« 2009年04月 | メイン | 2009年06月 »

2009年05月 アーカイブ

2009年05月03日

福岡シンポジウム・ツアー開始

デザイニング展シンポジウムツアー、初日が開けました!

早速レポが上がっております。
デザイニング展/transmission セッション1(hand, made)
DESIGNING? transmission#001 KICK OFF (KA4K)
"TRANSMISSION"_1日目 (MG54σ)
デザイニング展 transmission#001 (S2)
ROUNDABOUT JOURNAL×DESIGNING展(hiroaki_imabayashi blog)
#001 transmission KICK OFF (だいたいでいいのです。)

9:30羽田発、福岡空港着。チェックイン後、デザイニング展のメイン会場である天神のIMSへ。井手健一郎さん、平瀬有人さんと合流。会場がでかい、というかデパートのアトリウム(!)。「公開処刑ですね、ガハハ」と井出さんが笑う。コメンテータの松岡恭子さんも合流し、打ち合わせ。

14:30本番スタート。オーロラビジョンにスライドが映っている。「15:00に一旦CMが入ります」って、テレビ局ですかここは。

会場が大きいと声を張らざるを得ない。駅前広場で演説する政治家になった気分である。広島では声が小さくて聞こえなかったと言われたので、頑張って話す。井手さんは声がでかい。谷尻さんも声が大きかった。社会に対する気合いのようなものを感じる。

松岡さんからは「速度」「社会性」というキーワードを頂いた。短い時間に的確なコメントを頂き、感謝。

終了後、井手さんの案内で大名地区に点在するデザイニング展の会場を回る。いろいろな場所でプロダクト・デザイナーや建築家、家具メーカーなどが工夫を凝らして展示をしている。これだけの広がりのある展示を井手さんたちがわずか3名でこなしているというのが驚きだ。

展示会場をまわりながら、同世代のデザイナーたちといろいろ話す。プロダクトの人と話すと柳原照弘君の名前がよく出る。多くの人が4日19:00から行われる「若手建築家のアジェンダ」行きますよ、と言われる。テンションの高まりを感じる。

「若手建築家のアジェンダ」会場にて、フリーペーパーROUNDABOUT JOURNAL vol.8を4日の配布を開始します。偶然ですが、今回のインタビュイーは、巻頭の山本里美さんを始め、迫慶一郎さん、井手健一郎さんと、福岡県出身者が多く集まっています。井手さんインタビューはデザイニング展の開催趣旨に通じるものになっています。お楽しみに!

今日はこのあと、14:00から再びIMSアトリウムで学生展講評会、20:00からTIME & STYLEでレクチャー+討議です。


fujimura

2009年05月04日

福岡2日目

福岡2日目終わりました。

#002 デザイニング学生展 (講評会)
デザイニング展/transmission セッション2 (hand,made)
transmission #002 レポート(空間と風景と手に届く範囲のこと)
”TRANSMISSION”_2日目vol.1(MG54σ)

#003 STUDENTS MEETING(藤村レクチャー)
デザイニング展/transmission セッション3 (hand,made)
transmission #003 レポート1/2 (空間と風景と手に届く範囲のこと)
transmission #003 レポート2/2 (空間と風景と手に届く範囲のこと)
”TRANSMISSION”_2日目vol.2(MG54σ)
#003 transmission (だいたいでいいのです。)

午前中は平瀬有人さんと待ち合わせ、九州大学西新プラザでアーキニアリング・デザイン展の九州巡回展を見る。東京でも見たが、濃密な展示であると改めて思う。

構造表現はざっくりいってタワー(高さ)、ドーム(スパン)、パビリオン(繊細さ)であることを実感する。現代社会ではそれらがタワーマンション、ショッピングモール、住宅に展開されている。「アーキニアリング・デザイン」の示す工学の技術的側面を「批判的工学主義」の社会的側面に結びつけたら面白いかも知れない。

14:00から#002デザイニング学生展レビュー。昨年のデザイニング展に参加した学生が結成したグループが大名地区に提案を行う「大名の風景を変える」プロジェクト。大きな会場にもだいぶ馴れて来た。

バッグ、みどりの日JACKという色眼鏡、地面をキャストした作品、風船を飛ばすプロジェクト、写真を剥がすと色が出て来るというモデル、大きなスカート、参加型写真展のプロジェクトなど8作品を順番に講評。

続いて「他者にどう参加させるか」「どういう行動をとらせたいか」「大名について思うこと」になどついて意見を聞く。初日に示した「東京の建築家=メディア、福岡=サイト」という図式はここでは崩れ、サイト派よりメディア派が多数を占めたことが意外だった。

また、提示されていた作品の多くが参加型で、デザイニング展のコンセプトと共振していたことは印象的だった。

#003はTIME AND STYLEに移動してSOUTH JAPAN STUDENTS MEETING。前半は藤村のレクチャー。「愛と力の関係」と題して「BUILDING K」「批判的工学主義」「超線形プロセス」に至るまでのフルコース。末廣香織さんと平瀬有人さんにコメンテータをして頂く。

末廣さんはオランダ文脈から、平瀬さんからは古谷研>スイス文脈から、「批判的工学主義」の背景になっているアーキテクチャ>オランダ文脈を批評して頂く。おふたりとも大学で教えていらっしゃるので教育の観点からも意見交換。

平瀬さんとは「せんだいメディアテークコンペ」(1995)で伊東案が勝って以降、原っぱのような曖昧な空間を旨とする「ランドスケープ型」が主流になったが、社会全体は厳密なコントロールを旨とする「アーキテクチャ型」が主流となった。後者をフォローする建築論が不在であるという認識で一致。どこへいっても提案がカフェみたいな空間ばかりになっている昨今の卒業設計の状況を見ても、古谷案の読み直しから建築批評の全体を組み立て直さなければならないだろう。

そのほか、ネクサスプロジェクトでローカル・アーキテクトをされていた井本さんより作家性や芸術と工学の関係についてコメントを頂く。オーセンティックな作家であるホールに対し、コールハースはまさに「考えるな」の人だったという。コールハース的非作家の作家性の可能性について討議する。

学生たちからは活発な質疑。二次会に移動して討議の続き。「超線形プロセスではガウディのような建築はつくれないのではないか」などと、なかなか生意気でよろしい。4:00にホテルに戻る。

今日はこれからIMSで#004「リノベートのはなし」。19:00から紺屋2023屋上で#005「若手建築家のアジェンダ」でファイナルです。

fujimura

2009年05月06日

福岡3日目・建築の将来を考えた3日間

福岡3日目終わりました。

#004 リノベートのはなし
デザイニング展/transmission セッション4 (hand,made)
”TRANSMISSION”_3日目vol.1(MG54σ)
transmission #004 レポート(空間と風景と手に届く範囲のこと)
#004「リノベートのはなし」終了しました!!(公式ブログ)

#005 若手建築家のアジェンダ
デザイニング展/transmission セッション5 (hand,made)
”TRANSMISSION”_3日目vol.2(MG54σ)
transmission #005 レポート1/2 (空間と風景と手に届く範囲のこと)
若手建築家のアジェンダ 福岡 (hiroaki_imabayashi blog)
DESIGNING? transmission #005「若手建築家のアジェンダ」(blog*watari)

午前中はカフェで原稿とスライド作成。昼過ぎにIMSへ。出演者の皆さんとの挨拶もそこそこに#004「リノベートのはなし」開始。発表はアイウエオ順に、井手健一郎>斉藤昌平>貞国秀幸>野田恒雄>春口治彦>松山真介(敬称略)。

発表を聞いていて、「リノベーション」という領域は、建築的思考と不動産的思考が交差するということが濃密に現れる場所だと改めて思った。そこで、席順を入れ替え、建築チーム=井手・斎藤、不動産チーム=貞国・春口に分け、間にハイブリッドチーム=野田・松山に座ってもらった。するとアプローチの違いが一目瞭然。瞬時にして建築的なモデレーションになった。アトリウムの反対側から見ていてもわかる。

野田さんが憮然としながら「(建築家だと思われていないので)自分もまだまだだと思いました」と言う。強引なカテゴリーだからカテゴライズされた方は不快に思われたかも知れない。自分もよく「論客」(=蔑称)と呼ばれるのでよく分かる。だが、僕はむしろそのアプローチの違いこそを強調した方が野田さんのやろうとしていることの価値が伝わると思う、と伝えると少し表情が和らいだ。

