判断の明晰さは印象深い(ダンディーだし)。だからこそ、東大からの出品、それも3大学公開講評会で個人賞をとった作品が軒並み出展していなかったのは残念だった。内藤賞を獲得した案など、仙台で見てみたかった。各地でさまざまな卒計イベントが乱立し、結果的に各大学のカラー・持ち味がようやくはっきりしてきた感がある。だからこそ東大生には、3大公開講評会で得られる「学外の評価」をバネに、日本一決定戦に乗り込んでほしいと思った。事実、第一回第二回は東大が勝っている。一観客として、関西・地方勢、女子勢が熟してきた今こそ、ハードコアな頂上対決を見てみたいと思う。

さて、今年の結果が来年の卒業設計に与える影響は大きいだろう。しかし、今年やられ評価されたことを、来年同じようにやっても仕方がない。どんな作品を見ることができるのだろう?
yamasaki



2008年03月14日

建築の教育、設計の教育

それにしても、我ながら、前回の日記は最後のところでずいぶん身勝手なことを書いてしまった気がします。お前はただのマニアな観客だろと、胸ぐらつかんで言ってやりたいです。

とはいえ、今仕事で建築教育(ただし大学)の特集の一部に関わっているので、どうしてもいろいろと考えてしまう。先週も取材で、3月6日に難波和彦さんに会いに東大に、7日には石山修武さんに会いに早稲田に行った。この二大学では、調布市のコンペで学部生が競作したり、合同ゼミを計画したりと、大学間の垣根を越えた設計教育に取り組んでいる。だから大学ごとのキャラの違いがきっと表れるに違いないと思ったからだ。

難波さんのお話で気づかされたのは、東大の公開講評会が教員主導であったこと。考えてみれば講評会なんだから、教員主導であるのは当たり前なのだけど。とにかく、東大以外の、しかし一流どころによる評価軸を持ち込むことで学内の評価を相対化し(最優秀賞以外がすべて個人賞である点も、評価軸の多様性を担保していると思う)、教員も学生もそのずれを目の当たりにできるという、きわめて教育的配慮に満ちたイベントだ。言い換えれば、大学の設計教育の一環だと言える。しかも学生はスーツを着て、安田講堂という徹底的に祝祭化された空間でプレゼンテーションを行う。いち社会人を育てるための設計教育とでも言うべきか。

一方、石山さんのお話は、とても射程範囲が広い、飛距離の長いものだった。「海外に出ろ」ということと、建築以外の余計な知識(教養)を大事にしろということ。海外に出て戻ってこないぐらいで良いんだ。それこそ国際化だよね?とか。また女性など、社会的なマイノリティが爆発する瞬間に期待しているようだった。建築ガールズが、カワイイとは別の視角から捉えられていた。一方で、早稲田の学生の、学生時代における「旬」など、ほろ苦い話も伺う。いずれにしても、建築は教養の束だという主旨の発言を聞けたのは良かった。

ちなみに、20代の頃学外で最初に講義したのが京大だったそうで、「大教室なのに学生が5人しかおらず、コンチクショーと思ったよ(笑)」という。でもそれ、たぶん、たぶんていうか間違いなく、石山さんが京大生に人気なかったとかでは決してなくて、先生1人に学生5人って京大的には普通のできごとだったんじゃないか(今はそんなことないと思うけど)。数年前に研究室(教育)で川本三郎さんの集中講義を受けたときも、確か受講生10人ぐらいだったなと思い出す。

二つの大学と、8日の修士設計展、9日の卒計展を見て思うのは、建築の教育と設計の教育が、別物として考えられている(あるいはねじれて繋がっている)のではないかということだ。しかも、在学中に受ける設計教育はある意味でどんどん標準化され、逆にその分(その分?)、多様な評価を受ける機会が積極的に設けられている。各地の公開講評会や、何よりせんだいをはじめとする数々の卒計甲子園がある。京都の合同展は教員ノータッチだし、せんだいも学生会議がリードしているから、東大の公開講評会や、全国修士設計展の状況とは違う。つまり、大会自体もさまざまな評価軸を体現している。み江さんは、「わかものは言葉との距離感に悩んでいるんじゃないか」と指摘する。うまく説明できないけど、どこかが繋がっているように思う。

