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2009年03月 アーカイブ

2009年03月02日

ローカルな領域で生まれた活動はダイナミズムを失わずにグローバルな広がりを作れるか

『1995年以後』おかげさまで南洋堂の月間ランキングで2位だそうです。発売後約1週間しかなかったことを考えると、なかなかの初速です。ありがとうございます。

28日、その南洋堂書店さんでイベント「けんちく書店でけんちく書とけんちくの未来を考える」を開催させて頂きました。

ぽむ日記
FORM_Story of Design

以下、議論のまとめです。

<第1部:「勝手メディア」の可能性>

1.ネットにダイナミズムをどうやって生むか
→イベントや書籍をきっかけにレビューの執筆を呼びかけてきた

2.ネットのダイナミズムを失わずに、どうやって紙媒体を使って議論を展開できるか
→ネットのアーキテクチャをあえてフィジカルに追いかけることに可能性を感じる
(ex.ライブで文字起こし、紙媒体の配布先をネットで募集、レビューを地域毎に募集etc...)

第1部は平塚桂さんが『建築雑誌』4月号で企画された「勝手メディア」特集の意図からスタート。雑誌が元気がないと感じたという。ネットでは自由だったのに、紙媒体だとおとなしくなる!?「私」の主観で議論できないことがそもそもの原因なのか。他方でネットもおとなしい。ブログレビューを呼びかけること等で、横の繋がりをつくれないか、ネットとリアルと、連動するように仕掛けを打てないか、と議論が進行。

<第2部:フィジカルなメディアの可能性>

1.専門/一般、ネット/紙、同世代/多世代、非商品/商品
建築はずっと2つの言葉ををブリッジしてきた
→2者の「統合」よりも、2者間の「運動」に可能性がある

2.『1995年以後』を出版したことで、Team Roundaboutの活動はひとつの局面を迎えた
専門、ネット、世代、非商品というローカルな領域で生まれた活動のダイナミズムをグローバルに開放できるか?

第2部は書籍を作るということはどのような意味があるのかについて。結局のところ、ウェブと紙媒体の違いは単なる言葉の違いでしかない。ウェブの方がローカルで、紙の方がグローバルのメディアだというのはあまり意識したことがなかったが、ある意味で発見だった。

以下、会場で頂いたご質問です。

Q.面白いブログ/つまらないブログの基準は何か
-中身で判断することはない。知っている書き手かどうか。知り合いのブログは読むし、知らない人のブログは読まない(伊庭野)。
→ネットでは無限の広がりが得られるというより、フィジカルに広がりをつくらないと、ネットでの仕掛けそのものが広がりを作れない。

Q.「世代」の持つ政治性を意識しているか
-意識していなかったが、今回自覚した。ブログと一緒で、会ったことがある人に話を聞いただけ(藤村)。
→その力を次の企画で使うか使わないかで展開が違って来るだろう。

Q.インタビューをして、どれだけ共感されたか
-「問いの理解はしている」という状態を作りたかった(藤村)

Q.建築の言葉が一般性を獲得できるか
-「地震が恐い」みたいなリテラルな身体性からアプローチしたい(平塚)
-設計者は勝手に規範を作り上げる(松島)
-建築の本は、一般の人は絶対買わない(伊庭野)
-読者に教育をする(刈谷)
→ローカルな言葉=力があるけれども、広がりがない、グローバルな言葉=広がりがあるけれども力がない 専門/一般、ネット/紙媒体、世代/多世代、どれでも共通することだが、ローカルな言葉の「力」を、グローバルな広がりの中で展開できるか

「話が長い」とイハツにダメだしされるなど、モデレートに反省が残るが、専門誌が休刊し、ブログが無数に乱立している今日においてどのように議論の場を設計するか、あらためて戦略を練るきっかけになりました。「平塚さんと」「南洋堂書店で」議論した成果だと思っています。平塚桂さん、南洋堂の皆さん、来場者の皆さん、どうもありがとうございました。

3月7日(土)は大阪INAX TILE the SPACEに、8日(日)は京都スフェラにTEAM ROUNDABOUTが出没します。近畿地方の方々、よろしくお願いします。
fujimura

3/7(土)16:00 続・手の内側 @ INAX the TILE space (大阪・四ツ橋)

南洋堂に続き、メディア撹拌作戦第2弾として、今週末大阪で下記のイベントを開催致します!!

タイトル:ROUNDABOUT JOURNAL 公開ディスカッション
テーマ:続・手の内側

日時:3月7日(土) 15:30開場16:00-18:00 懇親会18:00-19:00
会場:INAX the TILE space(四ツ橋)

去る1月31日に東京・INAX:GINZAで開催されたイベント「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009」にて浮かび上がった論点を報告し、新たにSPACESPACEのおふたりを迎え、「手の内側」=設計の方法論をめぐる問題を掘り下げつつ、議論の次なる展開を模索する

ゲスト:SPACESPACE, dot architects, 柳原照弘山崎亮
モデレート:藤村龍至, TEAM ROUNDABOUT

主催:TEAM ROUNDABOUT
協力:株式会社INAX

申し込み:不要
定員:80名(当日先着順)

お問い合わせ:INAX the TILE space 王尾亜紀子(おうびあきこ)
TEL:06-6539-3721

当日の連絡先:王尾携帯
INAX the TILE space ショールームは休館日につき、外線は繋がりません。
TEL:090-5463-0406

参考URL
-roundabout journal (ブログ) http://www.round-about.org/
-LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009 レポート
http://d.hatena.ne.jp/buildingk/20090131
http://www.ne.jp/asahi/studio/lithium/diarylog.htm#090131

会場アクセス

大阪市西区新町1-7-1 INAX大阪ビル2F
http://dds.inax.co.jp/tile_space/

地下鉄四つ橋線「四ツ橋」駅
長堀鶴見緑地線「心斎橋」駅
1-A出口から徒歩2分
「四つ橋」の交差点から北へ1つ目の信号 南西角

LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009にて、大阪より殴り込みを掛けて頂いたdot architects, 柳原照宏さん、山崎亮さんに加え、「若手建築家のアジェンダ」にもご登場頂いたSPACESPACEの香川貴範さん、伊藤立平さんにも加わって頂き、議論の延長戦をやろうと思います。白熱間違いなし。

あいにく「卒業設計日本一」と重なりますが、卒業設計はとっくに卒業された皆さん、「けんちくの手帖」でご興味を持って頂いた皆さんは、ぜひこちらにどうぞ。
fujimura