アプローチの違いを整理して、それぞれにスタンスを述べてもらい、リノベートをめぐるデザインの可能性を明らかにしてトーク終了。

終了後、井手君が「柳原さん来てませんでした?」と言う。人違いでは、と片付けをしていたらなんと本人降臨!!「打ち合わせを片付けて来てしまいました」という。爽やかすぎるのでは。

一緒にラーメンを食べる。柳原君と井手君は主張やスタンスに共通点があるが、両者が並んでいるところに初めて居合わせた。繊細で爽快な作風も似ている。アジェンダに参加して欲しかったが、どうしても戻らなければ行けないという。残念だが、出たばかりのフリーペーパーも渡すことが出来たし、このタイミングで会えて良かった気がする。

#005はいよいよ総仕上げ。紺屋2023にて出演者の皆さんと会い、ご挨拶。あいにくの雨で屋上は使えず。出展者の坂下和長さんにはご迷惑を掛けてしまったが、2階のギャラリーを使わせて頂くことになり、熱気の感じられる空間に。

発表はくじ引きで井手健一郎>二俣公一>平瀬有人>イノウエサトル>清原昌洋>相良友也(敬称略)の順。井手さんは「翻訳」、二俣さんは「場の力/生む力」、平瀬さんは「ローカリティ/祖形」、イノウエさんは「芸術工学」、清原さんは「わかりやすさと多様性」、相良さんは「居心地のデザイン」と、興味深いキーワードが並ぶ。

福岡で場所性や作家性を切り口にアイデンティティの話をしよう、と呼びかけたら意外にも「入力」と「出力」に代表される情報技術をメタファーにしたデザイン論の話になった。

そこで再び「建築的モデレーション」を敢行し、アプローチ別に形式知的アプローチを取る井手・平瀬チーム、暗黙知的アプローチを取る相楽・二俣チーム、その間で揺らぐイノウエ・清原チームに分け、最も形式的な井手さんから最も暗黙的な二俣さんの順に並んで座って頂く。アプローチの違いが明確になる。

議論の終盤、デザイナー像を社会に伝えたい、と主張する井手さんに対し、イノウエさんが「井手君は若い」と諭す場面があった。ヴァレリーを引き合いに「藤村さんは若いですね」という難波さんのことを思い出した。

建築と都市──1970年、1995年という転換点を超えて (10+1 website)

知を形式化して社会に伝えたい。でもそれは「無名の質」を持っていて欲しい。それは一見矛盾する願いのように見える。6名の発表とその後の討議では、その矛盾を乗り越える、という共通の意思と、アプローチの違いを確認できたように思える。

質疑応答の時間をあまり取れず、観客の皆さんの反応を確かめられなかったが、レポートを読む限りでは皆さんにもある程度問いを共有できたようだ。

ところで、「情報技術をメタファーにしたデザイン論」については松川昌平さんが刺激的な論考を発表している。
「サスティナブル・デザイン+建築の四層構造」と「批判的工学主義+超線形設計プロセス」を「アルゴリズミック・デザイン+進化的設計プロセス」の視点からとらえる試み (10+1 website)

ROUNDABOUT JOURNALでは「1995年以後」=情報化と郊外化と捉え、前者を建築の問題(=vol.1)、後者を都市の問題(=vol.2)だと仮定して議論を展開して来たが、福岡でローカリティについて議論している限りは両者は限りなく連続した問題であると捉えられる。古谷研(情報空間論)>スイス(オーセンティックな場所)>福岡(郊外化)と移動し、ローカリティについて論じる平瀬君の主張はとても示唆的だ。

ちなみに、面的にスタディを展開して判定を繰り返して集合知を形成し、場所の固有性を読み込もうとする井手君の主張は、松川さんの藤村批判にほぼぴったり重なっている。

終了後の懇親会で、#004で討議した野田さんと再び話す。「議論は面白かったが、なぜこのような議論をするのか」と聞かれる。建築の価値や可能性を社会に広めるには、段階的に広める必要がある。だからスタンスを確認するような「議論のための議論」が必要なのだ、と説明するも、半信半疑。

ところが、建築を大学院から学び始めた、と伝えると納得してくれた。なるほど。建築しか知らない人間が、建築の価値を主張して回っているとすれば、それは確かに狭い議論である。建築の外から建築を学んだ人間が建築の価値と可能性を知り、それを社会に伝えるために建築家に呼びかけて回っているとするならば、僕らの活動についても多少は受け取り方が変わってくるだろう。

今回に限らず、ROUNDABOUT JOURNALの一連の活動は、そうした理解の不適合を取り除く作業から始まる。議論=閉じた活動という理解が前提だからだ。

しかし、議論はそもそも、個人の思想を社会に開くためにするものである。それを繰り返し訴えていくと、誤解を解けた人から順に共感を示してくれるようになる。次に会うときには同じ問いのもとにもっと生産的な議論が出来るようになるだろう。関西でも、広島でもそうだった。

「伝え方をデザインする」と主張する井手君も恐らくそういうことを考え、迷い、試行錯誤しているのだろう。デパートのアトリウムで建築のコアな議論をするという一見無謀な試みも、最終日にはむしろ自然なことのようにも思えて来た。発表する方もこなれて来て、足を止める観客も増えてくる。社会に建築家の役割を伝える、ということは、むしろこういう流動的な場所でふだん繰り広げている濃密な議論を展開することだ、とすら思えてきた。

ほとんど寝てないと言いながら淡々とクレームを処理し、学生を仕切り、スライドを準備してトークをこなす井手君には今回本当に刺激された。彼はそういう社会的な姿勢を「デザイニング展」に教えられ、身につけたのだと言う。参加した学生の皆さんも、地元の建築家やデザイナーの皆さんも、デザイニング展のような問題提起に学ぶところは大きいのではないかと思う。

僕も多くを学ばせて頂いた。福岡にも、たくさんの面白い建築家やデザイナーがいることを確かめられた。またいつか議論の続きをしたい。このような機会をつくってくれた井手さんや関係者の皆さんに改めて感謝したい。

こうした刺激的な試みや議論の輪が全国に広がるといいなと思う。RAJでも関西>広島>福岡と活動を展開して来たが、もっといろんな地域と連係して共に建築の可能性について考えていきたい。そうすることが、「建築は要らない」という社会に対して自分たちの役割を見つけることに繋がるはずだからだ。

郊外化という1995年以後の社会的状況を食い止めるために、情報化という同時代の技術的環境の広がりを最大限使わない手はない。今回のブログレポートも、そうしたグランドデザインに対して少なくない貢献をするはずだ。参加してくれた皆さん、どうもありがとう。
fujimura

2009年05月07日

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8 完成!!

ついに完成しました!!

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8
特集:マイ・アイデンティティ
私らしさを纏うために

巻頭インタビュー:山本里美 [LIMI feu]
「私らしく、日本人らしく、女性らしく」

インタビュー
五十嵐淳(北海道):「『天国』のような空間をめざして、『セオリー』を構築する」
迫慶一郎(北京):「ビジュアル・インパクトで『工学主義』的状況を一点突破する」
山梨知彦(東京):「データベース的建築家像とオープン・プロセスの可能性」
柳原照弘(大阪):「『デザインする状況』をデザインする」
井手健一郎(福岡):「『デザインすること』について考え、社会に対峙する」
岡田栄造(京都):「ジャーナリストとデザイナーの関係」

シンポジウム
1.神戸:「デザインの根拠を考える」若手建築家のアジェンダ (2008.7.10)
2.広島:「建築の前提を信じること」若手建築家のアジェンダ (2008.9.19)
3.東京:「アーキテクチャとは何か!?」LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009 (2009.1.31)
4.東京:「アーキテクチャを設計する方法」LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009 (2009.1.31)
5.大阪:「コミュニケーションとかたちの関係」 (2009.3.7)

テキスト
鈴木亜生:「『情動』を設計する --中村拓志『Lotus Beauty Salon』をめぐって」
山崎泰寛:「ベネチアビエンナーレ2008 観戦記 --オランダ館に発見した議論の場」

SYMPOSIAST
1:柳原照弘・市井洋右・SPACESPACE・笹岡周平・今井敬子・dot architects・山崎亮
2:小川文象・石川誠・土井一秀・谷尻誠・満田衛資
3,4:成瀬友梨+猪熊純・乾久美子・mosaki・柳原照弘・寳神尚史・dot architects・勝矢武之・山崎亮・原田真宏・長坂常・石上純也・藤本壮介・倉方俊輔・南後由和・濱野智史
5:柳原照弘・SPACESPACE・dot architects・山崎亮

