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住宅は公共建築である。[1]

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今日から、「住宅は公共建築である」というタイトルで、何回かに分けて文章を書いてみたい。いわゆる日記的なものも間に入るだろうけど、それはまた別のタイトルで書くことになるだろう。

ことの経緯はこんなところだ。

12月8日、INAX:GINZAで開かれた第13回アートスタディーズ「阪神・淡路大震災以後の建築と美術」で、ショートレクチャーをした。このシリーズは「20世紀建築・美術の名品はどこにある?」という大きなテーマを掲げていて、55年-65年、50年-60年、といった具合に、10年間を対象としながらも、5年ずつずれながら遡っていく変則的な形式をとっている。今年の3月に20世紀半ばから1900年までの議論を終え、1995年-2004年を扱う今回から、60年代に向かうという。

僕がお話をいただいたのは、最も近い過去である1995年以後の建築についてだった。大体98年の夏頃から建築に関する本を読み始めたので、実は95年からしばらくについては、同時代的に経験したわけでもない。だから、いい勉強の機会を与えてもらったと思って引き受けた(でもすぐに、これは大変なことになってしまったと焦った)。

さて、建築の名品=名作とは何だろう?

すでにいろいろな定義もあるだろうし、おそらくアートスタディーズが独自に持っているフレームもあるだろうとは思ったが、ここは一つ、名作建築を僕なりに発見することにしようと考えた。

まずは「名作とは何か」を定め、次に「何を名作と言えるか」と考えた。僕は仕事中(というか生活全般)において、物事に対して「これは良い/悪い」という判断を意識的にするようにしている。その判断が正しいかどうかは分からないが、とにかく判断するようにしている。そうしないと割と多くのものを自動的に受け入れてしまう性質を、僕自身が持っているからだ。

すぐに分かったのは、この思考実験がかなり楽しいということだ。一意的に決まる、誰もが認める名作なんて、もともとあるはずもない。しかし、僕個人のバックグラウンドにある(うすいけど)社会学的な発想をある程度意識しながら考えることで、ある程度説得力のある議論の軸を、この問いに対して立てることができると感じた。

社会学的な発想の根本には、世の中の「当たり前」を疑う態度がある。誰もが当たり前のように思っていること、使っているもの、その使い方……それらは本当に「当たり前」なのだろうか? なぜ「当たり前」になっているのだろうか? あらゆる出来事や物事に対して使える考え方だ。建築も例外ではないだろう。誰もが当たり前だと思っていることを軽々と、あるいは難儀して超えていく作品というものがある。それを、批評性のある作品だと言うことも、あるいはできるだろう。だから僕は、建築を考える方法を更新してしまった作品を指して、今回、建築的な名品=名作と呼ぶことにした。震災も会のタイトルに入っていたが、震災を特別視した位置づけには抵抗があったので(もちろん、未曾有の出来事だったことは承知の上で)、いったん忘れることにした。

さて、「考え方を更新する作品」は、ひょっとすると、その(同時代の)後の建築の流れを一変させるものだったかもしれない。少なくとも、その新しい流れに何らかの影響は与えていただろう。建築の世界でその時期「以前と明らかに違う状況」はどこにあっただろう? と考えると、一般誌が建築を扱い始めた時期に重なっていることに気づいた。たとえば、Casa BRUTUSが創刊されたのは1998年だ。なぜ、一般誌は建築をテーマにしたのだろうか? それと、いま何気なくメディアという言葉を使ったが、雑誌を「メディア」と呼び始めたのはいつ頃だったんだろう?(これはよく分からない) そういう影響も与えたであろう作品とは、一体何だったんだろう? 与えた影響があるとすれば、それはどんな内容を伴っていたのだろう?

そこで、とりあえず図書館に行き、まずその時期の『新建築』と『住宅特集』を一気読みして時代の雰囲気をつかんでおくことにした。この目的のために、これらの雑誌は本当に適切だと思う。やっぱり関空はかっこいいなあ、とか、横浜やせんだいのコンペがあった年かあ、などと、ぽかんと口を開けながら初めて接する近過去は、だがしかし、どこか違う国の歴史のようでもあった。となると、言説のありようも知らなければならない。よって掲載されていた論考や月評も、(自分比で)割と丁寧に読むことになった。特に月評は面白かった。その人が何を考えているのかが、おそらく作品以上によく分かってしまう面があるからだ。また、作品批評にかこつけて、持論を自由に展開し続ける人がいるのも楽しい。設計者が自由に放談する機会は、あるいは月評以外になかったのかもしれない。個人のブログを読んでいるような気分にもなった。

休日の空いた時間を使うだけなので、読み通すだけで大変に時間がかかった(しかも京都は公立図書館が壊滅状態なので、卒業生でもないのに、京都精華大学の図書館に大変お世話になった)。どうも、日本中、箱モノがいまいち元気のない時期だったようだ。1995年以後の(つまり学生時代の)空気を思い出しながら、経済発展ってしないこともあるんだなと知った、当時の感情を思い出したりした。1997年頃のことだ。就職活動で、何百枚もはがき(はがきである)を出して一通も返事がないと嘆いていた友人がいたことも思い出した。まだネットでのエントリ(←この言葉も当時出始めた言葉だったはず)も一般的ではなかった。就活という略語も、まだなかったのではないか。要するに不況だったのだ。僕はといえば、卒論で保健室の研究にのめり込んでいた(1998年)。宮台真司が『まぼろしの郊外』で郊外化を描き、『終わりなき日常を生きろ』と宣言した時期だったと思い出すこともできる。いろいろ懐かしい、が、なんだか暗い気分にもなった。

しばらく考えるうちに、アトリエ・ワンの「アニハウス」(1997年)を作品集で見た。

yamasaki

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2008年12月18日 00:24に投稿されたエントリーのページです。

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