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ご近所飲み会/プロ目線/批判的工学主義/アーキフォーラム/椿昇

21日はご近所を呼んで夕方の早い時間帯から飲み会。秋にはご近所になる予定の岡田さんご一家もご招待。家族みんなで数日前から心待ちにして、掃除、買い出し、料理で準備を進める。息子も「友達の家に行くよりも来てもらう方がうれしい」とインドア派を地で行く一言。集まったのは、全部で5家族19人。これだけ人間が集まるのだから、さすがにちっとも寒くない。当初はぎりぎりかと予想した家のキャパシティも、もう1家族ぐらいはなんとか入れそう。ご近所飲み会という訓練で、空間を使い切るポテンシャルが向上している。話題は、仕事や教育問題、持ち寄った食事のおいしさ、それぞれのナショナリティ、持ち寄った食事のおいしさ、について皆でがやがやと議論。僕ら夫婦が最も若輩者のせいか、学ぶことばかりで圧倒的に楽しい。23時解散。子どもたちを遊ばせていた部屋が壊滅的に汚れていたので真夜中に掃除。なんとか家らしくなり満足して25時頃就寝。

23日は藤崎圭一郎さん、藤原えりみさんらとお会いして西洞院錦小路で飲む。話題はメディアのあり方など。2次会では、「(山崎は)どういうつもりでRAJをやっているのか」とプロ目線で疑問を投げかけられる。プロ中のプロとのやり取りに緊張するが、岡田さんにフォローされつつ、自分なりの、場のつくり方についての考え方を話す。RAJでは、とにかくみんなが寄ってたかっている状況をつくることが一番大事だと思っているし、この場合はそこにもっとも批評性があると思う、とか。議論のサスティナビリティというものがあるはずで、それは単なる延命措置ではなくて、どう継続するか、という時間との戦いを意識しているのだなと自分で気づく。とにかく遅くまでお付き合いいただく。またぜひお話したいし、そのときにはもっと成長していなければと気を引き締める。岡田さんの机・いす研究も久々に聞いてやはり面白い。

27日は藤村龍至レクチャー。批判的工学主義についてまとめて考えるいい機会になった。それなりに分かっていたつもりだったが、細かいところをよく理解できた。一つ一つ問いを見つけてそれに答える。それを何十回も続けると、一石一鳥の案が一石二鳥になり、それが一石四十鳥になっていく。それまでの問題に必ず回答してある、という過程は強度が高い。藤村くんは模型に対しても、絶えず議論しているのだろう。だとすれば、議論の場の設計そのものが、設計の手法と化しているわけだ。
工学主義/反工学主義/批判的工学主義の枠組みに対応する建築家像は、それぞれ組織/アトリエ/新しいやり方、に対応しているのだが、それが「働き方のスタンス」に対応しているようで面白いなと思った。比較対照される1920年代の機能主義/反機能主義/批判的機能主義は、どうもそうではなさそうなのだ。どこで働くのか、という所属の問題になっているように感じた。だから社会学的な言説との相性がいいのかな、とかぼんやりと思う。
批判的工学主義の肝は、設計・設備・構造といった「建築をつくるいくつもの領域」からそれぞれ専門家を集めて、協同する点にあると思うのだが、その協同性がどのように新しく、過去と異なっているのか(あるいは「組織」と違うのか)を考えてみたい。単に「若いから誰も大御所化しておらず、だからできる」ということではないだろう(前川國男にしろ丹下健三にしろ、構造家との共同作業は欠かせなかった)。個人がその主体性を放つよう強烈に求められる点で、近代人がたどり着いた、「あるやり方」なのだろうと思った(逆に、属性の異なるいくつかの集団を傘下において、それぞれの集団にそれなりの主体性を求めるのが会社組織か)。個人がつながる協同性がどう新しいのか。その個々人だからこそ「クリエイティブなアーキテクチャ」を設計できるのか。4月10日のジュンク堂書店新宿店での難波さんとの対談を契機に、またどこか新しい思考にたどり着くのだろう。その後RAD事務所に移動して4時前まで飲む。

28日は藤村くんと森田さんを出町柳に送り届け、残りの午前中は掃除(毎週土曜午前)。午後から大阪に移動して、長坂常さんのアーキフォーラム。長坂さんは「リノベーションはかっこ悪くなりようがない」など名言を連発。「当たり前」を次々とひっくり返す手法は、一見トリッキーで驚かされもするのだが、実は、デザインにとってもっとも「当たり前」の態度なのかもしれない、と思い直す。奥さんは「会場からの質問で、質問する人が長坂さんの仕事にびっくりしすぎていたことにびっくりした」と言っていた。うん、そうだよね。長坂さんが言うところの「A面」の建築も見てみたい。途中藤村・谷尻両氏のいるバーに移動して(dotの家成さんが内装を手がけたらしい)3時過ぎまで飲む。飲み過ぎである。大阪にある奥さんの実家に泊。

29日は、京都国立近代美術館で椿昇展の最終日に滑り込む。素晴らしい。息子のマキも作品に興奮。現代アートの展覧会は子どもも好きなように楽しめるからいい。しかも最終日だったためか、作家本人が来場して、観客の質問やサインに応じていた。距離近すぎである。帰り際にマキが意を決して、「(そもそも)なんで宇宙に行くお話しなの」と椿さんに質問(!)。すると椿さんはマキの目をじっと見つめて、宇宙へ行きたいと願い続けた人間の欲望について、ガリレオの天体観測や、20世紀のロシアの気球から何から、手加減なしで(と見えた)、4歳児に熱心に話してくださった。最初は圧倒されていたマキも、一段落ついたところで、にやっと笑って「もっと聞きたい……」とつぶやく(!)。すると椿さんは「分からない話でも子どもって何か感じてくれるよね」と喜んで、さらにお話しを続けてくださる(ハンバーガーを食べるときは牛のことを思い出そう、とか。牛が生け贄にされる映像作品があった)。

見知らぬおじさんが自分のために、自分のまったく与り知らない、もう訳の分からない「お話」を楽しそうにしゃべってくれる。これは相当面白いに違いない。未知の絵本を読む面白さに近いのだろうか。絵本の絵の代わりに、ばかでかい作品がそこら中にあり、しかも作者がすぐそこにいて好きなように説明してくれる。最後は「たまにでいいから、空や雲や、木に留まった鳥とか、遠いところを見るといいよ。上を向いて歩こう」とすてきなアドバイスをくださった。帰りのバスを待つ間「今日はいいことばっかりある日やったなぁ」とマキもかなり満足げ。椿さん、ありがとうございました。


yamasaki

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2009年04月07日 13:02に投稿されたエントリーのページです。

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