今回はRAJ史上最も濃密です!! テーマはアイデンティティについて。すなわち作家性と場所性についてです。「1995年以後」「都市ビューティ革命」「愛と力の関係」と来て、「アイデンティティ」にたどり着きました。

vol.3の配布協力者をネットで募集した際、東京付近からほとんど応募がなかったかわりに、地方からはたくさんの応募がありました。その反応を見て、本当に「議論の場を設計する」必要があるのはメディア環境に恵まれた東京ではなく、地方なのだということに私たちは気がつきました。

そこで私たちはメディアと地方の関係を軸に、東京のアトリエ派以外の建築家たちと議論を展開し、作家性について、場所性について、インタビューやシンポジウムを繰り返しました。メディアを介してしか社会と関われない東京の建築家と異なり、地方にはダイレクトに社会と関わる逞しい建築家の姿がありました。最初はぎこちなかった討議も、回数を重ねていくと次第に問題が共有され、生産的な雰囲気へと空気が変化していきます。

1月に行われたLRAJ2009では、神戸や広島で得た刺激を東京へ持ち帰ろうとし、さらにそこで得た論点を3月の大阪のシンポジウムでまとめ上げようとした様子がおわかり頂けると思います。

配布は段階的に行います。入手方法については当ブログ等で順次告知していきます。乞うご期待!!
fujimura

2009年05月09日

RAJ8 INAX:GINZAほかで配布開始!!

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8の配布が始まりました。

以下の場所で、置かせて頂いております

【東京地区】
-INAX:GINZA(5/8配布開始)
 LRAJの開催場所であり、いつもお世話になっております
 僕らにとってはホームグラウンドのような場所です
-南洋堂書店(5/8配布開始)
 2月にTRAと平塚桂さんとのトークショーをさせて頂きました
 『1995年以後』が2月売り上げ2位!! ありがとうございます
-ジュンク堂新宿店(5/10配布開始)*
 4月に難波和彦さんとのトークショーをさせて頂きました
 6階建築雑誌コーナー、7階哲学雑誌コーナー、8階デザイン雑誌コーナーで展開して頂いています

【京都地区】
-sfera archive(5/10以降配布開始)
 3月に「デザインの部屋」でお世話になりました
 同所で収録した岡田栄造さんインタビューはRAJ8に完全収録!!
-media shop(5/10以降配布開始)
 3月にレクチャー「google的建築家像は可能か」をさせて頂きました

【大阪地区】
-INAX the TILE SPACE(5/14以降配布開始)
 3月に「続・手の内側」を開催させて頂きました
 RAJ8にもその記録が完全収録!!
-柳々堂(5/11以降配布開始)
 vol.1より配布して頂いております
 3月にはTRAメンバーで訪問させて頂きました

【福岡地区】
-ジュンク堂福岡店3F建築書コーナー(5/11以降配布開始)
 デザイニング展のメイン会場IMSの隣です
 「若手建築家のアジェンダ」に来れなかった方はぜひこちらで

各箇所250部限定です。追加はありませんので、なくなり次第終了とさせて頂きます。お早めに!!

松島JPも書いていますが、ROUNDABOUT JOURNAL vol.8は、『1995年以後』と併せてお読み頂くと、面白さが倍増します。

『1995年以後』ブログ・レビュー vol.1
『1995年以後』ブログ・レビュー vol.2・完成版

東京・京都・大阪・福岡以外での配布方法は、後日お知らせします。乞うご期待!!

*お詫び ジュンク堂書店新宿店では、棚卸し等の都合上、実際の配布開始は5/10午後になったとのことです。5/10の午前中にお問い合わせいただいた方もいらっしゃったようで、大変申し訳ありません。お詫び致します。

なお、各箇所ともバックナンバーの在庫はありません。あしからずご了承下さい。
fujimura

2009年05月15日

『凸と凹と』感想

 竹中工務店『凸と凹と』ワーキンググループ+長谷川直子著『凸と凹と』を読んだ。これは竹中工務店の建物と設計者がたくさん載っている本で、今回、そのレビューを書くお誘いを受けた。実は先月倉方俊輔さんのレビューにうっかり目を通してしまい、レビューはこれ一本でいいのでは……と思ってしまった。何しろ書籍の内容の紹介、位置づけ、読者としての要望など、ひととおり以上の濃さで完璧にレビューされていたからだ。うーん……。影響されやすいので、一通り忘れてから書くことにしよう。

--
 ということで気を取り直して、感想を書きます。
 まず、建物は、やはり、とてもたくさんの人数がかかわって建ち上げられているということ。そして、その大勢の中の誰かが、最後に何かを決めているということがよく分かる本だった。たくさんの社員が、よってたかって担当者の相談相手になっている構図、とでも言えば良いだろうか。
 ごく当たり前のことだと言われるかもしれない。しかし、とかく匿名性が高くなる会社組織(それも巨大な組織)において、竹中工務店の「中の人」が実名で、しかも多くは顔写真入りで登場し、発言している。一般書店で売られる本としては、画期的な出来事だ。出版社を子会社に持つ鹿島建設だって、こんなプレゼンブックはつくっていないはずだ。

--
 僕が一番面白く読んだのは、206-207ページの「デザインレビュー ----組織で設計するということ」という記事だ。DR(デザインレビュー)と称される社内のデザイン検討会議を説明したもので、毎週月・火曜日の13時から行われる「関門」の様子が描かれている。
 一つの建物にとてもたくさんの人間がかかわることのできる方法。竹中工務店という会社組織がそういった設計の方法を持っていることが、ひしひしと伝わってくる。全体のボリュームにとっては決して多くないこの2ページにこそ、竹中工務店の「なかみ」がしっかり表れていると思った。
 会議の機微も感じられる。「大勢の社員が、担当者の相談相手になっている構図」がよくわかるし(否定ではなく、設計に説得力を持たせるための相談)、社内に満たす前向きな空気を表しているように思えた。そういったものを、あるいは社風と呼ぶのかもしれない。とにかく、もっと膨らんだものを読みたいと素直に感じたページだ。
 同様の理由で、202-205ページの「現場のおしえ」もとても面白い。「総括」と呼ばれる上司からのアドバイスがどのように設計を変え、あるいは設計者を変えたのかが、建物を通してじわじわと読者に伝わってくる。建築書が、専門家以外に面白がられることがあるとすれば、それは、こういった生々しいプロセスを紹介できたときなのかもしれないと思わされた。

--
 ところで、『凸と凹と』(でことぼこと)と銘打たれたこの本だが、僕は、凸についても凹についても、実は書かれていないような気がした。この本に書いてあるのは、凸と凹を重ねたときに生まれる接着面のありようや、重ね方=ストーリーだからだ(ついでに言うと、凸とか凹とかに分けて考えると、わからなくなるものがあるな、とも思った)。
 あえて言うと、各々の建物がつくられる過程をストーリーだてた文章については、もちろん面白く読めはしたものの、反面、物足りなさも残った。
 たぶんそれは、竹中工務店以外の人間が不在だったからだと思う。ともすれば社員同士が思い出話に花を咲かせているようにも読めた瞬間に(もちろんそうじゃないですが)、読者である僕は、どこか疎外感……というか、参加できないな、と感じてしまったことを告白しておきたい。一言で言えば、「俺、竹中の社員じゃないなー」と思わされたということだ(当たり前だけど)。そして、設計者じゃないんだな、とも思ったのだ。あるいは単に僕のコンプレックス(単にうらやましいだけ)なのかもしれないけど。
 クライアントを引っ張りだすのは難しかったのかもしれないが(最後の手紙は泣けました)、社外の人が多少でも話し相手に選ばれていたら、と思う。あるいは、個々のストーリーがつやつやの成功潭で、きれいすぎて見えたからなのかもしれない。
 その意味でも、施主・設計・施行のすべてを担った(施主を兼ねられるのがすごい)東京本店のプロセス(たとえばDR)を、もっと知りたくなった。平松さんの「光の教会」や「東京都庁舎」でもいいのだが、「竹中工務店東京本店」だからこそ伝えることができる建築の面白さだってあるだろうし、それは新鮮な印象を伴って受け入れられるように思ったのだ。

