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福岡3日目・建築の将来を考えた3日間

福岡3日目終わりました。

#004 リノベートのはなし
デザイニング展/transmission セッション4 (hand,made)
”TRANSMISSION”_3日目vol.1(MG54σ)
transmission #004 レポート(空間と風景と手に届く範囲のこと)
#004「リノベートのはなし」終了しました!!(公式ブログ)

#005 若手建築家のアジェンダ
デザイニング展/transmission セッション5 (hand,made)
”TRANSMISSION”_3日目vol.2(MG54σ)
transmission #005 レポート1/2 (空間と風景と手に届く範囲のこと)
若手建築家のアジェンダ 福岡 (hiroaki_imabayashi blog)
DESIGNING? transmission #005「若手建築家のアジェンダ」(blog*watari)

午前中はカフェで原稿とスライド作成。昼過ぎにIMSへ。出演者の皆さんとの挨拶もそこそこに#004「リノベートのはなし」開始。発表はアイウエオ順に、井手健一郎>斉藤昌平>貞国秀幸>野田恒雄>春口治彦>松山真介(敬称略)。

発表を聞いていて、「リノベーション」という領域は、建築的思考と不動産的思考が交差するということが濃密に現れる場所だと改めて思った。そこで、席順を入れ替え、建築チーム=井手・斎藤、不動産チーム=貞国・春口に分け、間にハイブリッドチーム=野田・松山に座ってもらった。するとアプローチの違いが一目瞭然。瞬時にして建築的なモデレーションになった。アトリウムの反対側から見ていてもわかる。

野田さんが憮然としながら「(建築家だと思われていないので)自分もまだまだだと思いました」と言う。強引なカテゴリーだからカテゴライズされた方は不快に思われたかも知れない。自分もよく「論客」(=蔑称)と呼ばれるのでよく分かる。だが、僕はむしろそのアプローチの違いこそを強調した方が野田さんのやろうとしていることの価値が伝わると思う、と伝えると少し表情が和らいだ。

アプローチの違いを整理して、それぞれにスタンスを述べてもらい、リノベートをめぐるデザインの可能性を明らかにしてトーク終了。

終了後、井手君が「柳原さん来てませんでした?」と言う。人違いでは、と片付けをしていたらなんと本人降臨!!「打ち合わせを片付けて来てしまいました」という。爽やかすぎるのでは。

一緒にラーメンを食べる。柳原君と井手君は主張やスタンスに共通点があるが、両者が並んでいるところに初めて居合わせた。繊細で爽快な作風も似ている。アジェンダに参加して欲しかったが、どうしても戻らなければ行けないという。残念だが、出たばかりのフリーペーパーも渡すことが出来たし、このタイミングで会えて良かった気がする。

#005はいよいよ総仕上げ。紺屋2023にて出演者の皆さんと会い、ご挨拶。あいにくの雨で屋上は使えず。出展者の坂下和長さんにはご迷惑を掛けてしまったが、2階のギャラリーを使わせて頂くことになり、熱気の感じられる空間に。

発表はくじ引きで井手健一郎>二俣公一>平瀬有人>イノウエサトル>清原昌洋>相良友也(敬称略)の順。井手さんは「翻訳」、二俣さんは「場の力/生む力」、平瀬さんは「ローカリティ/祖形」、イノウエさんは「芸術工学」、清原さんは「わかりやすさと多様性」、相良さんは「居心地のデザイン」と、興味深いキーワードが並ぶ。

福岡で場所性や作家性を切り口にアイデンティティの話をしよう、と呼びかけたら意外にも「入力」と「出力」に代表される情報技術をメタファーにしたデザイン論の話になった。

そこで再び「建築的モデレーション」を敢行し、アプローチ別に形式知的アプローチを取る井手・平瀬チーム、暗黙知的アプローチを取る相楽・二俣チーム、その間で揺らぐイノウエ・清原チームに分け、最も形式的な井手さんから最も暗黙的な二俣さんの順に並んで座って頂く。アプローチの違いが明確になる。

議論の終盤、デザイナー像を社会に伝えたい、と主張する井手さんに対し、イノウエさんが「井手君は若い」と諭す場面があった。ヴァレリーを引き合いに「藤村さんは若いですね」という難波さんのことを思い出した。

建築と都市──1970年、1995年という転換点を超えて (10+1 website)

