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研究は現実を上回る

『新建築』3月号で南後由和+ドミニク・チェンとの鼎談、『GA JAPAN』3+4月号でインタビューが掲載されました。両者とも、LRAJ開催後すぐの企画でした。ありがとうございます。

その後の反応をいくつか頂きました。建報社のサイト「KENCHIKU」やぽむ日記、nordicmanさんのブログなど。

ぽむ桂さんの「コイツらこそ真の暴走族」「警察(建築メディア一般)を巻き切って東を制した感あり」という表現は面白いですね。確かにチームとしての秩序感、スピード感はありました。nordicmanさんは同世代の編集者の方のようですが、中村拓志さんのブックショップと私たちのイベントを並べて「手の内をみたいという欲望」として論じてくださっています。

「ライブ編集」というコンセプトの一番の狙いは編集者や読者に対する問いかけであったのは確か。単なるプロセスの透明化ならそば屋でもパン屋でもやっていますしね。

フリーペーパー「RAJ vol.3」の配布に協力して下さった方の反応もちらほら。広島の小川文象さんida-10さんなど。

ida-10さんは「昨年春に青山のプリズミックギャラリーで藤村展を見た際、藤村さんのいう『超線形プロセス』にはそれほど興味を惹かれなかったが、今回やっと意図するところが分かったように思う」と率直な感想を書いてくれています。創作の「意味」というのは1度ではなかなか伝わらないもの。2度目、3度目でようやく伝わることもありますね。

そのほか、五十嵐太郎さんが迫慶一郎さんとの対談で「批判的工学主義」について言及して下さっています。『建築雑誌』についてのインタビューでも私たちの活動について触れて下さっています。

イベントも面白いですが、事後的にメディア上でこうした反応を頂くのも面白いですね。

身近なところですが、LRAJを振り返った建築あそび@竹屋の詳細が松島潤平の日記伊庭野大輔のブログ藤井亮介のサイトにレポートされています。

2日、スペインの雑誌『PASAJES』の取材でK-PROJECTの現場へ。撮影に立ち会う。ちょうど鉄骨工事の目処がついたところで、建築のシンボリックなシルエットが街並のなかに出現している。想像以上に迫力があり、若いスペイン人写真家も興奮気味に大量に撮影していった。仕上がりが楽しみ。

その後合同講評会@安田講堂へ。1000人以上の学生が集まっていることに驚く。東浩紀は「この道路いつもは混むんですけど、本当にこんなもの計画して大丈夫なんですか」などと市民目線のコメント。最後の「僕は大きいスケールと小さいスケールの衝突に興味がある」というコメントは講評の内容としてとても的を得ていたと感じた。

グランプリは芸大の学生。東工大で得点したのは1人だけで全体に東大が強かった。4月から藤村事務所に来る予定のI君は内藤賞。今年はインフラがトレンドのようだ。個人的には雑居ビルをテーマにした難波研の学生の案は面白いと思った。

賞については、学校ごとの傾向や個人の実力というのもあるが、議論を行わず投票のみで順位をつけるというのであれば、結局一番大きいのは審査員の好みとその場の印象の問題となる。講評会なのだから、審査員どうしが議論を行い、好みや当初の印象を覆して新しい価値を発見し、構築するプロセスを見せなければ、単なるゲストのマイクパフォーマンスになってしまわないか。

事務所に戻りワソサソこと王銘顕さんとチームラウンドアバウトのメンバー集結。台湾の雑誌『dialogue』に掲載される予定の座談会を収録。6-10ページが予定されているので、『建築雑誌』のようにジャック型の記事にして、台湾の同世代の建築家に議論を働きかけるような内容にする予定。

6日、「トウキョウ・コレクション」の公開審査。全国から集まった大学院生たちが修士論文の発表を行い、八束はじめさんのモデレーションのもと、馬場正尊さん、佐藤淳さんと僕がコメントをするという内容。大きなゼミのよう。

この日の議論のうちで最も面白かったのは「最適化」というキーワード。佐藤淳さんが「コンピューターを使うと何がいいと思いますか」という質問が面白かった。佐藤さん自身がよく聞かれることなのだという。

自然科学系の論文においては再現可能性の担保が原理ではあるが、常に主観性と客観性の緊張関係が求められる。そのあたりがアルゴリズミックデザインにおける最適化の問題に似ている。僕の場合は「論文と同じように設計を行う」という発想が「超線形設計プロセス論」のベースになっているのだが、根底には主観と客観の緊張関係という主題が常にある。

やや気になったのは「現実は研究を上回っている」という割り切りに似た共通認識のようなもの。現実から抽出したモデルはモデルにすぎず、モデルそのものには意味がないという。僕はむしろモデルは現実そのものであり、モデルによって初めて現実を変えることができると考えるべきだと思う。「研究(や設計)は現実を上回る」と考えなければ、研究と実践を繋げられるはずもないではないか。

この日、新潟大のKや福岡大のMなど、以前卒業設計の講評会などで会い、印象に残っていた連中と久しぶりに再会できたのは楽しかった。バイタリティのある人物は、お互い特に連絡を取っていなくても自然と視界に入ってくるから不思議である。就職を控え緊張していることと思うが、それぞれの道で頑張ってほしいと思う。頑張っていれば、いずれまたすぐ再会するだろう。
fujimura

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2008年03月09日 14:39に投稿されたエントリーのページです。

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