--
 最後に、レビューの機会をあたえていただいた長谷川直子さんに感謝いたします。ありがとうございました。

yamasaki

2009年05月17日

超線形プロセス・スタジオ、快調!?に進む。

11日。首都大エスキス。12日は理科大エスキス。

首都大の方はだいぶ佳境に入ってきました。残すエスキス・チェックはあと1回。

気持ちはいつもLondon calling(post_tokyo)

(1)初回のポイントはボリューム=面積だということ。なんだそんなこと、と思うが、ボリューム=ただのカタチだと思っていた人が多く、ほとんどの人は必要な面積を全然満たしていなかった。必要な面積を取りつつ、カタチを調整してルールを発見することを教える。

(2)その次のテーマは寸法。「テーブルの高さ知ってる?」と全員にその場でテストしたら、合っていたのはわずか数名。ダイニングテーブル、キッチン、ベッドなど、エスキスしながら教えて行ったら今週はだいたい合っていた。家具の寸法だけじゃなくて、家具と家具の隙間も、特定の寸法で決まっていることを教える。

(3)次は構造。構造芯の通し方、柱の落とし方など、基本的な事柄を教える。構造芯と敷地の境界線だけでも捉えるべき情報はいろいろある。その抑え方を教えるとただの箱が、コンテクストを読み込んだ濃密なフレームへと進化する。

(4)そして今週は再び家具である。面積も押さえられ、プランニングも構造も出来た、となったら、次は家具の「向き」である。ダイニングテーブルにも、ソファーにも、キッチンにもベッドにも、あらゆる家具には「向き」がある。背にする壁もある。それを教える。

そのときに、重要になるのが「意識の向かう先」である。家具の向きは意識の向きである。「この家の中心はどこですか」と聞く。中庭だったり、リビングだったり、階段だったり、前庭だったり、人によって全く違う。「ここです」という場所に向けて、家中の家具の向きを集めて中心をつくって行く。家具も、構造も、開口も、その家のあらゆるエレメントの意味がそこで確定するだろう。

今週はここまで。次週は屋根と窓あたりが最後のチェック項目となり、おおよそ住宅の全体像が概観できるだろうか。

現段階では蓄積をもとにイマジネーションを膨らませられている人もいるし、空回りしている人もいる。履歴が可視化されるので、アイディアを積み重ねられているかどうか、設計力がはっきり出てしまうのが少々酷だが、ここは粘りどころだ。

学生諸兄はあまり焦らず、今までのように目の前の問題をただ解き、フォードバックしつつ、イマジネーションを膨らませることに集中して頂きたい。それだけでよい。

理科大はボリュームとプランニングを洗っている段階。今週は構造がトピック。床は4本の柱で支え、梁は柱の交点にあるのですよ、と教える。テーブルから1本の脚を取り、3本足で支えたような模型がある。そこにどういう力が働きますか、と聞く。

次週は大野博史氏に来てもらい、中間講評を行う予定。

fujimura

RAJ8 全コンテンツ解説+配布協力者先着20名募集

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8、全コンテンツの解説をお届けします。

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8
特集:マイ・アイデンティティ
私らしさを纏うために

P.1 巻頭インタビュー:山本里美 [LIMI feu]
「私らしく、日本人らしく、女性らしく」

「アイデンティティ」というテーマに対して、巻頭インタビューを誰にするか、随分考えました。リサーチを重ね、「LIMI feu」の山本里美さんに受けて頂くことができました。2007年にパリコレにデビューし、2008年パリに路面店がオープン。今とても勢いに乗っている方です。

お話を伺って、我々の直感はあまりにも当たっていることが確かめられました。拡大を続ける大手アパレルブランドの前に「生きた化石」のように服を作り続けるデザイナーズ・ブランド、という構図は組織とアトリエの対比と重なります。30代のデザイナーが今、何をなすべきか、ビジネスとクリエイションのバランス、都市や建築について、など、今回の特集で考えるべき課題が全て出てきます。単なる異分野交流ではない、まさに巻頭インタビューにふさわしい内容。

P.2 五十嵐淳(北海道)インタビュー
「『天国』のような空間をめざして、『セオリー』を構築する」

「そもそも都市について論じることに何の意味があるのか」とのっけからRAJの活動に懐疑的な五十嵐さんとの対話。「好きだからつくる、で何が悪いのか」と疑念をぶつける五十嵐さんの問題意識を、徐々にほぐそうと試行錯誤する過程が読み取れます。『1995年以後』の藤本壮介さんや、大西真貴さんらのインタビューのように、多少対立的な意見を持つ人とのディベートは、互いの主張の前提を明らかにするので、濃い議論になりますね。

P.4 迫慶一郎(北京)インタビュー
「ビジュアル・インパクトで『工学主義』的状況を一点突破する」

昨年秋の建築夜楽校「グローバル社会における建築的思考の可能性」でタワーマンションについて議論した翌々日に収録しました。都市についての興味から山本事務所へ、建外SOHOでの経験、中国の若手建築家たちについて伺いながら、迫さんの建築やメディアに対する方法論にとても肉薄した内容になっています。迫さんの対峙している状況は単なる中国固有の状況ではなく、グローバルな状況なんだということを伝える内容になっています。

P.4 山梨知彦(東京)インタビュー
「データベース的建築家像とオープン・プロセスの可能性」

山梨さんと最初にお会いしたのも、建築夜楽校「グローバル社会における建築的思考の可能性」の事前打ち合わせでした。組織とアトリエの技術の格差が決定的になりつつあり、メディアがアトリエ派の建築家ばかりをアーティストのように扱う昨今、この状況を真剣に考えないと、クリエイティブに建築を考える環境はどんどんなくなっていってしまいます。山梨さんは組織設計事務所の限界と可能性を熟慮し発言している、数少ない建築家だと思います。

圧巻は後半。オープン・プロセスとワンストップ・サービスの対立についての議論です。組織とゼネコンの対立(いわゆる専兼問題)は建築業界にとって古くて新しい問題ですが、商業主義が拡大する昨今では、設計事務所は設計プロセスを見直し、設計のあり方を考えないと設計施工に負けてしまうかも知れない。設計の情報化は「設計」という専門職を守るための、最後の切り札になるでしょうか。

P.6 柳原照弘(大阪):「『デザインする状況』をデザインする」
P.6 井手健一郎(福岡):「『デザインすること』について考え、社会に対峙する」

柳原君と井手君は、今僕がもっとも共感するデザイナー、建築家です。RAJのコンセプト「議論の場の設計」ととても近い問題意識を持っており、しかもどんどん行動していて、いつも刺激を受けています。

柳原君の発表を最初に神戸で聞いたとき、こんなにも考えの近い人がいるのか、と感動したことを思い出します。スタイリッシュで知的なコンセプトの背後にある、社会に根ざした自分の立ち位置と戦略。ここでは、彼のルーツから転機、デザインについての考え方等、じっくり読むことが出来ます。

井手君にお会いしたきっかけは、彼からのメールでした。BUILDING Kの事務所でお会いしてみてピンと来て、すぐインタビューをお願いしました。なぜデザイニング展をやろうと思ったのか、そこから学んだことは何か、今どんなことを考えているか、こんなにクリアに語れる人はなかなかいないのではないでしょうか。

全体としては、対立的な五十嵐さんから徐々に共感的な柳原君、井手君へと緩やかなこう配を描いていますね。

P.8 神戸:「デザインの根拠を考える」若手建築家のアジェンダ (2008.7.10)
P.8 広島:「建築の前提を信じること」若手建築家のアジェンダ (2008.9.19)
P.10 東京:「アーキテクチャとは何か!?」LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009 (2009.1.31)
P.11 東京:「アーキテクチャを設計する方法」LIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009 (2009.1.31)
P.12 大阪:「コミュニケーションとかたちの関係」 (2009.3.7)

後半は各地で展開されたシンポジウムの収録です。いろいろなところを回ってみて、社会との接続の仕方が神戸、大阪はダイレクト型、東京、広島はメディア(作家)型という感触がありました。

そこでRAJは大阪組と集中的に議論を展開するという作戦に出ました。LRAJ2009では大阪から3組来てもらい、その熱が冷めないうちにもう一度討議を反復しています。神戸>LRAJ>大阪と議論を続けて来て、最後には「アーキテクチャ」の概念を手がかりに、作家性の再定義によって場所を取り戻す、という議論のフレームを獲得することができました。RAJの議論の最も進化形ではないかと思います。