12日はほぼ6年ぶりに大川信行さんにお会いして、またいろいろと示唆を受けた。で、要求工学という分野をはじめて知る。ほんとうに、知らないことがたくさんある。そこに、2月23日のアーキフォーラムでお話しいただいた宮沢章夫さんの議論と、3月5日に見たチェルフィッチュの舞台がふいに重なってくる。そういえば、アーキフォーラムの二次会では、宮沢さんと延々スタディについて議論していたのだった。また考える。

yamasaki

2008年03月15日

「好きな場所に好きなものを提案する」というトートロジーについて

7日、13:30スペインの雑誌PASAJESの取材。英語インタビュー。日本人の若手建築家を取り上げるとかで、藤本、平田、NAP、石上、藤村という組み合わせだそう。

8日、13:30住宅打ち合わせ@事務所。お施主様に了解を得て、プランの大枠固まる。こんな感じだろうか。

10日、13:30NHKディレクターのKさん来社。このブログを読んで下さったそう。事務所のこと等話す。

11日、11:00打ち合わせ@エクスナレッジ社。昨年から定例的に打ち合わせてきたが、おおよその企画方針固まる。15:00銀座プロジェクト定例。先日、プレスリリースも出て情報が解禁となった。今回は藤村事務所が総合デザイン監修という立場でNTTファシリティーズと恊働させて頂いており、小規模ながらミッドタウン的構図。今後、設計のスピードと規模を上げていくためにはこうした関わり方に慣れていく必要があるのは間違いない。

12日、11:00g86のメンバー来社。今度は銀座でラジオをやるらしい。次々と企画を打ってノリにノっている。最近ちょっとオーラも出ている。

13日、10:30実施設計中の某プロジェクトの構造関係の問題で打ち合わせ@某社。申請関係の苦労話はよく聞くが、あまり巻き込まれたくないものだ。関係者が多いと調整に時間を取られてしまうのは無駄ではあるが仕方あるまい。組織としての体力を鍛えるしかない。

21:00塚本研設立10周年記念の同窓会打ち合わせ@事務所そばの居酒屋。我々の代(3期生)が全体幹事を担当し、総勢50名近くが集まる予定。同期で集まって打ち合わせしていると懐かしい。修士課程を卒業したのはもう6年も前のことだが、皆変わったと言えば変わったし、変わらないと言えば変わらない。

14日、18:30学会の文化事業委員会に出席。10月の学会賞受賞記念講演会や建築文化週間の段取り等。中谷正人さんとディスカッションして出した夜楽校の企画について、委員の方々の反応は悪くなく、もう少し揉んでいくことに。

15日、14:30「卒、」講評会@横浜のBANKART。2006年以降3年連続。今年は小泉雅生さん、千葉学さんとご一緒する。学生の自主運営で頑張っている。案そのものは全体にやや大人しい感じもしたが、結局のところ審査する側の力量が問われている。

今回気になったのは理想と現実の関係について。ある現実(分析)に対してある理想(構想)をぶつけるのが設計だとすると、例えば「代官山に美術館を提案する」のは、「好きな場所に好きなものを提案する」というトートロジーであって、何かを提案したことにならないのではないか。好きなものを提案するのはよいのだが、「問題だと思う場所に好きなものを提案する」べきなのではないか。

残るは22日の東海地区卒業設計展だ。どのような議論になるか、楽しみだ。
fujimura

2008年03月17日

人が集まり、意見が飛び交う状況をつくる

16日、千葉事務所オープンハウス。階段や庇等、要素も多く、図式の抽象性や建物としての完結性というよりは棟の独立性の方が強く感じられ、全体としては散逸的に見える。通路幅の違いが効いて、敷地の奥からも海が見えるのが面白い。

帰り際、千葉さんにお礼と感想を述べる。オープンハウスの感想って難しい。見た直後は、その建築の意味というのはよくわからないからだ。「案を見たときは図式的だと思ったけど意外と気持ちがいい」という感想は9割くらいの人がいうだろうと思い、ちょっとひねったつもりで「図式を見たら全体性が強いと思ったけど案外独立性が強い」と分析的に言ったら後輩Kとコメントが被ってしまい、やや失敗。

16:00事務所に戻り、編集者の方ととある雑誌企画打ち合わせ。編集でも設計でも、企画の初期段階でブレストするのは楽しい。2時間ほど議論して方向が定まる。

19:00先日のLIVE ROUND ABOUT JOURNALの学生打ち上げと、台湾の雑誌『Dialogue』でのRAJ記事掲載祝いを兼ね、ワソサソこと王銘顕さんを迎え「ワソ祭」@事務所。王さんの仕込みもばっちりでワンタン3種(豚、鳥、牛)、焼きビーフン、大根餅のライブ調理で盛り上がる。