2009年03月03日

『1995年以後』ブログ・レビュー vol.2

3/7(土)16:00大阪INAXシンポジウム情報はこちら
3/8(土)13:00京都スフェラトークショー情報はこちら

『1995年以後』レビュー第2弾です。北海道・東北、中部、近畿、中国・四国、九州・沖縄に分けて募集させて頂きました。

一足先に5名の方々がアップして下さいましたのでご紹介します。残りの方は到着し次第アップします。

1.[gl weblog] from 北海道
愛にあふれた本

2.[カラー ミー ポップ !] from 宮城
さようなら、perfume

3.[いつか、一緒に家を建てよう] from 大阪
1995年以後 ー 次世代建築家の語る現代の都市と建築 レビュー

4.[Memorandum&Diary 空間感傷。] from 大阪
1995年以後 次世代建築家の語る都市と建築レビュー(近畿より)

5.[MG54σ] from 福岡
1995年以後レビュー_1
1995年以後レビュー_2

感動を素直に表現して下さっている方、分析的、批判的レビューを展開して下さっている方、この本の読み方を提示して下さっている方など、それぞれが個性的なレビューを寄せて下さっています。どうもありがとうございます。

ネットだとどこの誰がアップしているか、想像しにくいのですが、特定の地名とともにレビューがアップされるとき、空間的な広がりが想像できて、フィジカルの限界を少しだけ超えられたような気がしますね。

なお、これをもちまして、『1995年以後』のレビュー募集は終了とさせて頂きます。たくさんのご応募、ありがとうございました。残る5名のレビューも順次追加しますので、お楽しみに。
fujimura

2009年03月04日

痩せオーラ

3/7(土)16:00大阪INAXシンポジウム情報はこちら
3/8(土)13:00京都スフェラトークショー情報はこちら

このところ、告知ばかりで近況を書く暇がなかった。寝不足が続くと頬が痩ける癖があるのだが、最近は痩けっぱなしである。たまに心配されるが、本人はもう少しで痩せオーラが出るのではないかと能天気に構えている。

昨年秋から、正月を挟んで『1995年以後』にずっと追われていたので、無事出版できてほっとした。編集の伏見さんとデザイナーの刈谷さんも大変だったと思う。改めて、お疲れさまでした。

基本的に原稿の執筆は休日と夜間なので(昼間は建築設計業と若干の社長業をこなしております)、原稿が溜まれば溜まるほど休日と睡眠時間が減るという罠。昨年、涼しくなってから休みらしい休みがありません。楽しいからいいですけど。

出版後もお世話になった方々への献本の発送作業や請求書の作成など、関連作業は続く。竣工後の方が大変なのは建築と一緒ですね。

それにしても、イベントでいろいろな人と連続的に議論できるのは楽しい。これを片っ端から文字に起こして行ったら、それなりに情報の蓄積になるだろう。いつか、あの頃はよく議論していたなあと振り返る時期が来るのだろうか。32歳というのは建築家にとってどういう年齢なのだろう。

出版と前後して、事務所を渋谷に移転した。これまで8ヶ月間BUILDING Kに入居していたのだが、日頃の行動範囲を考えると、渋谷がベストだと判断した。建築は使いやすかったし、高円寺の街自体はとても魅力的だったのだが、TEAM ROUNDABOUTでブレストするときも結局渋谷に集まることが多かったので、いつか移転するならば早い方がいいと判断した。

事務所は以前に比べると少しコンパクトになったが、ちょうど住宅とオフィスビルの現場が本格化し、スタッフとの密なコミュニケーションが必要だと痛感していたところだったので、スタッフの作業を覗きやすい配置になったのと、窓から首都高速道路が見下ろせるのが気に入っている。渋谷駅から3分、セルリアンタワー裏の便利な場所なので、お近くにいらした際はぜひどうぞ。

と言っているそばから留守中に山崎亮さんがいらして下さったそうだ。恐るべきフットワークである。真似したいものだが、あまり真似るとますます頬が痩けるだろうから、ほどほどに飛び回りたいと思う。
fujimura

2009年03月06日

濃密なスライド出来!!

3/7(土)16:00大阪INAXシンポジウム情報はこちら
3/8(土)13:00京都スフェラトークショー情報はこちら

渋谷の某所に籠り、明日、明後日のレクチャーの準備。久しぶりにスライドを一新。

数々のイベントと重なり、動員が心配ですが、そんなことがどうでもよくなるくらい、濃密なスライドが出来ました。明日の大阪INAX the TILE spaceで発表します。

先日の「けんちくの手帖」ではLRAJ2009の報告会的な意味合いが強かったのですが、今度はこれまでRAJが展開してきた議論の「内容」を総ざらいします。そんなこと、東京でもやったことありません。

「1995年以後」とは何か、「表層と深層」とは何か、「愛と力の関係」とは何か、「工学主義」とは、「批判的工学主義」とは何か。そして、「アーキテクチャ」とは何か。きちんと整理してこなかったので、分かりづらいと批判を頂いてきましたが、諸々反省のうえ、全部解説させて頂きます。

さらにLRAJ2009で出てきた論点を踏まえ、討議を行っていきたいと思います。SPACESPACEのレクチャーも初めて聞くので、メンバー一同とても楽しみにしています。

ある意味で、LRAJのもっとも濃いところを抽出したようなイベントになるでしょう。興味のある方は明日、16:00に四ツ橋のINAX the TILE SPACEにお集まり下さい。議論の密度が濃くなると思われるので、ノート or ICレコーダ持参のこと。

京都Sferaは先日の南洋堂の続きで、メディア戦略編になるでしょう。オルタナティブ・メディアを使ってアクションを起こしたい人向けの内容になると思います。岡田栄造さんにもいろいろ伺いたいこともあるので、とても楽しみです。

ぽむ桂さんも書いて下さいましたが、今回の大阪、京都ツアーでは、TEAM ROUNDABOUTのメンバーも登場するので、いつもと違った感じになると思われます。

どちらも乞うご期待!!
fujimura

2009年03月12日

RAJ-OK tour (1) 大阪編 アーキテクチャ論の可能性:デザインとユーズの循環的な関係

7日、8日と、TEAM ROUNDABOUTのメンバーと、大阪、京都に行ってきました(OK tourと刈谷氏命名)。いつものように、議論して、議論して、議論しまくって帰ってきました。

イハツ(伊庭野大輔)のレポートは下記。
round about journal in 関西一日目(sumica 02:21:23)