P.12 岡田栄造(京都)インタビュー
「ジャーナリストとデザイナーの関係」

岡田さんの「デザインの部屋」にて、後半部分で逆インタビューさせて頂いた部分を収録。「別に『議論の場』は設計したくないんだよね」という岡田さんのスタンスを伺いつつ、後半ではRAJの将来目標について確認する場面もあります。

P.14 鈴木亜生
テキスト「『情動』を設計する --中村拓志『Lotus Beauty Salon』をめぐって」

元NAPの鈴木さんの論考。NAPの「Lotus Beauty Salon」を平田晃久の「桝屋」、乾久美子の「新八代駅前のモニュメント」と比較して論じ、形式と表層のハイブリッドを実現している同プロジェクトの特異性を論じています。あえて若手の作品に限定して論じることで、それぞれの作品の可能性の広がりが感じられるところがいいですね。最近では、そういう具体的な作品批評の場もなかなかありません。

P.14 山崎泰寛
リポート「ベネチアビエンナーレ2008 観戦記 --オランダ館に発見した議論の場」

山崎さん渾身のレポート記事。2008年のベニスビエンナーレオランダ館で繰り広げられていたのは、シンポジウムで討議された内容をその場で文字起こしし、本を発行するというどこかで聞いたようなプロジェクト「ARCHIPHOENIX」。キュレーターAna Dzokicに、なぜそのような展示をすることになったのか、メールインタビューも敢行。

P.1, 14 軍司匡寛
マンガ「私のやりたいこと、私の役割」

ご協賛を頂いているINAXの商品、SATISをモデルに、「トイレに行きたいトイレ」という設定が「やりたいことを探す私」とシンクロするという内容。LRAJ2009でも展開した「2コママンガ」と、RAJ3でも試みた「ループマンガ」という2つの形式が掛け合わされています。

さて、配布場所から遠い場所に居住されている方のために、今回も配布協力者を募集致します。

条件は下記のみ。

1. ブログを有していること(新規立ち上げ・匿名・ペンネーム可)
2. 期限(5月30日)までにレビューをアップし、公開できること
3. 配布に協力し、配布先を公開できること

ご協力頂いたサイトはRoundbout Journalにて一斉にリンクさせて頂きます。

募集:先着20名
内容:建設的な内容であれば自由です
字数:読みやすい長さであれば自由です
締切:5/22(金)22:00(定員に達し次第締切)
謝礼:恐れ入りますが、誌面の発送をもって代えさせて頂きます

学生/社会人、建築関係/それ以外の別は問いません。

下記項目記入の上、メールにて下記宛先までご応募下さい
郵便番号:
住所:
電話番号:
氏名:
予定配布先:

応募先:藤村事務所『ROUNDABOUT JOURNAL vol.8』配布協力者募集係
nishimura*ryujifujimura.jp(*を@に置き換えて下さい)
担当:西村

各応募者に50部お送りします。ご応募は学校、書店など、なるべく公的な場所で配布して下さる方が望ましいです。

ご応募お待ちしております!!

fujimura

2009年05月19日

RUN ABOUT/谷尻誠/池田亮司展/世田谷村/高根台団地

4月3日 RAD Lab.にて、たかぎみ江レクチャーを聞く。到着時には会も半ばで、ケンチクナイトの説明がされていた。ひたすら懐かしいのだが、当時の出演者が皆ちゃんと第一線で活躍している現状にあらためて驚く。松川さんや田中さん、藤村くんらが議論を始めるきっかけでもあった(ちなみに、このサイトができた大きなきっかけでもある)。出演者の力は言うまでもないが、ぽむ企画の人選の確かさもすごかった。み江さんが、お土産にパンフレットを持参していた。お宝すぎ。  レクチャーが終わってうだうだしていると、岡田さんが中山英之さんを伴ってご来場。中山さんに六花亭コンペのスライドを見せていただく。過不足なく、かっこいい。飲んでいたら、中山さんに、ROUNDABOUTを早口で発音するとRUN ABOUTになって、それは「駆け回る」という意味であることを教えてもらう。回転広場の周りを駆け回る、というダブルミーニングを示唆されてちょっと面白かった。

4月7日
京都建築スクールという、間-大学的な合同スタジオにかかわっている。田路貴弘(京都大学)、八木康夫(立命館大学)、阪田弘一(京都工芸繊維大学)、松岡聡(京都造形芸術大学)、魚谷繁礼(京都建築専門学校)の各氏が、スタジオ受講者を募って一つの課題に当たるもの。その課題は、「デザインのルール/ルールのデザイン」と名付けられている。建物の形や内容を決定してしまうルールの存在に自覚的になって、ルールを積極的に設計に組み込んでいこうとするものだ。
 この日は、その課題発表会が大学コンソーシアムで開かれた。簡単に言うと、都市計画的に設定されるデザインのルールを各スタジオが「発見」し、「新たなルールをつくり出し」、それを別のスタジオにまわして=自分たちは別のスタジオからルールを受け取って「建物を設計する」というもの。半期のスタジオで、最後には公開講評会と展覧会、ドキュメントの作成を行う。また、3年度の間このテーマを継続するが、トピックは毎年変わる。今年のトピックは「境界線のルール」だ。今のところ、来年はプログラムで、再来年は環境をテーマにすることになりそう。
 京都で都市のリサーチをするとすぐに「かいわい性」や「伝統」「景観」といったとらえどころのないキーワードが頻出するわけだが、今回は京都をグリッド都市として捉え直して、タイトな思考実験が展開されることになりそうだ。自分たちがつくったルールではなく、他人がつくるルールで最終的な形をつくるところが面白い。次回は5月19日の中間発表会。

4月25日
アーキフォーラム。谷尻誠さんの講演だが最後の1時間だけしか聞けなかった。いつお会いしてもほんとに前向きだ。「ほんの少しだけ先の未来を提案する」、「できないことも、設計上のリスクも、全部説明する」など、谷尻節は「それで、お客さんが喜んでくれるんです」と締められる。とにかく喜ばれてなんぼ、という客商売の王道をいく哲学を持っている方なので(そういえば、常に「お客さん」と表現していたような気がする)、「さみしがりやなんです」と会場を笑わせていたのは、案外本心なんじゃないかと思う。
 谷尻さんは「建物ではなく、考え方を設計している。だから毎回新しいものができる」と言う。そこで彼が言う「新しさ」は、「誰も見たことがない」という意味での新しさではなくて、フレッシュな、とか、みずみずしい、といった「新鮮さ」を表しているように感じた。アイデアの引き金がいつも「建築の外」にあるそうなのだが、それもまた、新鮮さの担保となっているのだろうと思う。
 あと、「流れ星が流れたときにいつでも願えるように準備しておく」そうで、それって東工大的スタンバイ主義の文学風表現だなと思った。谷尻さん風に言えば、流れ星になるのか。そういえば、締め切りを大幅に超過して、苦しみ抜いて書いた西沢立衛さんの回のレビューが、アーキフォーラムの公式サイトhttp://www.archiforum.jpにupされています。僕の文章はともかく、このレビュー制度はほんとに良いなあ…。去年思いつけなかったのが腹立たしい。
 さらに、この日は早めに打ち上げを辞して京都に戻り、21時からデザイナーの藤脇慎吾さんらと顔合せ。