友人や後輩、編集関係者にも何人か来て頂き、改めてイベントの感想や反響等を伺う。

訪ねてきてくれた東工大の学生諸兄に設計中の住宅の模型を見せる。せっかくなので感想を求めるも、「屋根がつまらない」だの、「開口がよくわからない」だの、挙げ句の果てには「雑誌に載ってもスルーしそう」だの、言わせておけば言いたい放題である。建設的な意見ももらうが、批判が続出で防戦一方。

生意気な奴らめ!と憤りつつも、自分も午前中のオープンハウスで冴えないコメントを残してきたことを思い出し反省。設計者である自分も含めてその計画の意味や可能性というのは設計過程ではよくわからないし、またあらかじめ分っているものでも、瞬時に判断すればよいというものでもない。

それでも彼らの意見を求めるのは、他人の顔色をみているとなんとなく自分たちのやっていることの意味がつかめてくるからだ。篠原一男はいつも研究室の学生にコメントを求め、その内容にむっとし、無言になりながらも次の日にはちゃんと案を変えていたというが、きっと似たような作業だったのではないだろうか。

建築トークも、非建築トークも、ほどほどに盛り上がって3:00頃終了。最後まで残った若者連中とラーメンをすすって帰る。独立以来、彼らには模型を作ってもらい、議論につきあってもらい、時に一緒に騒ぎを起こしながらこれまでやってきたが、いつまでこういう時間を共に過ごせるのだろうか。

17日、新しいオープンデスク2名来社。初日なので軽く面接。

引き続き住宅の実施設計。篠原一男に倣い、昨日の学生諸兄の意見も参考にしつつエスキス。大枠は変えず、マイナーチェンジを試みる。とりあえず屋根の排水経路がずっと気になっていたこともあり、屋根形式を変更してみることにした。

いつも思うことだが、お施主様でも、役人でも、近隣でも、抵抗や批判を受けたプロジェクトほど面白くなるのはなぜだろう。その逆に、あまり抵抗も批判もなく実現してしまったプロジェクトほど、後で苦労する気がする。人が集まり、意見が飛び交うという状況をつくるのは意外と難しいし、労力もかかるが、面白い建築をつくるためには必要不可欠な作業であると実感する。建築のプロセスはスムースに進んでほしいと願う一方、スムースにいかないことほど勉強になることはない。
fujimura

2008年03月23日

スタンスが問われる

21日、槻橋さんを囲んでToY4打ち上げ。メンバーは続々と就職を決めている。決まっていないのはスイスに留学予定の後輩Kとコンペ王Fのみ。アトリエ、組織、ゼネコン、留学と進路は様々だが、M1の後半にもなるとどういう立場で建築に関わって行くのかというスタンスが問われ始める。

途中まで槻橋さんに「批判的工学主義」について批判されていたような気がするが、いつの間にか爆睡。大学院に入りたての頃、つかもと師に「建築家は徹夜明けであろうと何だろうと、朝まで語り、語り、語りまくらなければならない」と言われたことを思い出し反省。

それにしても、槻橋さんのあの溢れるようなエネルギーはどこから湧いてくるのだろう。設計と編集の関係をどのように捉えているのだろう。いつかじっくりインタビューしてみたい。

22日、二日酔いの頭を引きずり9:15発のぞみで名古屋へ。名古屋駅でFLATのメンバーに会い、そのまま「東海地区合同卒業設計展」の会場である名古屋市立大学へ。久野紀光先生に久しぶりにお会いし、近況を伺う。

今回の合同講評会のゲストは乾久美子、原田真宏、武井誠、中村竜治、藤村龍至というメンバー。個別にざっと展示を見て、各自で面白そうな作品を1点選ぶ。

選ぶ基準は好みもあるが、最近は「これを選ぶとこういう議論が展開できるかな」という判断もできるようになってきた。まあ、そうは言っても結局のところプレゼンに実力は出てしまうものだから、誰が選んでも選ばれる作品はある程度絞られるだろう。

