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メモを取り/質問を考え/最後まで残りたまえ

25日、山崎さんと共に五十嵐淳さんの住宅を見学させて頂く。中に入っても、CH=7000mmの吹き抜けや、頭上に乱れ飛ぶブレース、思わず蹴飛ばしそうになる照明など、身体の感覚が慣れるまでしばらくかかってしまった。窓も小さいし、屋根は異様に大きい。慣習的な適正値が全てキャンセルされている感じ。

キャンセルといってもネガティブな印象は全くなく、どちらかというと攻めの設計でかっこいい。スケールにしても、ディテールにしても、車の運転みたいなもので、腕に自信が無いと攻めるなんて出来ない。

27日、編集委員会の打ち上げ旅行で長野のリゾナーレへ。mosaki大西君の完璧な段取りで心地よく楽しませて頂く。団体バスに乗り、風呂に入り、食事し、飲むといういわゆる親睦旅行。飲み会がはけた後、若手ばかりの部屋で酒も飲まずに深夜までダベる的な。修学旅行みたいな夜を過ごす。

翌朝は建築見学。ベリーニの全体計画は、古典主義的な共用施設棟と集落的な客室棟の対比が秀逸。ただし、客室棟はアルゴリズミックな表現にあふれた昨今から見ると少々硬い。もうちょっと壁面線の角度がずれるといい感じになると思うのだが。

KDaの設計したインテリアや建築も見学。サークルプランで構成された「もくもく湯」はどうも風呂に入っている気がしない。慣習をキャンセルしたと言っても、五十嵐さんみたいなかっこよさとはちょっと違う。ルール自体を共有していないというか・・・。他方、電車の広告でよく見るチャペルは演出的でなかなかよかった。

28日、旅行を途中で切り上げ、あずさ号で都内に戻る。19:00、青山ブックセンターにて濱野智史さんとトークイベント。

濱野智史×藤村龍至トークイベント 「設計/デザインを考える」@ABC

レビューがたくさん挙がっております。

Eternal Principle of the Inherited Mind(yomoyomoの「情報共有の未来」)
設計/デザインを考える(matt | atlas ver.beta)
ウェブ的? シミュレーション的 ?(Tip. Blog)
10年代へ向けて(simon)
濱野智史×藤村龍至トークイベント 「設計/デザインを考える」(つれづれん)
「思想地図 vol.3」刊行記念 濱野智史×藤村龍至(kuro-nicle -chronicle-)
設計/デザインを考える(Jump Over The Moon...)
社会のための方法論と、私のためのバランス感覚(Scape + Space)
設計/デザインを考える(jump a light @ the city lights)

事前に(3回も)打ち合わせをしたこともあり、短い時間でかなり濃密な議論ができたのではと思う。会場は予想取り思想地図系が多く、建築系は少なめ。最初に「建築系の学生はこういう場所に馴れていないので、メモを取りながら聞きなさい。質問を考えながら聞きなさい」とあらかじめ釘を刺しておく。

討議にあたり、思想系の読者に藤村を紹介するという設定で進めるのがよいだろうということで、建築的な話題を濱野さんが情報社会論的に噛み砕くという設定で展開する。また、東さんの質問に応えるためにも、言い切り型のトークをしようと確認。結局ウェブと建築は違うよね、という印象を与えたら失敗なので、いかに問題を共有しているかを連呼するという作戦。

実際に「超線形プロセス」は濱野さんのいうアーキテクチュアル・アプローチそのものなので、話が合わないわけが無い。「言い切る」という部分でも、東さんの質問に応えるかたちで最後に濱野さんが「批判的にしむら主義」を唱え、無事トーク終了。

続いて質疑応答。最初に手を挙げたのは建築学生(偉い!)。その他、「『超』線形という大いなる矛盾については」「スケールに限界はないのか」等々、活発にいろいろ質問が挙がったあと、最後に鈴木謙介さんが「そうは言ってもウェブと建築は違うだろ」と社会学者らしく?水を差すが、濱野さんがすかさず空気を読んで「続きはラジオで!!」と応じ(濱野さんはこの日の文科系トークラジオに出演する予定で、トークイベントで告知をする予定だった)、爆笑を取る。

絶妙な振りと返し。完成度高すぎる。建築系のトークイベントではなかなか見られない。

この日の午後に長坂さんたちのトークイベントがあったのだが、両方見たという『新建築』の四方編集長が「こっちは文字数がかなり多いですね」と四方さんらしくクールなコメント。ただ、今日の議論は刺激になったと言ってくれた。

打ち上げ後、東さんと電話で話す。twitterで内容を把握されていて驚く。

2日、15:30李明喜さんと対談@霞ヶ関sign。ひょっとして攻撃的だったらどうしよう!?とかビビっていたらすごくソフトな話しやすい方でした。かなりシンクロ率高いディスカッションが出来て大いに満足。ありがとうございました。勧められてtwitterに手を出してみました。これはいいかも。ブログが立体化できる感じ。

3日、10:00理科大学生エスキス@事務所。7人中5人の設計があまりにも遅れているので、事務所で補講をすることになった。ところが、現れたのは1名だけ。1時間以上遅刻して、2名が欠席(うち1名は無断欠席)。結局3名が参加。