5月3日-5日
 連休なので家族で東京に遊びにいく。主な目的は、世田谷村の訪問、池田亮司展の観覧、「ヴィデオを待ちながら」の観覧、弟が新築した住宅を見に行って、そこで父親の還暦をお祝いすること。あとはのんびりすること。
 3日は9時半頃の新幹線で東京へ。車内はひととおり混んでいる。とても天気がいいので、東京駅の地下で各々お弁当を買って、都現美行きのバスを待ちながらOAZOの足下で食べる。都現美は駅から遠いのが難点だが、東京駅からだと30分ほど都バスに乗ればいいので気楽なのだ。ベンチから、解体中の東京中央郵便局が見える。終わってるなー、と思う。看板建築的なハリボテ保存のどうしようもなさは、ほんとにいたたまれない。建築史的な価値がどれだけ主張されたとしても、建築業界の外にはほとんど届いていかない現状。建築が文化として尊重されにくいそもそもの風潮。リノベーションやコンバージョンの知恵が生かされることなくして、現代における建築保存はあり得ないと改めて思う。ユニバーサルな建築はとことんリノベーション/コンバージョン向きなんだから、どうにかできないものだろうか。
 で、池田亮司展だが、これはほんとにすばらしかった。会場を一つの空間としてつくり直してしまったかのような、圧倒的な想像力。二次元の表現は空間的に発現できる、という事実を目の当たりにして感動する。作品がある速度を生み、その速度を丸ごと前進で経験することができる。早さと遅さを同時に体験できる希有な機会だった。音楽と映像の関係もとても気持ちがいい。作品の配列も見事。京都metroでのライブに行けなかったことを心底悔やむ。息子は常設展の入り口にあったジャイアント・トらやんにかぶりつき。会場で偶然南後さんに出会う。森美術館も良いらしい。
 3日は神楽坂にある、朝食がやたらうまいホテルで一泊。近所にある帽子屋さんに挨拶。夜は近所に見つけたイタリアン。隣のピッツェリアがおいしそうだったので、次に来たら行ってみよう。
 4日は石山修武さんに無理を言って、午前中に世田谷村を見学させていただく。昨年3月にインタビューして以来、図々しくお願いごとを重ねている。駅までお迎えにきていただき恐縮する。烏山団地のほど近くに、こつ然と、「家らしき」が現れる。あ、これ建築だな、と、見た瞬間にわかる。ただし、外観は奇抜なはずなのに、家そのものがとてもよく周囲になじんでいる。まず、石山さんが近所の菜園や敷地内の畑、建物の階段室などを案内してくださる。世田谷村に住みたいとは思わないけど、世田谷村を生み出した自由な精神とともにいたい。なぜ「村」と名付けられたんだろうと考える。かつて村というものは、きっと、濃厚な血縁関係が錯綜する社会的空間だったに違いない。世田谷村には、そういった近代以前の社会的関係の濃厚さが、現れ出ているように思った。だから村と名付けられているのではないか。結局ご近所でお昼をごちそうになり、13時半にお別れする。烏山団地をはじめ、世田谷区はセコムがディベロップしているらしいのだが、たしかに、駅前で配られていたポケットティッシュは、セコムが開発したマンションの広告だった。
 その後船橋に弟が建てた家を見に行き、夜は父親の還暦を祝う。大きな窓と高い天井を持つ気持ちのいい家だった。出身地でもない土地で、敷地から探して新しく家をつくるというのは、どういう心境なのだろう。建築家も自分で見つけていた。自分の弟ながらほんとに感心してしまう。
 5日は朝食後、高根台団地に向かう。昨秋、会社の仕事で津端修一さんにインタビューをして衝撃を受けたので、なんとか彼が手がけた団地を見たいという願いを、偶然にも今回かなえることができた。他の公団建築と同様に、高根台団地も建て替えが進んでいる。低層が街区的に配置された部分は、すでに更地化されて新しい建物が建つのを待っている。囲いから内側をのぞくと、ちょっとした野生の花畑になっている。道路を挟んで残る小さな団地群を見ることができた。間に合ってよかった。津端さんによると、公団は1960年に、組織の大規模化と建物の高層化を決めたらしい(その方針に反発して津端さんは公団を辞めてしまう)。全然メンテナンスされてない外観の団地を見ていると、ものがなしい。
 高根台の駅から竹橋に移動して、「ヴィデオを待ちながら」を見る。西澤徹夫さんがまたいい展示空間をつくっている。映像アートは、ちゃんとオチがついた作品が好きなんだなと自己認識。有楽町で中華を食べて、16時の新幹線で京都に戻った。皇居端をタクシーで移動したが、東京海上ビルの美しさは際立っていた。

yamasaki

2009年05月20日

男に二言はないプロセス

18日、首都大スタジオ(3年生)最終エスキス完了。13:00に始めて、猪熊さんと手分けしつつ、終わったら22:30であった。さすがにフラフラで帰りの京王線で終点に着いても立ち上がれないほどだったが、「プロセスがメイン」「全員が主役」とスローガンに掲げる以上、最後くらいは仕方がない。体は芯から疲れるが、講評の時間はとても充実しており、やっていて全く飽きない。

「Do NOT Think」と言っているのに、最後の方は「考えて」しまい、「考えたんですけど、違うなと思って」という学生が何人かいた。よくよく聞いていくとそうする理由は「アドバイスに従いたくない」というただの自意識でしかない。そういう学生の案は自意識が邪魔をして飛躍できていないことが多い。逆に自意識から自由になって機械的な作業に徹することが出来た人はどんどん進化している。

最終エスキスは、プロセスのログを辿り、論理手続きの矛盾点を探し当て修正しつつ、ヒストリーのなかで発見された主題を確認し、それが建築表現の中心と一致しているかどうかを確認する作業である。評価基準は(1)論理的な手続きによって得られた形態の「意味」が獲得できているか、(2)その内容は適切か、および(3)その建築的表現は的確か、の3点に集約される。

ざっと見たところ、(1)が出来ている人は1/2、(2)はさらにその1/2、(3)まで達している学生はさらにその1/2くらいという感触。

機械的、といっても成果物の方向性はほどよく分散しており、中心の取り方で5,6タイプといったところ。提出後の分析が楽しみ。

19日、理科大藤村ユニット(4年生)エスキス。構造家の大野博史さんにゲストに来てもらい、中間講評、というか構造打ち合わせ。首都大が70名近いのに対し、こちらは7名なのでじっくり出来る。ボリュームスタディで出て来た空間のイメージをもとに、構造的な検討をしてもらう。前回の打ち合わせでとりあえず構造を考えて入れてくるように指示したのだが、「柱の入れ方がわからない」と言って手が止まった学生が数名。「わからない」という学生に聞いてみると打ち合わせの内容を無視して別の内容を「考えた」り、欠席したりして論理的手続きの反復を怠ったことに原因があった。プロセスに乗って淡々と模型を作って来た人は、それをもとに議論できるのでどんどん先に進む。

検討の結果、マエダ:L字ダブル型、イマモト:コア+キャンチ型、ハリカイ:純ラーメン型、キムラ:L字コア+メジャーマイナー型、カワイ:扇ブレース型、ヨシモト:田の字型、ゲンダ:ブレース+ランダムコア型となった。バリエーションが少ないようで案外あるものである。「考えるな」と言っても、それは論理的手続きを徹底せよ、という意味で、手続きが個性を浮かび上がらせていく。それが工学的想像力、工学的作家性というものだろう。

例えば、構造形式だけでも敷地の読み方、プログラムの取り方がわかる。今回の敷地は「角地」で、「変型多角形」で、「背後は5階程度まで建て込んでいる」という特徴がある。それをどう捉えるかを考えて行くだけで、十分に個性が出る。

それにしても、基本設計でエンジニアとともに打ち合わせする時間は本当に楽しい。この時間のために建築家をやっているようなもの、と言ったら言い過ぎだろうか。理科大の学生諸兄にもこの楽しさは伝わったと思う。

終了後、くれぐれも「考えるな」と伝える。「超線形プロセス」とは、「男に二言はないプロセス」なのである。でもそれは何も特殊なのではなく、他人と意思決定を進める以上当然のことであるが、学生のほとんどはエスキスで話したことは無視しても良いと思っている。打ち合わせにメモを持参せよ、あいまいなことはその場で決めなければいけない、今日決めたことは次週きちんと踏襲しなければならないと教える。逆に言うと、建築学科の4年生が、そんなことも知らないということである。

施主とは、言われたことをやらないと怒り、言われたことしかやらないと怒る人物である。そういう人物と対話しながら設計作業を進める建築家とは、言われたことに従いつつ、想像力を膨らませる訓練をしなければならない。それを一言で言うと「線形であり、線形を超える」=超線形ということである。

去年から大学で教え始めて、建築学科の学生が、面積を満たすことを知らず、家具の寸法を知らず、構造の取り方を知らず、家具の向きを知らず、図面の描き方を知らないという事実が単純に興味深い。現状のデザイン教育がいかに構想力、表現力重視で分析力、構築力を軽視しているかがわかる。現状、面積や寸法、構造、家具、図面の描き方をどこで習うのかと言えば、実務だということになる。教育と実務の断絶はなかなか根深い。

他方、最初はだらしなかったのに、面積や構造など、より実務的な条件を与えていくにしたがって徐々にやる気を出し始めている学生もいる。「超線形プロセス」は、表現よりも分析が得意な学生はむしろ構想力を発揮できるスタイルかも知れない。そしてそのほうが複雑な課題に対して有効であることは言うまでもない。

