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dot建築の動詞性

3月7日、8日のイベントは、たくさんのお客さんに足を運んでいただいた。各所でレビューがあがっているように、イベントはそれぞれ本当に盛況でした。観客の皆さんと出演者、スタッフの皆さんに感謝するほかありません。ありがとうございました。時間が経ってなお、感謝の気持ちが体に染み渡っているように思う。とくに京都に戻って以降(『1995年以降』という誤記は、僕も過去のエントリで犯していました…すみませんです…)、松島、伊庭野、刈谷、藤井の各氏とは(本瀬さんとも)、なかなか話す機会も少ないので、もっと言葉を尽くしたいと気持ちを新たにした。

ところで、7日の議論に参加していて考えていたのは「ユーザー」という言い方が持つ魔力で、僕には抽象度が高すぎるように思われた。もちろんこれは1995年をいかに語るのかという問題と同じで、ユーザーという言葉に引きずられることなく、「ユーザーと表現することで何を考えられるのか」と脳内で翻訳する必要がある。

僕は、「使う」という言葉がしっくり入ってこない。端的に言ってあまり好きな言葉ではないのかもしれない。たとえば、「建築を使う」「場所を使う」と言った時、これは日本語として意味が通っていないのではないか、とさえ思ってしまう。「なんでもできる」といった意味で「使う」を用いるとすれば、それはいささか乱暴すぎると思う。例えば、図書館で本を読む人について、「この人は図書館を使っている」とあっさり言ってしまうと、かなり大事な部分を取りこぼすことになるのではないか。図書館ひとつとっても、読む、探す、借りるといった動きの他に、歩く、座る、寝るなどいろいろな動作が積み上がったり、組み変わったりして空間が成り立っているからだ。ただし、それをアクティビティだとか機能主義だとかふるまいだとか言ってまとめてしまうととたんにぼんやりしてしまうので、とりあえずそれを「動詞」と呼んでおこうと思った。動詞は名詞よりも発音や文字に動きを感じられるので、個人的には好きな品詞だ。

7日はdotの3人が立ち位置が定まらず苦労しているように思えたのだが、これは、dotが考えているのが「ユーザー」ではなく、ひとつひとつの動詞だからではないか。極限まで一般化した単語(use)よりも、部分に「動詞」を与えていくことで、そしてその動詞の重なりやズレや置換可能性をひとつひとつ見極めていくことで、dotの建築的実践に踏み込んでいけるのではないかと思う。もちろん、建物の規模の問題はあるだろう。「規模の違い」論に埋没せずに規模問題を相対化する設計の方法を、dot architectsはいつか見せてくれるのではないかと考えた。

yamasaki

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2009年03月23日 12:31に投稿されたエントリーのページです。

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