「『ジャンプするな』ってジャンプしろ、ただしその意味を考えろ」って意味だよ・・・。
「『想像するな』って想像しろ、ただしプロセスのなかで」って意味だよ・・・。

逆説というものはなかなかうまく伝わらないものだ。最後の方になって、全部わかる。関西のワークショップでも、首都大でもそうだった。だって「ジャンプしろ」「想像しろ」「後戻りしろ」だったら何も考えるきっかけにならないけれど、逆のことを言われるとよく考える。この二重性を理解してもらうには時間がかかる。仕方が無い。

4日、午前中、首都大の連中と久しぶりに会い、16:00東工大の百周年記念館で卒業設計講評会+シンポジウム。坂本一成、高橋寛、高橋晶子、大成優子、吉村英孝、藤村龍至というメンバーで。あえて東工大関係者だけで固め、東工大的な建築の思考の固有性について論じ、そこから建築の可能性について議論するというガチな試み。

事前に自分のインタビューを含むフリーペーパーが配られたので(とてもいい出来)、その内容に触れながら立体的な議論を試みる。

前半は大成さんが「もうちょっとリアリティを」と学生へお説教。よくある展開。実務をやっている人間が学生に向かってリアリティを求めることも、「学生なんだから描きたいものを描けばいい」というのも、どちらも表面的な議論になりがちだが、学生と実務家あるいは教師が対等に議論するには、設計の方法論に限る。そうでなければ、また「私性と社会性の対立」とかに陥るだけだ。

途中まではおとなしくしていたが、人数の多いシンポジウムでは発言する機会が少ないので、持論を展開するに限るので切り替える。「1990年代以降の重要な社会的変化は情報化と郊外化であって、卒業設計はだいたいどちらかに分類される。ただそれらを繋いだ卒業設計が見られない。そうした社会の変化を繋ぐ行為こそが批評的だろう。だからこそ、今設計の方法論について議論するべき」だと主張。

するといろいろ反論が出て(もちろん狙い通りだが)、「建築にとって重要なのは着地点であって、方法論はどうでもいい」と坂本先生が暗に藤村批判。そこですかさず「構成の形式を研究して来た坂本先生が『方法論は関係ない』というのは逆説であって、むしろ『方法論こそが重要だ』というメッセージだ、それを勘違いしてはいけない」と観客に向けて釘を刺すと坂本さんが我が意を得たりと「その通り。本当は方法論こそが重要だと思っている。間違って伝わったらいけない」と同意してくれて、無事シンポジウム終了。

「空間」とか、「設計」は私性と社会性を繋ぐ道具であって、「空間」=私性、「設計」=社会性ではない。そのことを議論するために、高橋さんはフィクションという言葉を導入されていた。

坂本先生は今年の3月で名誉教授になられたので、いつになくリラックスされていたように思える。初めて坂本先生と議論らしい議論が出来たことが素直に嬉しかった。終了後、打ち上げへ。あまり話したことのない学生もいて楽しい飲み会。鎌谷がリーダーっぽく振る舞っていて成長を感じる。

登壇者としても、主催者も多いに満足して解散したのだが、レポートを読むと伝わり方は千差万別。

エヴァ、東工大卒業設計、藤村龍至(中井翔也)
建築教育と建築現場のハザマ(doggyのブログ)
TITEC DIPLOMA 2009 レポ(サイコロガシ)

シンポジウムで話されたことと、受け取られ方が180度違うものもある。

東京工業大学 卒業制作展(archi_diary)

トークイベントについては藤村氏が方法論について語る中で坂本氏の「方法というものはさして重要ではなくてその着地点こそが重要なのではないだろうか」と一言が胸に突き刺さった。

うーん、だからそれは逆説だよ!

一見ものすごく当たり前なことを言っているようであるが、最近建築メディアでアルゴリズムや藤村氏の『超線形設計プロセス論』などを含む設計プロセスというものが、その方法によって生み出された成果としての空間よりも大きく取り上げられ、あたかもそのプロセスこそが凄いと言わんばかりだが、設計の方法論というものはあくまでその建築家の情報整理の仕方を提示しているだけであり、そこに新しさとかを求めていくというのはちょっと違うんじゃないかと改めて感じさせられた。

それも「プロセスこそがすごい」=「空間こそがすごい」という逆説!

トークイベント自体に関しては、もうちょっとモデレーターが議論を提示、展開していけたらよかったんじゃないかなとちょっと感じたのと、コメンテーターもそうだが、ちょっと内輪過ぎなのでは(笑)

だから「あえて閉じる」のがコンセプトだよ!!

もちろんここでは糾弾しているわけじゃなくて、ネタをベタに受け取ってしまう彼は、愛されるべき存在であると思う。

同じ学生でも、g86の連中とはすんなり議論できることも、なぜここまで開きがあるのだろう。そんなに難しいことを言っているわけではないから、普段他人と議論する機会が少ないだけなのかも知れない。

そんな諸兄にいい方法を教えよう。シンポジウムに参加するとき、メモを取りなさい。質問はトークの最中に考えなさい。そして、懇親会には最後まで残りなさい。そうすれば、ネタをベタに受け取ることも、質問に満足いく答えが得られずにブログで文句を書くこともなくなり、人生が生産的になるぞ。

ちなみに、「超線形プロセス」も設計プロセスのなかにメモ(履歴)を残し、質問(改善点)を見つけ、コミュニケーションを尽くそうとする方法論である。そうすれば設計が的外れになることも、紋切りに陥ることもなく、濃密な建築が得られ、社会が生産的になるのである。

もちろん、最後のはネタだからマジレスとかしないように。念のため。

fujimura

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2009年07月09日 11:46に投稿されたエントリーのページです。

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