また、学生はメディアに影響を受けているようで必要な情報がまるで伝わっていないのも興味深い。例えば首都大では誰もアトリエワンの「ハウスアサマ」(2000)を知らなかった。理科大ではSANAAの「マルチメディア工房」(1995)も知らなかった。写真を見ると思い出すらしいのだが、細かいところ、というかタイトルすらみていないようだ。

つまるところ、学生というは適当にウェブと雑誌(の画像)を流し読みし、うまくコラージュしているだけなのかも知れない。どうりで図面には洗濯物と植物しか描いていないはずだ。その果てが卒業設計でお城を作ったり手紙を読んだりしているということなのだ。自分もかつてそうだったから何とも言えないが、だからこそ改善する方法も提案できる気がする。

さしあたっては、6/1の首都大での最終講評会が楽しみである。「設計プロセスを設計する」と言っているからには、新しい講評会のスタイルを提示したい。

FLAT前代表の森田恭平君のサイト「culstu」にて、インタビューが公開されています。

藤村龍至インタビュー

森田君は3月の東海地区卒業設計展dipcolleで仕切っていた人物で、現在はロンドンに滞在中だそうです。『1995年以後』を読んで、インタビューしたくなったとのこと。興味を持って実際にインタビューに来たのは初めてだったので喜んで受けさせて頂きました。

「三河」という郊外的コンテクストで建築家は必要か、真剣に問いかけてくれました。学部生レベルでも、「批判的工学主義」も徐々に浸透していくといいですね。

ROUNDABOUT JOURNAL配布協力者、徐々に応募が集まり始めています。相変わらず北の方からの反応が少ないですが、奮ってご応募を。
fujimura

2009年05月27日

思想地図/ユリイカ/建築雑誌

『思想地図 vol.3』と『ユリイカ』がいよいよ発売されます。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.3 特集アーキテクチャ 東浩紀 北田暁大・編
296ページ, 1300円

ユリイカ6月号 特集レム・コールハース
230ページ, 1300円

思想地図はアーキテクチャ特集。熱いです。拙稿「グーグル的建築家像をめざして」はこれまでの集大成。16000字です。理論「批判的工学主義」から方法論「超線形プロセス」に至るまで、1995年以後の状況に始まり、表層と深層、巨大建築論争、批判的工学主義、超線形プロセス、グーグル的建築家像による新しい地域主義へ、と展開しています。

RAJ>10+1>JA>建築雑誌とバージョンアップして来て、建築論のフレーム、マニフェストとしてひとつのストーリーが出来上がったのではないかと思います。批判的工学主義や超線形プロセスをじっくり批判したい方(?)はぜひ。

巻頭の1月28日の東工大シンポジウム再録はあの日の興奮が蘇りますね。途中の東浩紀さんの発言のなかで藤村への言及があります。また、RAJ vol.8のLIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009の総括ディスカッションはこの連続で読んで頂くと広がりが出ると思います。

ユリイカはコールハース特集。拙稿「コールハースと設計プロセス」は思想地図論文をコールハースと関係づけて再構成したもの。8000字。超線形設計プロセスを構想するきっかけのひとつ、「ネクサスワールド」の線形性と「カーサ・ダ・ムジカ」の非線形性に注目してみました。

こちらも、滝口範子さんと五十嵐太郎さんの対談のなかで言及して頂きました。

どちらも2008年から2009年にかけて議論しまくった成果を反映し、最近の思考が凝縮していると思いますが、昨年末のコールハースDVDのトークショーから話し始めた「グーグル的建築家像」がキーワードになっています。

現代建築の怪物「レム・コールハース」の実態とは?五十嵐太郎×藤村龍至

執筆に当たっては、どちらも大変苦しみました。特に前者はURBAN COMMONS展の会場で東さんにお話を頂いて以来、半年近くこの文章を考え続けて来たので、ようやく手が離れた、というのが正直な感想。貴重な機会を頂いた東さんには感謝しています。

なお、東さんのブログで編集後記が公開されています。

思想地図vol.3編集後記(東浩紀の渦状言論 はてな避難版)

東さんも言う通り、分野も年齢も異なる執筆者らが、共通の問題のもとに呼応し合っているのが素晴らしい。この感覚は「スーパーフラット」以来では。

そういえば最近久しぶりにスーパーフラット展のカタログをみたら、表紙裏に書かれた村上隆さんと東浩紀さんのサインの日付が2000.5.20でした。パルコ・ギャラリーで行われたトークショーで頂いたものですが、ちょうど今頃でしたね。僕は大学院に入ったばかり(=建築を学び始めたばかり)でした。あの一瞬は建築界も含め本当に熱かった。それも既に9年前の話ですか。

そして、これらの原稿とともに苦しんだ建築学会の機関誌『建築雑誌』6月号の担当特集がもうすぐ配送されます。特集タイトルは「検証・批判的工学主義 BUILDING Kから考える」。

まさかのBUILDING K特集です。建築雑誌(35000部)で、しかも自分で。第2特集とはいえ、単独の建築について特集が組まれるのは『建築雑誌』の長い歴史でも初めてでは、と言われております。

巻頭は難波和彦さんとの対談、続いて斎藤公男学会長への大野博史さん、鈴木悠子さんを交えたインタビュー、東浩紀さん、山梨知彦さんの論考、伊藤暁さん、萩原詩子さん、高木栄一さん、佐藤敏宏さんの多角的検証ときて、ラストは倉方俊輔さんの批評文と、大変読み応えのある内容になったと思います。

五十嵐さんより「敵をたくさん作っちゃって下さい」と激励(?)頂く。編集委員長の五十嵐さん、顧問の細野透さん始め、暖かく見守って頂いた委員の先生方には感謝しております。

ROUNDABOUT JOURNAL vol.8配布協力者、締め切りました。多数のご応募、ありがとうございました。早速配布を開始して下さっているようです。

『ROUNDABOUT JORNAL vol.8』配布中(カブハウス)
ROUNDABOUT JOURNAL vol.8 謝辞&レビュー(Torepe)

そのほか、受け取られた方はレビュー+配布場所のご案内を5月30日までにアップして下さるようお願いします。協力者以外の方も、既にレビューをアップして下さっている方もいますね。ありがとうございます。

090518 / ROUND ABOUT JOURNAL vol.8 を読んでみた(yu-fii_stock)
Round About Journal Vol.8 レビュー(deline)

配布協力者募集は締め切りましたが、INAX:GINZAはじめ、東京、京都、大阪、福岡の専門書店、大型書店では引き続き配布されています。各所ともまだ在庫はあるようですが、場所によってはそろそろ品薄になって来ているようです。手に入れたい方はお早めに。
fujimura

2009年05月30日

TVCMに「手」が登場

富士通の携帯「F-09A」のTVCMに起用して頂きました。今週から放映が始まっているそうです。

藤村の「手」がCMに登場しています(BUILDING M 日記)
TV-CM 動画(富士通 サイト)

「その手のひらは、いつも新しい」というキャッチコピーで、28歳ピアニスト、27歳WEBクリエータ、29歳パティシエ、32歳建築家、32歳農業と、いろいろな職業の人の「手」が登場し、最後に「26歳、俳優」とキャプションが出て、俳優の暎太さんが登場します。

「世の中をあっと言わせる手のひらがある」「チャレンジを止めない手のひらがある」とナレーションがあり、手のひらがクリエイションやオリジナリティの象徴として扱うというのがコンセプトのようです。どことなく、LRAJ2009のテーマである「手の内側」とリンクしていますね。

5月某日、横浜の某所でまず動画の撮影。聞くと、今回は建築家やパティシエ等、いろいろリサーチしてこの人は、と思った人を推薦し、選んで下さったそうです。実際に映像に出るのは手と年齢だけなので誰の手でも良いのでしょうが、リアリティに制作者のこだわりがあったようです。待ち時間の間、同世代のクリエータの人たちといろいろ話せて楽しかったですね。

キャッチコピー作成のため、撮影の間に担当の方から僕の仕事についてインタビューを受けましたが、事前にWEB上でのインタビュー等をかなり熱心に読んで下さったようで、ふだん僕がお話していることについていろいろ具体的にご質問頂きました。

後日、ポスター用の写真撮影の現場で、「批判的工学主義」や「超線形設計プロセス論」が数行のコピーに生まれ変わっているのを見て驚きました。『思想地図』で16000字も書いたことが、わずか20文字くらいに凝縮されるとは。これが広告的表現というものですか。