2日間ずっと議論していたのに、帰りの新幹線で力尽きて一眠りして目覚めたら、イハツたちがまだ「批判的工学主義の議論はどうやったら拡大できるのか」について議論していました。マジメだなー。

大阪でも京都でも、それぞれの場所で迎えてくれた最高の仲間と、最高の議論をして、たっぷりと刺激を頂くことができました。

ユーザー性善説 (カブハウス)
訳あって、鮮度落ち (Another position)
3/7 続・手の内側 (”シコウ”の日々)
090309 / 続・手の内側 @ INAX the TILE space (yu-fli_stock)

順に振り返りたいと思います。

7日、7:00東京駅集合。行きの新幹線での議題はとりあえず「TEAM ROUNDABOUTは今後どうするべきなのか」問題。それぞれ考えていることは違う。とりあえず2010年までは続ける、と言ってきたが早いものであと1年である。会社のように頼れる組織ではないが、ただのサークルにしては開かれた存在になってきたこの活動を、解散するわけではないとしても、ひとつの区切りをつけるべきだろう。そのほか、あれこれ話しているうちに新大阪着。

昼食後、肥後橋の柳々堂へ。オーナーの松村さん親子にご挨拶。この旅行の目的として、僕たちの本が誰に、どのように届いているのかを見極めるということがある。本を実際に売って下さるのは書店の方々だから、全員でご挨拶に伺う。店内と店頭で記念撮影。

その後、ISOLATION UNITのオフィスを含むいくつかの柳原照弘さんの作品へ立ち寄ったあと、INAX the TILE spaceへ。徐々に出演者が集まり、16:00RAJ公開ディスカッション「続・手の内側」スタート。

まずはこれまでの議論の経緯、LRAJ2009「手の内側」での議論等をダイジェスト的に説明。続いてSPACESPACEの香川さん、伊藤立平さんにショートレクチャーをして頂く。その後、討議。

ここでは、LRAJ2009でも話題になった「アーキテクチャ」をめぐって議論が展開。

山崎亮さんの職能は「ランドスケープのデザイン」と呼ぶよりも、「アーキテクチャのデザインをしている」と言う。そこで「人のふるまいに関わる物理的な条件」のうち、床・壁・天井といった既存の建築的ボキャブラリを(1)「建築的なアーキテクチャ」(デザインの問題)、ファシリテーションのための物理的な設えのことを(2)「コミュニケーションのアーキテクチャ」(ユーズの問題)と分ける。

すると、柳原照弘さんのいう(1)「デザイン」と、(2)「デザインする状況をデザインする」という議論がシンクロして来る。

SPACESPACEのふたりは、「特定の形態によって、特定の活動を強制する」というよりは「誘導する」のだという。(1)と(2)の関係が一致するというよりは、特定の形態が複数の活動を誘発する(ex.弁当売り場に並ぶ人のために引かれた線が遊びのための線になる)というように、曖昧につながっているというイメージを提示。

本当にそうなのか、コミュニケーションの設計が建築的アーキテクチャを変えることがないのか、と問いかけてみる。

そこへdot architects。彼らの設計上のコミュニケーションから生まれた「超並列」という概念は、建築部位の徹底した「部分化」という形態に直結している。「コミュニケーションのアーキテクチャが建築的アーキテクチャに1対1に対応していると考えたい」と家成さん。

山崎亮さんが(1)「建築的なアーキテクチャ」と(2)「コミュニケーションのアーキテクチャ」の関係を直接的に考えられるのは住宅だからではないのか、と指摘。確かに、SPACESPACEのふたりは組織系の事務所出身で、公共プロジェクトの提案を軸にしているのに対し、dotの3人はアトリエ系の事務所出身で、住宅プロジェクトの提案を軸に議論を展開している。

本当にそうなのか。コミュニケーションと形態の関係は、規模の問題を超えられないのか。

すると山崎亮さんから「自分は常に両者を一致させたいと葛藤している」という答えが返ってきた。意外だが、これで霧が晴れたように感じた。これまで山崎さんのアプローチと僕のそれは、見た目には全く異なるがどこか接点がある、と感じてきたのだが、これで完全に一致していることが明らかになった。

この日の議論のポイントは以下の2点に集約されるのではないかと思う。

1.上流ー下流軸
デザインの上流(前提条件)からアプローチするか、下流(形態)からアプローチするか。

2.建築ーコミュニケーション軸
建築のアーキテクチャとコミュニケーションのアーキテクチャを一体に考えられないか。

1について、この日の議論では「上流から派」の山崎、柳原と、「下流から派」のSPACE、dot、つまり非建築ー建築ときれいに分かれたが、果たしてそれらはきれいに重なるものなのか。

2について、この日の議論では「ゆるやかに関係する」とするSPACEと「1対1に対応する」とするdot、つまり公共ー住宅ときれいに分かれたが、果たしてそれらはきれいに重なるものなのか。

「アーキテクチャ」という概念のもと考えられるのは、デザインというコミュニケーションの形式に、人々のコミュニケーションやアクティビティを誘発する形態を生み出す契機があり、デザインとユーズの循環的な関係が隠されているということだ。そのことが今回の議論でよく見えてきた。そのことこそは、濱野智史さんがいうようなwebの生態系から建築が学べること、あるいは建築という伝統的な社会システムが思い出すべきことなのではないか。

充実した議論で、あっという間に2時間以上が過ぎた。2007年の「建築のコンピュータライゼーションを考える」に始まり、2008年の「若手建築家のアジェンダ」、2009年の「LRAJ2009」および「けんちくの手帖」と、これまで何度も議論を重ねてきたことの蓄積を感じたが、福島から来て下さった佐藤敏宏さんから「お前しゃべり過ぎ!! 早口過ぎ!!」とダメだし。

アンケートでは「大阪で生の議論が見られた」「大阪にはこのような機会がない」という意見が多かった。東京において、議論の内容そのものが新しいシンポジウムがたくさん見られるわけではない。むしろたくさんのレクチャーがありすぎて聴講者側が受動的になっているぶんだけ温度が低いかも知れない。僕からみると、大阪は今、最も刺激的な議論をすることの出来る数少ない場所のひとつとなっている。

刺激的な仲間を見つけ、共有できる議題を見つけ、「議論の場」を設計できるかどうかは結局のところ、自分たち次第なのだのだと思う。そのことをここで再確認した。いつもこちらの議論に熱く応えて下さる大阪の皆さんに感謝したい。
fujimura