知を形式化して社会に伝えたい。でもそれは「無名の質」を持っていて欲しい。それは一見矛盾する願いのように見える。6名の発表とその後の討議では、その矛盾を乗り越える、という共通の意思と、アプローチの違いを確認できたように思える。

質疑応答の時間をあまり取れず、観客の皆さんの反応を確かめられなかったが、レポートを読む限りでは皆さんにもある程度問いを共有できたようだ。

ところで、「情報技術をメタファーにしたデザイン論」については松川昌平さんが刺激的な論考を発表している。
「サスティナブル・デザイン+建築の四層構造」と「批判的工学主義+超線形設計プロセス」を「アルゴリズミック・デザイン+進化的設計プロセス」の視点からとらえる試み (10+1 website)

ROUNDABOUT JOURNALでは「1995年以後」=情報化と郊外化と捉え、前者を建築の問題(=vol.1)、後者を都市の問題(=vol.2)だと仮定して議論を展開して来たが、福岡でローカリティについて議論している限りは両者は限りなく連続した問題であると捉えられる。古谷研(情報空間論)>スイス(オーセンティックな場所)>福岡(郊外化)と移動し、ローカリティについて論じる平瀬君の主張はとても示唆的だ。

ちなみに、面的にスタディを展開して判定を繰り返して集合知を形成し、場所の固有性を読み込もうとする井手君の主張は、松川さんの藤村批判にほぼぴったり重なっている。

終了後の懇親会で、#004で討議した野田さんと再び話す。「議論は面白かったが、なぜこのような議論をするのか」と聞かれる。建築の価値や可能性を社会に広めるには、段階的に広める必要がある。だからスタンスを確認するような「議論のための議論」が必要なのだ、と説明するも、半信半疑。

ところが、建築を大学院から学び始めた、と伝えると納得してくれた。なるほど。建築しか知らない人間が、建築の価値を主張して回っているとすれば、それは確かに狭い議論である。建築の外から建築を学んだ人間が建築の価値と可能性を知り、それを社会に伝えるために建築家に呼びかけて回っているとするならば、僕らの活動についても多少は受け取り方が変わってくるだろう。

今回に限らず、ROUNDABOUT JOURNALの一連の活動は、そうした理解の不適合を取り除く作業から始まる。議論=閉じた活動という理解が前提だからだ。

しかし、議論はそもそも、個人の思想を社会に開くためにするものである。それを繰り返し訴えていくと、誤解を解けた人から順に共感を示してくれるようになる。次に会うときには同じ問いのもとにもっと生産的な議論が出来るようになるだろう。関西でも、広島でもそうだった。

「伝え方をデザインする」と主張する井手君も恐らくそういうことを考え、迷い、試行錯誤しているのだろう。デパートのアトリウムで建築のコアな議論をするという一見無謀な試みも、最終日にはむしろ自然なことのようにも思えて来た。発表する方もこなれて来て、足を止める観客も増えてくる。社会に建築家の役割を伝える、ということは、むしろこういう流動的な場所でふだん繰り広げている濃密な議論を展開することだ、とすら思えてきた。

ほとんど寝てないと言いながら淡々とクレームを処理し、学生を仕切り、スライドを準備してトークをこなす井手君には今回本当に刺激された。彼はそういう社会的な姿勢を「デザイニング展」に教えられ、身につけたのだと言う。参加した学生の皆さんも、地元の建築家やデザイナーの皆さんも、デザイニング展のような問題提起に学ぶところは大きいのではないかと思う。

僕も多くを学ばせて頂いた。福岡にも、たくさんの面白い建築家やデザイナーがいることを確かめられた。またいつか議論の続きをしたい。このような機会をつくってくれた井手さんや関係者の皆さんに改めて感謝したい。

こうした刺激的な試みや議論の輪が全国に広がるといいなと思う。RAJでも関西>広島>福岡と活動を展開して来たが、もっといろんな地域と連係して共に建築の可能性について考えていきたい。そうすることが、「建築は要らない」という社会に対して自分たちの役割を見つけることに繋がるはずだからだ。

郊外化という1995年以後の社会的状況を食い止めるために、情報化という同時代の技術的環境の広がりを最大限使わない手はない。今回のブログレポートも、そうしたグランドデザインに対して少なくない貢献をするはずだ。参加してくれた皆さん、どうもありがとう。
fujimura

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2009年05月06日 09:19に投稿されたエントリーのページです。

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