ポスターの撮影現場ではmashcomixのTAOさん(=電通マン)に遭遇。現場が暗かったこともあり、お互い最初は気がつかず、しばらくして気がついてびっくり。コピー担当の方もそうでしたが、広告の現場でも、同世代くらいの人が活躍しているんですね。

TAOさんに「『最後の晩餐』の手の感じで」とリクエストされましたが、そもそもシンポジウムの司会ですら棒読み、棒立ちの自分には難しすぎる。が、細かく指示をもらい、「いい手してますね」とか褒めてもらっているうちに次第にいろいろなポーズを取れるようになり、なんとか1時間程度で撮影が終了しました。

理論的段階のあとは広告的段階へ、なんて言ってきましたが、偶然にもいいタイミングで実際の広告の現場に参加させて頂き、マスにメッセージを伝えるということを肌で感じることができました。いい勉強をさせて頂き感謝しています。

fujimura

2009年05月31日

青木淳さんと対談/青井研と議論/東工大学生インタビュー

青木淳さんと対談させて頂きました。

青木淳さん 来訪(BUILDING M 日記)

「建築が生まれるとき」展でレビューを書かせて頂いたこともあり、一度設計プロセスについてじっくりお話させて頂きたいと思っていました。ありがたいことに、青木さんも昨年の私と西田さんの展覧会「URBAN COMMONS展」を見て下さっていたのだのだそうです。14日にBUILDING Kをご案内させて頂き、29日、対談が実現しました。

興味深い論点はたくさんありましたが、設計に対する理解やスタンスがことごとく逆でした。

例えば、僕はバラバラになりそうなアイディアをまとめ、単純な形態を複雑なものに「構築」するのが設計だと主張しているのに対し、青木さんは硬直しそうになるスキームを「破壊」して柔軟にさせることが設計だという。僕はコンペであろうともコミッションのように考えたいと思っているのに対し、青木さんはコミッションであろうとコンペのように考えたいという。僕が変数が増えれば増えるほど建築が豊かになると考えているのに対し、青木さんは変数が増えるほどポピュリズムに陥り、凡庸になると考えているという。僕が合意形成のプロセスに建築の最も重要な意味があると考えているのに対し、青木さんは見たことがないものをつくることに建築の意味を見ているという。

最初から最後まで、暗黙知と形式知の関係をめぐって議論させて頂きましたが、経験を積めば方法から自由になれるのだよ、と諭されるような場面もありました(まあ、いつものパターンですが)。難波さんのときと同じく、情報化の問題と集合知の問題を考えると必ずしも経験だけに還元できないのではないかと反論を試みる。

スリリングな議論で、あっという間に2時間以上経っていました。貴重な時間を頂いたことを感謝します。

24日、明治大学の青井哲人さんと研究室の皆さんがBUILDING Kに見学に来て下さいました。

アヒル・ヴァナキュラー・テイストといったところがキーワードでしょうか(akihito aoi’s blog)
高円寺・阿佐ヶ谷 建築巡りツアー(Architectural Creation Garage)
建築を濃くする-BUILDING Kを見学して-(青井研ブログ 石榑督和)

学生諸兄のコメントもなかなか生意気でいいですが、青井さんのコメントはとても参考になりました。

以下、引用。

お会いする前の勝手な予見はこんな感じ → 彼の師匠でもある塚本氏はドゥルーズ的、対して藤村氏はデリダ的。

塚本:現象としてのトーキョーの海に手を突っ込んでぐいと直接に強い変異体を掴み出してそれを一般解(の候補)と言い切ってみせるようなところがある
藤村:現象を生み出しているあらゆる基底的諸元を手許に並べてスタディを徹底する作業のなかから内破的にズレを導こうとしている。どことなくネガティブな回路の不可避性、手続きの自動性などがアイロニカルに言われているのではないかと思わせるところがある。

以上が先入観だそうです。以後は実際にご案内し、議論させて頂いた後の感想。

藤村さんの方法の重要なところは、設備、構造、法規、周辺環境、採算性、その他諸々の諸元にヒエラルキーを与えず、むしろそれらをレヴィ・ストロースが言う「資材」のように見ているフシがあること。つまり、疑いようのない結合を果たしてしまっている(ように見える)諸元を、いったんほどいて独立に働きうるようにしておいて(つまり色んな潜在的結びつきをもった資材性の状態へと差し戻して)、互いの組み合せの可能性をいろいろ試す。で、面白いと思うものを育てる。

「テキストから想像してたのと違ってかなり明るくて開放的」だそうです。なるほど。よく藤本壮介さんにも「顔写真が良くない」と言われますが、ナルシスティックでアイロニカルな感じに見えるわけですね。

けれどブリコラージュと違うのは、あくまで諸元のインテグレートを目指すこと。その意味でやはりエンジニア(的デザイナー)。むしろ中途半端なエンジニアリングの眠った可能性を推し拡げようとする純正モダニストでもある。

そうですね。メガストラクチャーとか、テンション構造とか、人工地盤とか大好きなので。

ところが面白いのは、出来上がったものが工学ヴァナキュラー的であること。つまりこれまで“あちら”にあずけていた諸元を可能なかぎり意識化して“こちら”へ引きずり出し、分析的に処理して再統合しているのに、出来上がりは無意識的に生み出されている周囲の風景に擬されている。これはフィニッシュだけの問題として済ませられそうになく、設計の過程で終始そういう方向付けがなされていると考えるべき。

そうですね。設計の最初期から隣のビルみたいに作ろう、という方向付けがありました。何気ない雑居ビルが一番クールだと思っていたので。

スクールの問題とも絡むが、藤村さんにはやはりヴァナキュラーの側に立つのが普遍的たりうるという思想(イデオロギー)が垣間見える(ポストモダンぽくてもこれはモダニスト的で、ある種ユートピアン的だが、それが生産的なプラグマティズムと同居しているところが藤村さんの特徴かな)。

ローコストで、効率が良くて、風景に馴染んでいる。それが濃密な建築をつくる条件になっている。それだけで十分ではないかと。「コアを表現する」とか、「細い柱を表現する」とか、建築家にとって大事でも、建築にとってはどうでもよいことである(と設計時は特にそう思っていた)。

案内を始めたときは雨でしたが、次第に晴天に。屋上で、青井研の学生たちと議論。こちらの意図が多少でも多く伝わったのであれば良かったです。

議論しながら「批判的工学主義」と「工学主義的バナキュラー」の関係がうまく伝えられていないということがよくわかりました。

1.「批判的工学主義」は建築家が社会にどういう立ち位置を取るか、という普遍的な理論。
2.「超線形プロセス」は藤村が「批判的工学主義」を全うするために実践している個人的な方法論。
3.「工学的バナキュラー」な意匠は「批判的工学主義」を全うするために藤村が適用したテイスト。

宮地が言う「もっと表現的でもいい」というのはもっともです。ビジネスとかサービスとして成立するのであれば、できるだけ表現的な方がいいとは僕も思います。

というか、誰も表現を封印するべき、などとは言っていない。むしろ、効率がいいから、コストがないからという理由で形骸化した合理主義に陥ってデコレイテッド・シェッドを量産している立場を批判し、同じ条件でもこれだけのことが出来るじゃないか、なせやらないのだ、建築の可能性を活かそうではないか、という建設的な主張をしているつもりです。

青井さんが示唆されている通り、その意思をもっと「明るく」表現するべきなのかも知れませんね。

ブログで感想を頂いた青井さん、宮地さん、石榑さん、とても勉強になりました。どうもありがとうございました。

29日夜、東工大の鎌谷、山道、坂根、乾谷が来社。卒業設計展にあわせて、フリーペーパーをつくるのだそうで、インタビューを受けました。

卒業設計を終え、それぞれ充実したM1ライフを送っている模様。初めて彼らに会ったのは彼らが学部の1年とか2年とかの頃で、随分前のような気がするが、まだM1かとも思う。

その頃は「批判的工学主義」も「超線形プロセス」も「BUILDING K」も、まるでなかった。全部一緒に作ってもらったようなもので、付き合ってくれた彼らには感謝しています。

7月に展覧会とトークイベントをやるらしいので、86世代の諸兄は期待していていいのでは。

fujimura

About 2009年05月

2009年05月にブログ「roundabout journal」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2009年04月です。

次のアーカイブは2009年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。