4月3日
RAD Lab.にて、たかぎみ江レクチャーを聞く。到着時には会も半ばで、ケンチクナイトの説明がされていた。ひたすら懐かしいのだが、当時の出演者が皆ちゃんと第一線で活躍している現状にあらためて驚く。松川さんや田中さん、藤村くんらが議論を始めるきっかけでもあった(ちなみに、このサイトができた大きなきっかけでもある)。出演者の力は言うまでもないが、ぽむ企画の人選の確かさもすごかった。み江さんが、お土産にパンフレットを持参していた。お宝すぎ。
レクチャーが終わってうだうだしていると、岡田さんが中山英之さんを伴ってご来場。中山さんに六花亭コンペのスライドを見せていただく。過不足なく、かっこいい。飲んでいたら、中山さんに、ROUNDABOUTを早口で発音するとRUN ABOUTになって、それは「駆け回る」という意味であることを教えてもらう。回転広場の周りを駆け回る、というダブルミーニングを示唆されてちょっと面白かった。
4月7日 4月25日 5月3日-5日 yamasaki
京都建築スクールという、間-大学的な合同スタジオにかかわっている。田路貴弘(京都大学)、八木康夫(立命館大学)、阪田弘一(京都工芸繊維大学)、松岡聡(京都造形芸術大学)、魚谷繁礼(京都建築専門学校)の各氏が、スタジオ受講者を募って一つの課題に当たるもの。その課題は、「デザインのルール/ルールのデザイン」と名付けられている。建物の形や内容を決定してしまうルールの存在に自覚的になって、ルールを積極的に設計に組み込んでいこうとするものだ。
この日は、その課題発表会が大学コンソーシアムで開かれた。簡単に言うと、都市計画的に設定されるデザインのルールを各スタジオが「発見」し、「新たなルールをつくり出し」、それを別のスタジオにまわして=自分たちは別のスタジオからルールを受け取って「建物を設計する」というもの。半期のスタジオで、最後には公開講評会と展覧会、ドキュメントの作成を行う。また、3年度の間このテーマを継続するが、トピックは毎年変わる。今年のトピックは「境界線のルール」だ。今のところ、来年はプログラムで、再来年は環境をテーマにすることになりそう。
京都で都市のリサーチをするとすぐに「かいわい性」や「伝統」「景観」といったとらえどころのないキーワードが頻出するわけだが、今回は京都をグリッド都市として捉え直して、タイトな思考実験が展開されることになりそうだ。自分たちがつくったルールではなく、他人がつくるルールで最終的な形をつくるところが面白い。次回は5月19日の中間発表会。
アーキフォーラム。谷尻誠さんの講演だが最後の1時間だけしか聞けなかった。いつお会いしてもほんとに前向きだ。「ほんの少しだけ先の未来を提案する」、「できないことも、設計上のリスクも、全部説明する」など、谷尻節は「それで、お客さんが喜んでくれるんです」と締められる。とにかく喜ばれてなんぼ、という客商売の王道をいく哲学を持っている方なので(そういえば、常に「お客さん」と表現していたような気がする)、「さみしがりやなんです」と会場を笑わせていたのは、案外本心なんじゃないかと思う。
谷尻さんは「建物ではなく、考え方を設計している。だから毎回新しいものができる」と言う。そこで彼が言う「新しさ」は、「誰も見たことがない」という意味での新しさではなくて、フレッシュな、とか、みずみずしい、といった「新鮮さ」を表しているように感じた。アイデアの引き金がいつも「建築の外」にあるそうなのだが、それもまた、新鮮さの担保となっているのだろうと思う。
あと、「流れ星が流れたときにいつでも願えるように準備しておく」そうで、それって東工大的スタンバイ主義の文学風表現だなと思った。谷尻さん風に言えば、流れ星になるのか。そういえば、締め切りを大幅に超過して、苦しみ抜いて書いた西沢立衛さんの回のレビューが、アーキフォーラムの公式サイトhttp://www.archiforum.jpにupされています。僕の文章はともかく、このレビュー制度はほんとに良いなあ…。去年思いつけなかったのが腹立たしい。
さらに、この日は早めに打ち上げを辞して京都に戻り、21時からデザイナーの藤脇慎吾さんらと顔合せ。
連休なので家族で東京に遊びにいく。主な目的は、世田谷村の訪問、池田亮司展の観覧、「ヴィデオを待ちながら」の観覧、弟が新築した住宅を見に行って、そこで父親の還暦をお祝いすること。あとはのんびりすること。
