8日は京都へ。その前に宿泊先の中之島近辺で建築ツアー。まずは大阪国際会議場(黒川紀章)へ。メガストラクチャー建築である。
時間がなかったのでエレベータとエスカレータでささっと見て回っただけだが、プロポーションが決定的にダサイ、ディテールがぜんぶ標準的でつまらない、内部で構造を感じられないのは面白くないなどと悪態をつきつつも、「建築の内部をトラックが走り回る」という工学的想像力にあふれたスケール感はやはりダントツに面白い。
この前事務所でオープンデスクの学生に初めて買った新建築(1993年7月号 表紙:梅田スカイビル)の話をしていて、「1995年以前」の建築は今と全然違うなあと思った。「1995年」直前の建築と言えば「梅田」と「関西空港ターミナルビル」(新建築 1994年8月号 )で、どちらもエンジニアリングの結晶。当時、関空の屋根のカーブがオープン・エアダクトの気流のラインから決められていて、照明の反射板を兼ねていると聞いて、高校生ながらに感動した記憶がある。
その後、なんとなく「工学」とか、その位置づけ方のモードが変わったのだ。メタボリズムー社会工学世代から野武士ー都市からの撤退世代へ。建築家の作風の問題というよりも、社会の構造の質的な変化による建築家の立ち位置の変化である。大御所がメガストラクチャーを駆使し、若手が文学的レトリックを駆使し、なんとなく棲み分けられていたあの頃の陰鬱な気分を、伊東豊雄やSANAA、アトリエワンやみかんぐみなどが打ち破って行ったように思う。
でも今思えば、文学的想像力やレトリックが言葉から物質のレベルに移行して、工学的想像力の方が複雑化して見えなくなって行っただけなのかも知れない。この構図を打破しなければ、新しい建築のモードは見えないのではないか。
・・・そんなことを考えていたら、川の向こうにきれいなファサードのビルが見えた。イハツから「中之島ダイビル」(日建設計, 2009)だと教えてもらう。周囲のビルに比べて明らかに繊細な立ち姿は、工学的想像力の現在形かも知れない。
マシツマに案内してもらった朝日放送(隈研吾+NTT-F, 2008)の本社は、いかにも「アトリエ」的な再生木材の市松模様のファサードと「組織」的な金属パネルの対比が何とも現代的で面白い。再生木材で全体を覆ったら面白くなく、部分的に、しかもバラバラに覆っているこのバランスに、社会的なリアリティを感じる。
京阪電車の中之島新線からの快速急行で京都へ。ところがこの電車、「快速急行」とは名ばかりで、守口市とか、枚方市とか、やたら停車駅が多い。阪急電車の特急が震災後に岡本や夙川に停車するようになった時にも驚いたが、今は都市間特急がスピード競争していた時代は終わりを告げ、途中駅から客を拾い、大阪、京都へ「上る」郊外型のそれへと、変容してしまったのだ。
つまり、この「快速急行」という煮え切らない電車は社会と都市の構造の質的な変化を象徴しており、明らかに「1995年以後」のパラダイムなのである。
・・・と隣にいたイハツに力説していたら「テッチャン話」と要約される。
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11:30過ぎ、Sfera着。岡田栄造さん、スタッフの皆さんとご挨拶し、セッティング。
13:00、岡田さんの司会でレクチャー開始。
4号 (岡田栄造のデザイン日誌)
時系列で (ブログまでブログ)
デザインの部屋8 「TEAM ROUNDABOUT×岡田栄造」へ(エルマガジン社スタッフブログ)
愛と力(HASH BLOG)
前半はTEAM ROUNDABOUT JOURNALができるまで。
マシツマの日記(STUDIO LITHIUM diary)で振り返っておきましょう。
(1)2002年、藤村と山崎でround about journal(このサイト)がスタート。
(2)2005年6月頃、藤村、藤井、松島、本瀬が終電で会うようになり、
(3)伊庭野も加わり深夜に勉強会開始。「全力ゼミ」と名付けられ、次第にレジュメを持ち寄って集まるようになる。
(4)勉強会の成果としてフリペを作ろうという構想が沸き上がる。
(5)2006年末、藤村事務所の忘年会に刈谷が遊びに来たことをきっかけに本格的に作業開始。roundabout journalと全力ゼミを合併し、TEAM ROUNDABOUTが結成される。
(6)2007年3月、ROUNDABOUT JOURNAL vol.1+2の配布が開始される。
振り返ってみると、松島たちのグループに僕が乱入し、刈谷さんや山崎さんを巻き込んだという流れですね。仕事の終わった後、夜間や休日に、部活のように続けてきました。ちょうど就職するかしないかの頃だったので、大学院で議論していることと、社会で向かい合うことのギャップが自然と議論の的になっていきました。
岡田さんから「なぜ続けられたのか」と問いつめられる。メンバーでいろいろ話をさせて頂くが、最終的に以下の3点に集約されるのではないかと思う。
1.日常的であること
「お勉強会」にしない。日常的な関心について議論する。
ex. アトリエと組織、理論と実践の関係について議論したことが
「批判的工学主義」に繋がったように、いつも考えていることを議論する。
2.工学的であること
インフォーマルにしない。集まりは定例化し、
作成するメディアもなるべく形式的、計画的、論理的に作成する。
ex. レジュメの作成、段取り表の作成、コンセプト重視のレイアウト
3.批判的であること
慣例化しない。内部批判者の意見を尊重し、活動を常に改善する。
ex. 形式重視のvol.1+2をコンテンツ重視にシフトするため、あえてオーソドックスにした。
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後半は狙い通り(?)岡田栄造さんへの逆インタビュー。
岡田さんがなぜdezain.netをやるのか、質問攻めに。
その目的は?