2009年03月16日

『1995年以後』ブログ・レビュー vol.2・完成版

『1995年以後』レビュー第2弾・少し時間が掛かってしまいましたが、10名全員のレビューが揃いましたので、リンクさせて頂きます。

北海道・東北、中部、近畿、中国・四国、九州・沖縄に分けて募集させて頂き、『1995年以後』をお送りして、レビューをアップして頂いたものです。

vol.1(2月22日公開)でも10名分のレビューを下記にてリンクしています。
『1995年以後』ブログ・レビュー vol.1

1.[gl weblog] from 北海道
愛にあふれた本

2.[カラー ミー ポップ !] from 宮城
さようなら、perfume

3.[champ] from 宮城 new!
「1995以後」ブックレビュー

4.[from 1986] from 愛知 new!
『1995年以後』review@nagoya_#1

5.[yokasの日記] from 長野 new!
都市と建築を語る

6.[いつか、一緒に家を建てよう] from 大阪
1995年以後 ー 次世代建築家の語る現代の都市と建築 レビュー

7.[Memorandum&Diary 空間感傷。] from 大阪
1995年以後 次世代建築家の語る都市と建築レビュー(近畿より)

8.[オナカのブログ] from 広島 new!
1995年以降

9.[MG54σ] from 福岡
1995年以後レビュー_1
1995年以後レビュー_2

10.[HOSSION MASSION MUSSION PASSIOn] from 沖縄 new!
ぶっくれびゅーう゛ぉりゅーむ① 1995年以後―次世代建築家の語る現代の都市と建築

文字通り、北は北海道から南は沖縄まで!地域別にレビューを寄せて頂くことが出来ました。ご協力頂いた全国のブロガーの皆さん、ご参加頂き、どうもありがとうございました。

それぞれの視点が出ていますが、それぞれの受け止め方の違いのようなものもよくわかって勉強になります。特に、沖縄の学生からみたメディアとの距離感のようなものはすごく新鮮ですね。リンク先のブログを拝見していると、琉球大学の皆さんには熱さを感じますし、福岡周辺もブログで盛んに情報発信している印象があります。

前回のエントリでは地名とともにアップされるブログのレビューには不思議な広がりを感じることができる、と書きましたが、10名並べたときには、そういう空間的広がりとともに自分が書いたことと同世代のブロガーが書いていることを比べることもできるという、共時性も感じられます。それもなかなか面白いですね。ここからブロガー同士の交流が生まれれば面白いなと思います。

やはり本とwebとイベントは似て非なるメディアですね。本を出して、そのことがよくわかりました。ここから学んだことを、次の機会に活かしたいと思います。

そして番外編。今回の企画とは別に、自主的にレビューを上げて下さっている方がいるのでご紹介します。

[中2階から] from 東京 new!
『1995年以後』世代の建築家は世界をいかに切り開くか?

[カブハウス] from 大阪 new!
『1995年以降』(藤村龍至 / TEAM ROUNDABOUT 編著 エクスナレッジ刊)

それにしても、「1995年以降」でアップしている人が多い。
この方も「以降」だと思っていたようです。

[だから構造家は楽しい] from 京都
『1995年以後』でした

わかりづらかったかな・・・。

ほんまに、かんにんえ!
fujimura

2009年03月19日

RAJ-OK tour (2) 京都編 日常的/工学的/批判的

8日は京都へ。その前に宿泊先の中之島近辺で建築ツアー。まずは大阪国際会議場(黒川紀章)へ。メガストラクチャー建築である。

時間がなかったのでエレベータとエスカレータでささっと見て回っただけだが、プロポーションが決定的にダサイ、ディテールがぜんぶ標準的でつまらない、内部で構造を感じられないのは面白くないなどと悪態をつきつつも、「建築の内部をトラックが走り回る」という工学的想像力にあふれたスケール感はやはりダントツに面白い。

この前事務所でオープンデスクの学生に初めて買った新建築(1993年7月号 表紙:梅田スカイビル)の話をしていて、「1995年以前」の建築は今と全然違うなあと思った。「1995年」直前の建築と言えば「梅田」と「関西空港ターミナルビル」(新建築 1994年8月号 )で、どちらもエンジニアリングの結晶。当時、関空の屋根のカーブがオープン・エアダクトの気流のラインから決められていて、照明の反射板を兼ねていると聞いて、高校生ながらに感動した記憶がある。

その後、なんとなく「工学」とか、その位置づけ方のモードが変わったのだ。メタボリズムー社会工学世代から野武士ー都市からの撤退世代へ。建築家の作風の問題というよりも、社会の構造の質的な変化による建築家の立ち位置の変化である。大御所がメガストラクチャーを駆使し、若手が文学的レトリックを駆使し、なんとなく棲み分けられていたあの頃の陰鬱な気分を、伊東豊雄やSANAA、アトリエワンやみかんぐみなどが打ち破って行ったように思う。

でも今思えば、文学的想像力やレトリックが言葉から物質のレベルに移行して、工学的想像力の方が複雑化して見えなくなって行っただけなのかも知れない。この構図を打破しなければ、新しい建築のモードは見えないのではないか。

・・・そんなことを考えていたら、川の向こうにきれいなファサードのビルが見えた。イハツから「中之島ダイビル」(日建設計, 2009)だと教えてもらう。周囲のビルに比べて明らかに繊細な立ち姿は、工学的想像力の現在形かも知れない。

マシツマに案内してもらった朝日放送(隈研吾+NTT-F, 2008)の本社は、いかにも「アトリエ」的な再生木材の市松模様のファサードと「組織」的な金属パネルの対比が何とも現代的で面白い。再生木材で全体を覆ったら面白くなく、部分的に、しかもバラバラに覆っているこのバランスに、社会的なリアリティを感じる。

京阪電車の中之島新線からの快速急行で京都へ。ところがこの電車、「快速急行」とは名ばかりで、守口市とか、枚方市とか、やたら停車駅が多い。阪急電車の特急が震災後に岡本や夙川に停車するようになった時にも驚いたが、今は都市間特急がスピード競争していた時代は終わりを告げ、途中駅から客を拾い、大阪、京都へ「上る」郊外型のそれへと、変容してしまったのだ。