3日は9時半頃の新幹線で東京へ。車内はひととおり混んでいる。とても天気がいいので、東京駅の地下で各々お弁当を買って、都現美行きのバスを待ちながらOAZOの足下で食べる。都現美は駅から遠いのが難点だが、東京駅からだと30分ほど都バスに乗ればいいので気楽なのだ。ベンチから、解体中の東京中央郵便局が見える。終わってるなー、と思う。看板建築的なハリボテ保存のどうしようもなさは、ほんとにいたたまれない。建築史的な価値がどれだけ主張されたとしても、建築業界の外にはほとんど届いていかない現状。建築が文化として尊重されにくいそもそもの風潮。リノベーションやコンバージョンの知恵が生かされることなくして、現代における建築保存はあり得ないと改めて思う。ユニバーサルな建築はとことんリノベーション/コンバージョン向きなんだから、どうにかできないものだろうか。
で、池田亮司展だが、これはほんとにすばらしかった。会場を一つの空間としてつくり直してしまったかのような、圧倒的な想像力。二次元の表現は空間的に発現できる、という事実を目の当たりにして感動する。作品がある速度を生み、その速度を丸ごと前進で経験することができる。早さと遅さを同時に体験できる希有な機会だった。音楽と映像の関係もとても気持ちがいい。作品の配列も見事。京都metroでのライブに行けなかったことを心底悔やむ。息子は常設展の入り口にあったジャイアント・トらやんにかぶりつき。会場で偶然南後さんに出会う。森美術館も良いらしい。
3日は神楽坂にある、朝食がやたらうまいホテルで一泊。近所にある帽子屋さんに挨拶。夜は近所に見つけたイタリアン。隣のピッツェリアがおいしそうだったので、次に来たら行ってみよう。
4日は石山修武さんに無理を言って、午前中に世田谷村を見学させていただく。昨年3月にインタビューして以来、図々しくお願いごとを重ねている。駅までお迎えにきていただき恐縮する。烏山団地のほど近くに、こつ然と、「家らしき」が現れる。あ、これ建築だな、と、見た瞬間にわかる。ただし、外観は奇抜なはずなのに、家そのものがとてもよく周囲になじんでいる。まず、石山さんが近所の菜園や敷地内の畑、建物の階段室などを案内してくださる。世田谷村に住みたいとは思わないけど、世田谷村を生み出した自由な精神とともにいたい。なぜ「村」と名付けられたんだろうと考える。かつて村というものは、きっと、濃厚な血縁関係が錯綜する社会的空間だったに違いない。世田谷村には、そういった近代以前の社会的関係の濃厚さが、現れ出ているように思った。だから村と名付けられているのではないか。結局ご近所でお昼をごちそうになり、13時半にお別れする。烏山団地をはじめ、世田谷区はセコムがディベロップしているらしいのだが、たしかに、駅前で配られていたポケットティッシュは、セコムが開発したマンションの広告だった。
その後船橋に弟が建てた家を見に行き、夜は父親の還暦を祝う。大きな窓と高い天井を持つ気持ちのいい家だった。出身地でもない土地で、敷地から探して新しく家をつくるというのは、どういう心境なのだろう。建築家も自分で見つけていた。自分の弟ながらほんとに感心してしまう。
5日は朝食後、高根台団地に向かう。昨秋、会社の仕事で津端修一さんにインタビューをして衝撃を受けたので、なんとか彼が手がけた団地を見たいという願いを、偶然にも今回かなえることができた。他の公団建築と同様に、高根台団地も建て替えが進んでいる。低層が街区的に配置された部分は、すでに更地化されて新しい建物が建つのを待っている。囲いから内側をのぞくと、ちょっとした野生の花畑になっている。道路を挟んで残る小さな団地群を見ることができた。間に合ってよかった。津端さんによると、公団は1960年に、組織の大規模化と建物の高層化を決めたらしい(その方針に反発して津端さんは公団を辞めてしまう)。全然メンテナンスされてない外観の団地を見ていると、ものがなしい。
高根台の駅から竹橋に移動して、「ヴィデオを待ちながら」を見る。西澤徹夫さんがまたいい展示空間をつくっている。映像アートは、ちゃんとオチがついた作品が好きなんだなと自己認識。有楽町で中華を食べて、16時の新幹線で京都に戻った。皇居端をタクシーで移動したが、東京海上ビルの美しさは際立っていた。