可能性は?
展望は?
いろいろお答え頂きながら、議論をしていると、
自分たちの活動もよく分かり、刺激的。
どんどん掘り下げる。
途中で答えながら汗をかいている岡田さんをみて、
初めて質問攻めにしている自分たちに気がつき我に返る。
すみません。
でも面白かったです。
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その後、満田さんと森田さんに今日のイベントと『1995年以後』についてコメントを頂く。
満田さんからは「今日初めてRAJのこれまでの経緯を知ることができたが、途中から言説を知った人も多いので、フォローを忘れないように」というアドバイスも。確かに今までは自分たちのペースで発信してきてしまったが、多くの人を巻き込んで議論を展開している以上、今までの議論を一度整理し、開いていく必要があった。今回、「デザインの部屋」でその機会を頂けたのはありがたい。
後日、満田さんからはとても熱い支持表明がありました。
僕は藤村龍至という男を支持する
「支持する」という立場を、ストレートに言葉にして、かつ公に表明するということは並大抵のことではありません。
こちらの執拗な問いかけに対し、ブログでは厳しいコメントを頂くこともありましたが、メールでは熱い返信を下さったりと、ずっと真摯にボールを返して下さっていました。こちらの思いが伝わって嬉しく思うと同時に、「支持する」と表明して下さった気持ちに応えなくてはと思うと、より一層気合いを入れなければと背筋が伸びる思いです。
誰かが主義を主張して、それについて継続的に議論を繰り返して問題を共有し、支持や不支持を表明する。とても古典的かも知れないけれど、真っ当な言論のあり方なのではないだろうか。
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最後は質疑応答。
Q. 団地マニアのブームのように、仕掛け方で大きな影響を与えることについては?
RAJ vol.3のとき、全国から配布協力者を募集したら、東京からはほとんど応募がなく、地方から瞬時に反応があった。それだけ地方には真剣に議論の場をつくりたいと思っている人が多いということ。
だからvol.8では地方をベースにする人々と議論を展開するというコンセプトにした。趣味の共同体の拡大に留まるよりも、小さくても社会的な問いかけをして、議論のネットワークを増やしていきたい。
Q. TEAM ROUNDABOUTの今後の展開は?
松島「アーキグラムみたいにビジュアルイメージを出したい」
藤井「物理的なメディアの可能性を試したい」
伊庭野「部活と勉強の両立みたいなもの。メリットが無くなるまで続ける」
刈谷「ライブ感が面白いのでその可能性につきあいたい」
山崎「『建築ジャーナリズム』を復活させたい」
僕は「このメンバーでいつか政治にコミットしていきたい。」と答える。
フリーペーパーを作って議論をして、そこで培った問題意識やスキルは、最終的に社会のコアな部分で活かすべきだと考えている。そういう社会的な意思を持たなければ、単に「若手で盛り上がった」という話になってしまうからである。
ある質問に対する答えで岡田さんが「つくる人の言葉しか信用されないのは問題だ」とおっしゃっていた。LRAJ2009でmosakiの田中さんとも少し議論になったが、デザイナーが送り手側、メディアが受け手側と棲み分けるのはおかしい。ともに信念を持って社会に問いかけていく職業なのだから、同じ立場で社会に問いかけていくべき。その意味で「デザイナーはジャーナリストたれ」「ジャーナリストはデザイナーたれ」と言う必要があるのではないか。
ここまで議論を進めてきて、岡田さんがアカデミズム、ジャーナリズム、コマーシャリズムの領域で活動を展開されていることも、RAJでデザイナーが「ジャーナル」をつくろうとすることも、その意味が理解されたような気がした。RAJの活動の総括を超えて、デザインと社会の関係、デザイナーとメディアの関係、批評とは何か、議論することができ、私たちにとってもとても有意義な時間となった。
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今回の議論は大阪、京都とも、とても盛り上がったので、早速東工大の後輩諸兄にお願いして、文字を起こしてもらいました(協力してくれた皆さん、どうもありがとう!)。京都編は岡田さんに質問攻めにした部分を中心にvol.8(2009年3月末発行予定)に掲載したいと考えています。
その後、スフェラの皆さんと集合写真を撮り、関係者で打ち上げ。満田さんがセッティングして下さったお好み焼き屋「竹」にて。京都らしい、濃密な空間で会話も弾む(ex. イハツのレーシック手術話、ゴルフ話etc...)。ひさしぶりにみ江さんにも再会できて嬉しかった。佐藤敏宏さんも思い切ってお誘いしてよかった。
20:30頃、皆さんに見送って頂き、一同帰路につく。タクシーのなかで、心地よい疲労感と感謝の気持ちに包まれる。ブログと終電で始まった小さな活動から徐々に交流が生まれ、問題意識を共有できる方々に出会えたということが、単純に嬉しい。またいつか、メンバーで皆さんに会いにいきたいと思う。
お世話になった大阪、京都の皆さん、貴重な経験をさせて頂き、本当に感謝しています。
fujimura