つまり、この「快速急行」という煮え切らない電車は社会と都市の構造の質的な変化を象徴しており、明らかに「1995年以後」のパラダイムなのである。

・・・と隣にいたイハツに力説していたら「テッチャン話」と要約される

11:30過ぎ、Sfera着。岡田栄造さん、スタッフの皆さんとご挨拶し、セッティング。

13:00、岡田さんの司会でレクチャー開始。

4号 (岡田栄造のデザイン日誌)
時系列で (ブログまでブログ)
デザインの部屋8 「TEAM ROUNDABOUT×岡田栄造」へ(エルマガジン社スタッフブログ)
愛と力(HASH BLOG)

前半はTEAM ROUNDABOUT JOURNALができるまで。
マシツマの日記(STUDIO LITHIUM diary)で振り返っておきましょう。

(1)2002年、藤村と山崎でround about journal(このサイト)がスタート。
(2)2005年6月頃、藤村、藤井、松島、本瀬が終電で会うようになり
(3)伊庭野も加わり深夜に勉強会開始。「全力ゼミ」と名付けられ、次第にレジュメを持ち寄って集まるようになる。
(4)勉強会の成果としてフリペを作ろうという構想が沸き上がる。
(5)2006年末、藤村事務所の忘年会に刈谷が遊びに来たことをきっかけに本格的に作業開始。roundabout journalと全力ゼミを合併し、TEAM ROUNDABOUTが結成される。
(6)2007年3月、ROUNDABOUT JOURNAL vol.1+2の配布が開始される。

振り返ってみると、松島たちのグループに僕が乱入し、刈谷さんや山崎さんを巻き込んだという流れですね。仕事の終わった後、夜間や休日に、部活のように続けてきました。ちょうど就職するかしないかの頃だったので、大学院で議論していることと、社会で向かい合うことのギャップが自然と議論の的になっていきました。

岡田さんから「なぜ続けられたのか」と問いつめられる。メンバーでいろいろ話をさせて頂くが、最終的に以下の3点に集約されるのではないかと思う。

1.日常的であること
「お勉強会」にしない。日常的な関心について議論する。
ex. アトリエと組織、理論と実践の関係について議論したことが
「批判的工学主義」に繋がったように、いつも考えていることを議論する。

2.工学的であること
インフォーマルにしない。集まりは定例化し、
作成するメディアもなるべく形式的、計画的、論理的に作成する。
ex. レジュメの作成、段取り表の作成、コンセプト重視のレイアウト

3.批判的であること
慣例化しない。内部批判者の意見を尊重し、活動を常に改善する。
ex. 形式重視のvol.1+2をコンテンツ重視にシフトするため、あえてオーソドックスにした。

後半は狙い通り(?)岡田栄造さんへの逆インタビュー。
岡田さんがなぜdezain.netをやるのか、質問攻めに。

その目的は?
可能性は?
展望は?

いろいろお答え頂きながら、議論をしていると、
自分たちの活動もよく分かり、刺激的。
どんどん掘り下げる。

途中で答えながら汗をかいている岡田さんをみて、
初めて質問攻めにしている自分たちに気がつき我に返る。
すみません。

でも面白かったです。

その後、満田さんと森田さんに今日のイベントと『1995年以後』についてコメントを頂く。

満田さんからは「今日初めてRAJのこれまでの経緯を知ることができたが、途中から言説を知った人も多いので、フォローを忘れないように」というアドバイスも。確かに今までは自分たちのペースで発信してきてしまったが、多くの人を巻き込んで議論を展開している以上、今までの議論を一度整理し、開いていく必要があった。今回、「デザインの部屋」でその機会を頂けたのはありがたい。

後日、満田さんからはとても熱い支持表明がありました。

僕は藤村龍至という男を支持する

「支持する」という立場を、ストレートに言葉にして、かつ公に表明するということは並大抵のことではありません。

こちらの執拗な問いかけに対し、ブログでは厳しいコメントを頂くこともありましたが、メールでは熱い返信を下さったりと、ずっと真摯にボールを返して下さっていました。こちらの思いが伝わって嬉しく思うと同時に、「支持する」と表明して下さった気持ちに応えなくてはと思うと、より一層気合いを入れなければと背筋が伸びる思いです。

誰かが主義を主張して、それについて継続的に議論を繰り返して問題を共有し、支持や不支持を表明する。とても古典的かも知れないけれど、真っ当な言論のあり方なのではないだろうか。

最後は質疑応答。

Q. 団地マニアのブームのように、仕掛け方で大きな影響を与えることについては?

RAJ vol.3のとき、全国から配布協力者を募集したら、東京からはほとんど応募がなく、地方から瞬時に反応があった。それだけ地方には真剣に議論の場をつくりたいと思っている人が多いということ。

だからvol.8では地方をベースにする人々と議論を展開するというコンセプトにした。趣味の共同体の拡大に留まるよりも、小さくても社会的な問いかけをして、議論のネットワークを増やしていきたい。

Q. TEAM ROUNDABOUTの今後の展開は?

松島「アーキグラムみたいにビジュアルイメージを出したい」
藤井「物理的なメディアの可能性を試したい」
伊庭野「部活と勉強の両立みたいなもの。メリットが無くなるまで続ける」
刈谷「ライブ感が面白いのでその可能性につきあいたい」
山崎「『建築ジャーナリズム』を復活させたい」

僕は「このメンバーでいつか政治にコミットしていきたい。」と答える。

フリーペーパーを作って議論をして、そこで培った問題意識やスキルは、最終的に社会のコアな部分で活かすべきだと考えている。そういう社会的な意思を持たなければ、単に「若手で盛り上がった」という話になってしまうからである。

ある質問に対する答えで岡田さんが「つくる人の言葉しか信用されないのは問題だ」とおっしゃっていた。LRAJ2009でmosakiの田中さんとも少し議論になったが、デザイナーが送り手側、メディアが受け手側と棲み分けるのはおかしい。ともに信念を持って社会に問いかけていく職業なのだから、同じ立場で社会に問いかけていくべき。その意味で「デザイナーはジャーナリストたれ」「ジャーナリストはデザイナーたれ」と言う必要があるのではないか。

ここまで議論を進めてきて、岡田さんがアカデミズム、ジャーナリズム、コマーシャリズムの領域で活動を展開されていることも、RAJでデザイナーが「ジャーナル」をつくろうとすることも、その意味が理解されたような気がした。RAJの活動の総括を超えて、デザインと社会の関係、デザイナーとメディアの関係、批評とは何か、議論することができ、私たちにとってもとても有意義な時間となった。

今回の議論は大阪、京都とも、とても盛り上がったので、早速東工大の後輩諸兄にお願いして、文字を起こしてもらいました(協力してくれた皆さん、どうもありがとう!)。京都編は岡田さんに質問攻めにした部分を中心にvol.8(2009年3月末発行予定)に掲載したいと考えています。