・・・とタカをくくって控え室に戻り、ふたを開けてみると全員バラバラ。お互いに「それのどこがいいんですか」というくらいに選んだ作品の傾向が違っていて面白い。控室でしばらく話す。中村さんが「建築家はかたちに責任を取らなければならない」というので「かたちは建築の一部に過ぎない」と返したら早速議論が白熱。

2次審査では模型を使ったプレゼと質疑応答。前半は場所性について、後半は作家性について問題提起してみる。

途中乾さんがある作品について「その変なかたちの突起物は何か」とかたちに集中的に突っ込んでいるので、僕が「この作品が提示している一連のストーリーのなかでは、その突起のかたちはジョークのようなもの」と応援演説する場面があった。

議論していると、「設計を通じて場所を理解する」という姿勢に共感し、かたちそのもののインパクトよりも「建築的思考をどう使ったのか」というストーリーを重視するスタンスを強調する自分に気がつく。振り返ると、この日の議論の主題のひとつは「かたち」派(乾、中村)と「ストーリー」派(藤村)の対立にあったのかも知れない。講評会の主役は学生の作品だが、結局のところ、講評する側のスタンスが問われるところが面白い。

議論を経て投票の結果、1位と3位が同率となり、再投票の結果「せんだい」でも上位に入ったという作品(かたち派)が1位。1次審査で僕が選んだ作品(ストーリー派)は3位に。

懇親会では入賞者やFLATのメンバーと話す。なかなか盛り上がっているようだ。今回のイベントをきっかけに、新陳代謝を繰り返しながら世代をつくるグループに育って行って欲しいと思う。

その後、名市大の伊藤先生、久野先生、愛知淑徳大の清水先生、名古屋大の恒川先生、生田さんと飲む。学生だけでなく、先生方の繋がりも深い。これからもいろいろ交流させて頂ければと思う。

この春もいろいろなイベントに呼んで頂いたが、この春最後のイベント出演が今週25日に予定されている。

アーキサミット08 東京 春の陣

86世代のスタンスを問う機会としたい。イベントに参加する諸兄は「朝まで語る」覚悟で臨んで頂きたい。
fujimura

2008年03月26日

仕掛けたものが勝つ

25日、朝から打ち合わせを数本こなし、銀座のギャラリー58へ。g86が仕切るラジオ番組(?)に出演。

イベント全体の主催はコジマラジオという、台東区の旧小島小学校をベースにFMラジオを運営している芸大生を中心とした学生グループ。メンバーのひとりがg86のサイトを見て声をかけたのだという。

この日はg86がホストとなり、同世代の大学生らのグループとディスカッションを行う「アーキサミット」。東大、東工大、Y-GSA、早稲田大、理科大、明治大等のサークルやグループが順番に出演し、「宣言」を出して行くという形式。

最後に公開インタビューと討論。もちろんその内容はその場でラジオ放送される。途中「team JK」こと女子高生のグループもエントリーしていて会場を沸かせたらしい。うっかりすると「非モテ男子の集会」みたいに堅くなってしまうところを、うまくほぐしている。仕掛けが最小限かつ効果的。

17:00少し前に会場に着くと大入り満員。ギャラリーの方にご挨拶してトークスタート。g86のスタンスを問い、問われ、スタンスを問うということの意味について問う。なかなか刺激的。

いろいろ話したが、言いたいことはただ一つ。20代は議論の仕方を議論せよ、ということ。最初はまとまらないようなバラバラの議論も、何度も繰り返して行くとまとまってくる。それが本当の世代的な「宣言」になる。

そういう世代をつくるプロセスに乗ることができたという意味で、あの日、あの会場に居合わせた人は幸運だと思う。誰でもいいから、なるべく早く次の仕掛けを打つといい。互いに仕掛け合って行けば面白い世代に育つだろう。今後の86世代の盛り上がりに期待したい。

当日の様子はギャラリー58のblogでライブリポートされています。
fujimura

2008年03月27日

【チーム110】伊東合宿開始

昨年末結成されたチーム110のメンバー(松川昌平、田中浩也、柄沢祐輔、南後由和、ドミニク・チェン、飯尾次郎)と合宿をすることになった(ドミニクは欠席)。場所は伊東の山喜。築70年だが無線LAN完備の和風旅館である。机と椅子を畳の上にセットして会議室仕様にして打ち合わせすることができる。IT系のエンジニアたちの開発合宿のメッカである。

