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6月28日、濱野智史さんと「設計」を語ります

6月28日19:00より、青山ブックセンター本店(渋谷)で濱野智史さんとトークイベントが開催されます。

『思想地図vol.3』刊行記念 濱野智史×藤村龍至トークイベント 「設計/デザインを考える」 

濱野さんにはLIVE ROUNDABOUT JOURNAL 2009にも来て頂きましたが、『思想地図』でも、『ユリイカ』でもご一緒していますので、久しぶりにお話しできるのがマジで楽しみです。

さっき知ったのですが、同日に同じ場所で長坂常×中山英之×西澤徹夫のトークイベントもあるようですね。芸術 vs 工学、表層 vs 深層ですか。分が悪いのでは。

でも両方見ると、現代社会の構図がよく理解できそうですね。賢明な諸兄はぜひ両方見ることをおススメします。「表層と深層を架橋せよ!」ということでw。

思想地図、ユリイカ、建築雑誌と感想がちらほら届いております。

1.インテリアを語る/検証「批判的工学主義」(matt | atlas ver.beta)

この<特集:検証「批判的工学主義」>や思想地図〈vol.3〉特集・アーキテクチャ、ユリイカ2009年6月号 特集=レム・コールハースなどで藤村龍至さんのテキストを集中して読む機会になりました。思想地図の「グーグル的建築家像をめざして」は、状況から解釈ではなく状況からプロセスを表した秀逸なテキストだと思います。

李さんのインタビューは『建築雑誌』6月号の第1特集で掲載されていますが、「これで建築とインテリアの間にコミュニケーションは生まれるのでしょうか?」と問題提起。一度ゆっくりお話伺ってみたいですね。

2.『BUILDING K』藤村龍至(藤原徹平)

すごく凝った感じのボリューム構成とすごく適当そうに見える外壁材とのアンバランスな組み合わせが、普通でない。すごく丁寧につくったフランス田舎風煮込みを100円ショップで買った陶器の器に盛るような感じかな。少し違う気もする。まな板がテーブルマットで出てきた感じか。

貴社設計の「ONE表参道」も3面がアスロック素地ですけどw。藤原さんらしい、簡潔なテキストでコメント頂き感謝。

3.『グーグル的建築家像をめざしてー批判的工学主義の可能性』を読んで(dislocated passage)

論を丁寧にトレースし、ちょいちょい口を挟むという構成で、最後に「藤村龍至氏には設計活動、実施であれ、アンビルトであれ、新しい作品を作っていくことを期待している。」と激励。肝心の彼の主張は何なのだろうとも思うが、関心を持って下さっているのは嬉しい。

このテキストを読んでいると、口を挟んでくれているところが今回の論考で意図が通じにくかったところだということがよくわかる。次回バージョンアップするときに反映させて頂くことにしよう。

そのほか、先日対談させて頂いた難波和彦さんも日記でコメントして下さっています(6月2日・3日)。

『思想地図』vol.3を読み続ける。藤村龍至の「グーグル的建築家像をめざして 批判的工学主義の可能性」は、これまで藤村さんが書いて来た「批判的工学主義」の総まとめになっている。(中略)巻頭の共同討議「アーキテクチャと思考の場所」に関する藤村流のコメントもあり、なかなか充実した論文になっている。

藤村さんが提唱する「超線形設計プロセス」は設計プロセスにおける磯崎流の「切断」を模型によって外部化し「保存」する点に特徴があるが、この「模型による外部化」について、藤村さんはちょっと気になる注釈(注釈36)を行っている。「近い将来「模型」のはたす役割は3次元CADのシステム(BIM)に移行するであろう。総合的な設計データの保存は竣工後の改修や改築をスムースにし、建築をより「プロセス・プラニング」的にする」。

このコメントの後半は正しいが、前半は明らかに間違っている。「模型による外部化=物質化」から得られるノイズに溢れた情報は、決して3次元CADシステムがもたらすヴァーチャルな情報では代替できない。藤村さんは気づいていないようだが、僕の見るところ超線形設計プロセスによる進化論的なデザインは模型化=物質化によるノイズ=突然変異によってもたらされるのだ。これは藤村さんが一連のインタビュー記事をインターネットではなくフリペーパーに外部化=物質化していることとも関係している。外部化=物質化は情報を身体化し、予測できないノイズを生み出す。要するに情報の物質化は、真の意味で予測不能な「外部」をもたらすのである。「切断」の最大の可能性は、そうした「外部」を生み出す点にあると言っても過言ではない。

コメントに感謝致します。

翌日のコメントでも「設計プロセスに非線形な不確定性=カタストロフを避けることは出来ない」ことをご指摘頂いています。

念のため補足させて頂くと、僕は設計プロセスが一般的に予測不可能性、カタストロフ、ノイズを避けることは出来ないというご指摘はもっともで、そのことに反論するつもりはありません。

ただ、僕が設計プロセスを進化論的にプレゼンテーションするのは、時代状況から考えて、予測不可能性やカタストロフを強調するよりも、その限界を踏まえた上であえて設計手続きの可能性を考える方がポジティブに感じられるからです。

難波さんが繰り返しご指摘されるように、デザインは本来非線形なプロセスをたどるし、カタストロフは避けられないし、アレグザンダーは失敗したかもしれない。が、その認識に立つことと、社会的な意志を持った人がそれを果たしたいと考えるとき、その人の挑戦を手助けする道具として「設計」を用いようとすることは別の話なので、限界よりは可能性を論じたいと思うのです。

恐らく、「設計」の限界を主張することが批判として重要だった1970年代という時代があったのだと思うが、今は時代が一回りし、「設計」を主題にしたほうがメッセージになる時代なのではないか。

a+uの『MVRDV FILES』(2002年11月臨時増刊)でのヴィニー・マースと青木淳の対談で、「シニシズムに打ち勝つには共感が必要」と主張していたことを思い出す。

久しぶりにヴィニーに会いたくなって来ました。いつか「批判的工学主義」や「超線形プロセス」の話をしてみたい。

というわけで、濱野さんとの討議は楽しみです。じっくり難波さん(や青木さんや富永さん)への反論を組み立てたいと思いますw。

fujimura

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2009年06月14日 23:04に投稿されたエントリーのページです。

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