その後、スフェラの皆さんと集合写真を撮り、関係者で打ち上げ。満田さんがセッティングして下さったお好み焼き屋「竹」にて。京都らしい、濃密な空間で会話も弾む(ex. イハツのレーシック手術話、ゴルフ話etc...)。ひさしぶりにみ江さんにも再会できて嬉しかった。佐藤敏宏さんも思い切ってお誘いしてよかった。

20:30頃、皆さんに見送って頂き、一同帰路につく。タクシーのなかで、心地よい疲労感と感謝の気持ちに包まれる。ブログと終電で始まった小さな活動から徐々に交流が生まれ、問題意識を共有できる方々に出会えたということが、単純に嬉しい。またいつか、メンバーで皆さんに会いにいきたいと思う。

お世話になった大阪、京都の皆さん、貴重な経験をさせて頂き、本当に感謝しています。
fujimura

2009年03月23日

dot建築の動詞性

3月7日、8日のイベントは、たくさんのお客さんに足を運んでいただいた。各所でレビューがあがっているように、イベントはそれぞれ本当に盛況でした。観客の皆さんと出演者、スタッフの皆さんに感謝するほかありません。ありがとうございました。時間が経ってなお、感謝の気持ちが体に染み渡っているように思う。とくに京都に戻って以降(『1995年以降』という誤記は、僕も過去のエントリで犯していました…すみませんです…)、松島、伊庭野、刈谷、藤井の各氏とは(本瀬さんとも)、なかなか話す機会も少ないので、もっと言葉を尽くしたいと気持ちを新たにした。

ところで、7日の議論に参加していて考えていたのは「ユーザー」という言い方が持つ魔力で、僕には抽象度が高すぎるように思われた。もちろんこれは1995年をいかに語るのかという問題と同じで、ユーザーという言葉に引きずられることなく、「ユーザーと表現することで何を考えられるのか」と脳内で翻訳する必要がある。

僕は、「使う」という言葉がしっくり入ってこない。端的に言ってあまり好きな言葉ではないのかもしれない。たとえば、「建築を使う」「場所を使う」と言った時、これは日本語として意味が通っていないのではないか、とさえ思ってしまう。「なんでもできる」といった意味で「使う」を用いるとすれば、それはいささか乱暴すぎると思う。例えば、図書館で本を読む人について、「この人は図書館を使っている」とあっさり言ってしまうと、かなり大事な部分を取りこぼすことになるのではないか。図書館ひとつとっても、読む、探す、借りるといった動きの他に、歩く、座る、寝るなどいろいろな動作が積み上がったり、組み変わったりして空間が成り立っているからだ。ただし、それをアクティビティだとか機能主義だとかふるまいだとか言ってまとめてしまうととたんにぼんやりしてしまうので、とりあえずそれを「動詞」と呼んでおこうと思った。動詞は名詞よりも発音や文字に動きを感じられるので、個人的には好きな品詞だ。

7日はdotの3人が立ち位置が定まらず苦労しているように思えたのだが、これは、dotが考えているのが「ユーザー」ではなく、ひとつひとつの動詞だからではないか。極限まで一般化した単語(use)よりも、部分に「動詞」を与えていくことで、そしてその動詞の重なりやズレや置換可能性をひとつひとつ見極めていくことで、dotの建築的実践に踏み込んでいけるのではないかと思う。もちろん、建物の規模の問題はあるだろう。「規模の違い」論に埋没せずに規模問題を相対化する設計の方法を、dot architectsはいつか見せてくれるのではないかと考えた。

yamasaki

dezain.net=プロダクトデザイン

8日は「デザインの部屋」。話しながら考えていたのは、dezain.netが、岡田さん自身がデザインした「プロダクトデザイン」であるということだ。岡田さんは「クリックできること」と「リンク先に飛んでいけること」という可能性を最大限に引き延ばし、「たくさんクリックできるサイトをつくった」のだという。それは、特定の工学的条件のもとにものの形を考え抜く、プロダクトデザインのつくり方と同じなのではないか。岡田さんはderollでもribbonでもプロデュースに徹しているので(もちろんそれを広義のデザインと呼ぶことは可能だが)、本人が直接デザインしたと言えるのは、実はdezain.netだけだと思う。ということで、岡田さんはウェブのプロダクトデザインとしてdezain.netをつくり出したのだ、というのが結論。それと、昨年協力させていただいた「日本史」がなぜプロダクトデザインのクオリティでつくられたのかという疑問を、いつか岡田さんにちゃんと聞いてみたい。最近、LED化した信号機のデザインのありように苛立つことしきりなので、プロダクトデザインというものについてもっと考えてみたいのだ。ROUNDABOUTの活動も、プロトタイプではなく、プロダクトデザインの精度を目指すべきだろうと考えた。

以下は、LRAJ2009から一連の出来事を通じての雑感です。まず、あらためて、「議論を開く/閉じる」問題には論じる意味を見出しにくいと思った。また、LRAJやフリペのPDFを要求されたらはっきり拒否しようと決めた。フリペのコピーをする、質問に答える、あるいはどこかでまとめる機会を持つ。僕はまだ、それ以外に公開性を保つ方法が思いつかない。完成までの(してからも)関係者の苦労を思うと、PDFをもって「公開性」を云々する人のことは信じがたくもある。ただし、たとえばLRAJを録画してすべてYouTubeにアップして、それを見知らぬ誰かが文字起こしして、RAJとまったく異なるメディアが生み出されたら、それはかなり面白い。もしテクノロジカルな意味で「開かれる」ことがあるとすれば、そういうことではないか。

他に『1995年以後』についても「相手と藤村氏との間に断絶がある」と書かれたレビューを読んだけど、仮に「言葉が通じない状況」があるとしても、それは当然のことなので、批判の論点にはなりえないと僕は思う。主義主張の賛同者を募るための行動は、議論ではなく説得であり、原理原則への同意を求めるのならば、それは宗教だ。むしろ問いの共有がなされていない状況=断絶が明らかになった時に(けっこう多い)、そこから何を考えていけるのかと思考を進めるのが、まっとうな議論の方法論だと思う。読書の経験も、本来はそういった形式(読み手が、書かれた内容と対話する)で深められるのではないか。だから、当然いろいろな意味で時間がかかる。