これから以下のプログラムで合宿を行う。

14:00-16:00 第1部 討議のための討議
16:00-19:00 第2部 個人発表
21:00-23:00 第3部 企画会議
23:00-endless 第4部 討議

これから合宿の様子をライブでリポートしようと思います。
fujimura

【チーム110】伊東合宿・第1部

第1部はまず、6人のスタンスの確認から。

理論/実践
松川 環境情報/建築設計(環境観測装置としての)
柄沢 空間論(社会工学としての)/建築設計(空間論のエクリチュールとしての)
藤村 建築論(社会工学としての)/建築設計(ソーシャルアクションとしての)
南後 建築社会学/批判的フィールドワーカー
ドミニク インターネット/ソーシャルアクティビスト
田中 空間認知科学・空間情報科学/エンジニアリングアーティスト

続いて本のイメージを話し合う。

-建築論に収まらない
-1960年似ている状況、似ていない状況(ref.東京宣言)

レファランス
-『20世紀建築研究』著者不在の状況−新しい書き手
-『反美学』ハル・フォスター編
-『ELEMENT』セシル・バルモンド

「設計」という概念(ref.「一般設計学」吉川弘之)
建築設計/社会設計/情報設計/アーキテクチャー
fujimura

【チーム110】伊東合宿・第2部

第2部は個人発表。順番は下記の通り。

16:40-17:40 柄沢
17:40-18:40 藤村

20:00-22:00 松川
22:00-23:00 南後
23:00-24:00 田中

まずは柄沢祐輔。「不均質な均質さ」について。「デカルトvsライプニッツの図式で現代社会は説明できる」「コンピュータは『ライプニッツの層』を初めて制御可能にした」と主張。

続いて僕は「批判的工学主義としての建築」。「工学主義」の定義、3つの姿勢、組織類型都の対応、「批判的工学主義」によって再定義される現代建築、設計の手法論、都市論的戦略について語り、建築運動としての「批判的工学主義」を提唱。

夕食後、松川昌平。場当たり的、非計画的、多様な空間、自然的、ボトムアップな建築を設計するために、位相空間的なグリッドを生成するためのソフトウェア「Topological Grid」を操作しながら、方法論を提示。

-逆システム論(機械言語vs自然言語)
-周辺環境と相互作用する建築
-アルゴリズム的思考=「かた」の発見と「かたち」の開放
-関係性が複雑だからといって空間体験が複雑になるのか

次は南後由和。1.ルフェーブル、シチュアショニストの都市・建築論、2.グラフィティ/落書きのフィールドワーク、3.戦後日本における建築家の有名性の生産・流通・消費。

-際に留まり続けること=transvergence-vergence(離接運動)
-「設計」とは何か
-1960年代の思想家・建築家再考ーブックガイドを超えて

最後は田中浩也。工学の定義、テクノロジーの進化に対する態度ー「批評的」「発明的」、世界と社会、ものづくり革命(ニール・ガーシェンフェルド)、開放系技術、工学的民主主義、アーキテクチャーの再定義、技術(テクノロジー)と技法(テクネー)の補完関係、エスセティクスの図示
fujimura

2008年03月28日

【チーム110】伊東合宿・第3部

第3部は企画会議。まずは第2部の個人発表を通じて明らかになったスタンスの具体的な違い、こだわっていることは何か、を確認。

柄沢 対立するジオメトリーの共存(モーフィング)
藤村 逆システム論としての人力アルゴリズム(実現性・批評としての工学)
松川 コンピューテショナル・アルゴリズム(人知を超える)
田中 パーソナル・ファブリケーション(発明としての工学)

5人の主張を貫くメタフィジックスはあるか?

-ディスクリート?
-アルゴリズミズム?
-プロクロニズム?

-『10+1』no.48号の続き? 49号の続き? 両方の続き?

-言語の内容を整理したい
-外部との接続をどう果たすか

次回の目標:章立て?

なぜ21世紀型の知が必要なのか?

-S,M,L,XL?
-LIFE STYLE?

積極的に激しくコラージュするエディトリアル・デザイン?

A:巨大資本、技術、貨幣、都市、web
B:チープ革命、技術、微創造、web、都市
C:ソーシャル・ビルド

Cに対してどうアプローチするか。スターティングポイントの違いが明らかに(0:柄沢)(1:Aから=藤村)(2:A,Bから=松川、南後)(3:Bから=田中、ドミニク)。0-3の違いを念頭に置いて引き続き議論を進める。
fujimura

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