そういえば以前、岡田さんにこんなことを言われた。「言葉は通じることの方が奇跡的だ」と。僕もそう思う。だからこそ、議論の場で「ある問いの共有」が到来するように心と言葉を砕くのではないか。こんなこともあった。先月のアーキフォーラムの二次会で西沢立衛さんとお話しして、言葉についてどう考えるのかと質問した折に、西沢さんに「言葉って通じますよね。それって人類最大の発明じゃないですか」と言われた。僕はまさにこの発言こそが岡田さんの発言とまったく同じ平面にあると分かり、感動した。


yamasaki

2009年03月27日

google的建築家像は可能か

当日の告知となりますが、今日、京都のmediashopでレクチャーをさせて頂くことになっていますのでご案内致します。

openlab.×Querycruise 藤村龍至講演会「google的建築家像は可能か」

シンポジウムの枕で話すとか、ROUNDABOUT JOURNALのことを話すとか、司会をするとかはありましたが、単独レクチャーは久しぶりです。大学では時々レクチャーさせて頂きましたが、大学以外では2008年8月仙台のハウスレクチャー以来ですね。

先日の「デザインの部屋」はメディア論的な内容だったので、今回は単独レクチャーらしく、理論>方法論>実践とじっくりお話しできればと思っています。

ちょうど今、『思想地図』vol.3用に同名の原稿を書かせて頂いているんですが、なかなか終わりません。でも、そろそろ大詰めです。レクチャーの議論にも反映されると思います。

『思想地図』といえば、vol.2でも刺激的な論考を書かれている濱野智史さん、西田亮介さんが僕のことについて言及してくれています。

ICC メタバースプロジェクト vol.1 濱野智史 「メタバースのアーキテクチャ」
西田亮介「アーキテクチャをめぐる、思考と実践のインタラクション」

1月28日の東工大シンポジウムでは東浩紀さんが磯崎新さんに藤村龍至のことを解説しているという不思議な光景が展開されていましたが、久しぶりにアレグザンダーと磯崎新を読み直すきっかけになりました。そのことについても今後考えていきたいと思います。

28日は近畿大学にて学生ワークショップ「建築×合宿」の最終講評会です。谷尻誠さんとご一緒します。学生の皆さんからもらったテーマは「革命」。

谷尻さんと、「革命」というテーマにふさわしく革命的(?)な課題を出したところ、中間講評を担当した柳原照弘君から「学生の作品見る前から議論させないで下さい!」と電話がありました(笑)。学生の皆さんも試行錯誤されているようですが、エスキースを担当されたdot architectsの家成さんと電話で話したところ、だんだんと課題を理解してきている、とのこと。中間講評、エスキースを担当された講師の皆さんが課題に協力して下さっていて、とても感謝しています。

課題のコンセプトは京都でのレクチャーと連続します。どのような作品が出来上がっているか、とても楽しみです。
fujimura

『1995年以後』の読み方を考える

『1995年以後』というタイトルについてはいろいろなことを言えるが、読めば誰でも分かるように、誰もが1995年以後「について」語っているわけではない。1995年以後の状況について強烈に認識している一人の(一人じゃないけど)インタビュアーが、執拗に問いかけることに終始している。

僕は、その枠組みと執拗さが、編集的な効果をもたらしていると思う。つまり、ばらばらになりがちな各々の語りと、ただでさえあいまいになりがちな語り言葉そのものが、その執拗さの一点においてぎゅっと集約されているという意味だ。その編集的な効果が「建築家カタログ」となることをきっぱりと拒絶している。

だから万が一、「これは便利なカタログだ」と読まれるとすれば、それは好ましい読み方ではないなと著者の一員として思う。もちろん、そういった読み方を拒否することはできないけど。でも、どうやったらそう読まれないようにつくれたのだろうか、と、やはり考えてしまう。

ついでに言うと、書籍に登場する32(+1)組のインタビュイーは、誰もが同じ話をしているわけではない。読めばわかることだが、決してそうではない。だから、こんなことは言うまでもないけれど、誰もが思想的な共感を根拠に誰もが参加しているはずがないし、それで当然だと思う。むしろ違うからこそ議論に応じていると言っても過言ではないだろう。

さらについでに言うと、著者側の「TEAM」についても、32(+1)組の集まった姿を見ても、「仲が良い」「つるんでいる」と誤解する向きもあるそうだが、それはそう誤解する人の行動原理を反映しているに過ぎないのではないか。みな、ギリギリのところで言葉を紡いでいる。真剣勝負の仕事人同士が「仲良しだから集まる」はずがないと思うのは、僕だけだろうか。

それと、僕自身の心づもりを正直に言ってしまうと、ある特定の年代で社会のすべてが変わったと語ってしまうことには多少の違和感がある。もちろん、1995年はある特権的な、語るに足りる年代だとは思う。でも、社会学を多少でもかじった人間からすると、そうやってある断絶を歴史に対して施すようなやり方は、かなり勇気がいる。1994年や1996年への想像力を忘れないようにしたい。

『1995年以後』が成功しているのは、「あえて特定の年代で語る」というフレームの提示が、話者にとって新しい言葉を引き出すことに成功した点にある。その意味で、僕が「多少の違和感がある」と言えるのも、1995年というフレームがあるからこそ発言できるのであって、その違和感を根拠に何かを提示すればいいだけの話だ。それが、形式というものの、強みだと思う。

ただし、その形式性をもってこの本を世代論だと断ずるのは、やや読みを誤っているのではないかと、やはり著者の一人としては思う。ある年齢の人たちが集まったからといって、それを即世代論だと読み替えたり、あるいはそう読み替えようとする感覚には、どこか間違った部分があると思う。


yamasaki

2009年03月29日

関西で「設計とは何か」について考える

27日、8:00house H現場。その後渋谷の事務所に戻り、資料をチェックして、すぐ飛び出して地下鉄に乗り、刈谷と待ち合わせて11:00打ち合わせ@清澄白河。13:30project KOH現場定例@半蔵門。終了後、15:50東京発の新幹線に飛び乗る。車内で『思想地図』の原稿仕上げ。あと一息。京都に着き、三条京阪に移動し、鴨川沿いのスタバにてレクチャーのスライドを仕込む。

19:30mediashop着。定員30名と聞いていたが、思ったより広い。店長の斎藤さんにご挨拶し、20:00レクチャー開始。

この日は久しぶりに60分のフルセット(シンポジウム用の15分セット、講評会用の30分セット、単独レクチャー用の60分セットがある)。「検索的」「工学的」をキーワードに「BUILDING K」から「批判的工学主義」まで、一気に話す。

1.理論「批判的工学主義」
2.方法論「超線形設計プロセス論」
3.実践「BUILDING K」

少々文字の多いセットになってしまったが、さすが日頃勉強会を粛々と進めているRADらしく、質問がいろいろ出る。

岡田さんからは「『運動』と言っても、結局『スタイル』に回収されてしまうのでは」と(ややクールに)質問を頂くが、「モダニズムという運動がインターナショナルスタイルとして消費されたのは事実だが、モダニズムという運動を興した側に立つべき」と(頑張って)反論。

openlab.×Querycruise 藤村龍至講演会「google的建築家像は可能か」(ブログまでブログ)
google的建築家像は可能か(3216)
文章を書こう(Diagonal runs)
シコウの日々

22:00過ぎ、レクチャー終了。すぐ下の飲み屋で打ち上げ。職人の皆さん、チーム京都(山崎さん命名)の皆さんと話した後、学生諸兄と議論。話していたら、たまたま隣で京大宗本研の学生が打ち上げをしていて数人が乱入(?)してきたので一緒に議論。「藤村さんの本とか読んだことないんですけど、今日話してみて面白かったんで、これから読んで勉強します。」と言っていた。京大生はなかなか生意気な感じがいいですね。

素晴らしい議論の場を提供してくれたRADの川勝君、榊原君を始め、いつも厳しく、暖かい京都の皆さんに感謝したい。3:00終了。

28日、山崎家で目覚める。10::00京阪電車で大阪へ。近畿大学で行われている「建築×合宿」へ。

講評会は、谷尻さんと僕のレクチャーからスタート。その後、講評開始。谷尻さんとご一緒するのはかれこれ3回目なので、コンビネーションはばっちり。

テーマは「住宅を超える」。参加者は15大学から70名近く。5人くらいずつで、全部で14班もある。僕は主に設計プロセスを問い、谷尻さんが主に「それはどんな提案になっているのか」と建築としての批評性を厳しく問う。

初日に「課題」としてA4用紙2枚に書かれた「超線形設計プロセス」のマニュアルを配ったのだが、文字だけで説明が足りるわけもなく、学生たちを随分と混乱させたらしい。しかし、25日に行われた中間講評の講師の先生方(柳原照弘さん、松岡聡さんほか)が丁寧に解題して下さり、翌26日のエスキースチェックの講師の先生方(dot architects, 木村松本の皆さん)がしっかり展開して下さって、当初は訳がわからないと言っていた学生たちも、次第に理解し、どんどん発展させていった。とてもきれいにプロセスを提示してくれているグループもあって、こちらの意図がきちんと伝わったことを実感し、素晴らしい跳躍を見せたグループもあった。

今回わかったことは、超線形プロセスの原則は(1)ジャンプするな、(2)想像するな、(3)後戻りするな、だが、設計をうまく進めるためには、コツのようなものの説明が必要だということ。

そのコツとは(1')仮説的であいまいな型を設定すること(2')プロセスのなかでイメージを膨らせること(3')細かなフィードバックを繰り返して形とコンテクストの間に動的な関係を築くことが重要だということである。(1)と(1')、(2)と(2')、(3)と(3')が互いに対応し、相補的に働く。

これらはデザイナーの「勘」のようなものだが、今回学生の皆さんに課題を出してみて、そのことをどう説明すればいいのかがよくわかった。今回の「建築×合宿」により、「設計」行為のより正確な定義に近づいた。それが最大の成果である。

「超線形設計プロセス」は特殊な方法論に見えるが、デザイナーの暗黙知を形式知化しようとするという意図のもと設計されている方法論である。面的に広がる可能性を線的に切り取っていることや、段階毎に模型にして形態を保存することは、建築デザインの「かたちで思考する」という特徴を形式化したに過ぎない。

少々うまくいかなかった班もあったが、それらは例外なく面的に展開したり、保存を怠ったり、敷地をつくらなかったりと、方法論から外れていた班であった。方法論とは、徹底すればするほど案が進化するし、手を抜くとすぐにクオリティが下がる。そういう意味では、成功した班より失敗した班のほうが方法論の可能性を逆照射してくれることが多い。

今回、学生の皆さんと考えたことは、「こういうプログラミングを行えば複雑な設計を得られる」という設計作業のフィールドワークのようなものだったのだと思う。1,2回生には少々酷だったかも知れないが、意外なくらい皆がついてきたし、いろんな感想や意見をもらうことがができた。やはり対等に接して議論するという姿勢が重要だと改めて感じた。

彼らにとって「設計とは何か」を考える、強烈な経験になっただろうと思う。最後まであきらめずに参加してくれた学生の皆さんに感謝したい。

「スタイルをコピーするな!」と怒るばっかりの先生はたくさんいる。しかし、「設計とは何か」について、根本的に考えたり、議論したりする機会はなかなかないのではないだろうか。この議論の真価は、今年この合宿に参加した学生たちが数年後に証明してくれるだろう。関西圏の学生たちのさらなる盛り上がりに期待したい。

それにしても、この巨大な集団を集め、合宿させるという困難な企画を、学生メンバーだけで自主的に運営しているのは驚異的だ。昨年までに合宿に参加したOB, OGたちが後輩のためにサポートしている姿勢もいい。自分たちで議論の場をつくろうと頑張っている関西地区の学生の盛り上がりを、メディアを鵜呑みにしている諸兄も、学校がつまらないと嘆いているだけの諸兄も見習うべきではないか。

その後集団で移動し、布施の居酒屋で打ち上げ。大宴会場での乾杯は壮観だ。学生たちは「難しかったけど、勉強になりました!」と口を揃える。UBCのときと一緒だ。「ずっと心配だった」という柳原照弘君が「全員が納得していたので驚いた」と言っていたが、試行錯誤を経て、彼らなりにこちらが伝えたいことを理解してくれたのだろうと思う。

学生たちと別れ、心斎橋に移動。アーキフォーラム組と合流する。この日は長坂常さんのレクチャー。聞きたかった。3:00まで話す。後半は少々もうろうと。

議論して、飲んで、議論して、という時間は楽しい。時々ふと何歳くらいまでこうした時間を過ごせるのだろうと不安になるが、高い志を持ち、それを共有しようとする仲間がいる限りは、こうした時間を失わずにいることが出来るだろう。2月の「けんちくの手帖」以来の関西行脚はこれにて一旦区切りがつくが、またそのうち来たいと思う。
fujimura

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