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2009年08月 アーカイブ

2009年08月02日

ARCHITECT 2.0とARCHITECT TOKYO 2009、ついに始まる。

キュレーションをさせて頂いた2つの展覧会が始まりました。

ARCHITECT 2.0展 オープニング(BUILDING M日記)

31日は「ARCHITECT TOKYO 2009」および「ARCHITECT 2.0」展のオープニング・レセプション。関係者の多い展覧会なので、調整に大いに時間を費やしたが、無事オープンすることができた。

当初はhiromiyoshiiのキュレーション依頼から始まった話だったが、やがて全体のリリースの作成、広報窓口、GYREの共通展示会場の構成を一手にお引き受けすることになった。加えて「ARCHITECT 2.0」展のキュレーションも依頼され、毎日各ギャラリーと設計事務所、GYREと連絡を取りながらいろいろな物事をまとめていくこととなった。

いくら調整ごとが嫌いではないとは言え、なかなかに骨の折れる仕事ではあったが、都市とか政治とか言っているからにはこれくらいささっとまとめられなければならない。

・・・とは言うものの、実際はいろいろ手違いやすれ違い等もあり、関係各方面にご迷惑をお掛けしてしまった。皆さんのご協力があり、なんとか無事こぎ着けたというのが正直なところ。

28日から始まった搬入と設営。各ギャラリーと設計事務所から続々運び込まれる模型たち。続々と空間が出来ていく。29日夜にはだいたい揃う。30日、キャプションをどんどん取り付けていく。会場が一気に情報化される。「2.0」展会場にmashcomixとTEAM ROUNDABOUTのコラボレーションによる「巨大戦後日本建築史マンガ」が掛けられると会場の濃度が一気に変わる。圧巻、の一言。

31日、なんとか準備を終え、最後の調整をしていると、批評家の浅田彰さんや白石コンテンポラリーアートの白石正美さんなど、そうそうたるメンバーが登場。企画監修者の飯田さんが呼んで下さったようだ。緊張しながら説明をする。浅田さんは『思想地図』や『ユリイカ』を読んで下さったそうで、展覧会の趣旨も素早く理解して面白がって下さった。

18:00過ぎ「2.0」展プレス発表。簡単な挨拶のあと、マンガから順番に説明をしていく。ノンストップで40分くらいかけて全作品の出展意図を説明。ここで伝えたいことは全部説明した。さすが本物のプレスの方々は熱心にメモを取って下さり、手応えを感じる。

プレス発表の間、白石さんが後ろの方でずっと説明を聞いて下さっていたのが嬉しかった。白石さんは今から20年前、表参道にあった伝説のギャラリー「東高現代美術館」で建築展を企画したことがあったのだという。そのときの参加者は当時30代の妹島和世さんたちだった。「2.0」展はそれ以来の建築展だと言ってくれた。

19:00より共通のオープニング・レセプション。徐々に人が増え、足の踏み場もないほどに。伊東豊雄さんはじめ、出展建築家の皆さんやメディア関係者の方々、美術関係者の方々がたくさん集まって下さった。「2.0」展のほうは一様に好評だったが、人が多すぎて途中からマンガしか見えない状況になってしまう。

21:30無事終了。その後の打ち上げの席ではとろけるような睡魔に教われる。こんな気持ちは久しぶりだ。LIVE ROUNDABOUTの1回目を終えたときと同じような、何か新しい出来事を起こした手応えのようなものを感じる。

今までにない、問題提起型の展覧会になったと思う。ぜひ多くの建築関係者に見て頂ければと思う。

1日は「生成の世代」展のオープニング・レセプション。

「生成の世代」展 オープニング(BUILDING M日記)

31日と違い、プレス発表等はないので、リラックスして臨む。21:00終了。オーナーの吉井さん、出展者の皆さん、TEAM ROUNDABOUTメンバーと近所のもんじゃ焼き屋さんに移動し、打ち上げ。

もともと現代アートはそんなに詳しい方ではなかったが、今回の仕事で一気に詳しくなることができた。今回の参加ギャラリーは現代アートの最先端を扱うところばかりなので、吉井さん、小山さんをはじめ、有名なギャラリストの皆さんといろいろお話しできたのは貴重な経験になった。

美術と建築は似ているようでとても違う。展示ひとつとっても、例えばアートギャラリーの展示では、キャプションの類いはほとんど表示しない。ハンドアウト(作品リスト)も、カウンターでお願いしないともらえない。ビルの入り口に来ても、どこにギャラリーがあるのかすぐにはわからない。会場の入口のタイトルもとても小さくしか表示していない。

そのようなこともあり、hiromiyoshiiの会場では「小山Gの展示の一部かと思った」という人や、「全部藤本さんの作品だと思った」という人もいた。「説明し尽くす」主義の私たちとしては苦しいところではあったが、今回はそういう流儀であると割り切って、美術的なプレゼンテーションに徹することにした。

会場は山崎清道さんが頑張ってくれて、とてもきれいな空間に仕上がったと思う。彫刻のように飾られた模型たちはいつもよりオーラを放っているように見える。

BankARTの展示のときもそうだったが、今回も建築関係者へ向けてというより、美術関係者や他領域の観客へアピールすることを考えた。1点突破で同じ展示を続けたのはそのような理由による。プリズミックから数えて、何度同じプレゼをしているのだろうかと思うが、作風がある程度浸透するまでは常連客より新しい客を取るべきだと考えた。このあたりのさじ加減は難しいが。

何はともあれ、ここ数ヶ月、時間を費やしてきたふたつの展覧会が、無事オープンできたことを喜び、感謝したい。ぜひ多くの方々に訪れて頂き、感想を頂きたい。

なお、アートギャラリーは基本的にコレクターとギャラリストの取引の場。サンダルに短パンの学生がうろうろするような雰囲気ではないので、学生諸兄は服装に注意。

fujimura

2009年08月03日

ならば君はどうするか?という問題

2夜連続で開催されたビッグ・イベントの翌朝、西田司/ON designの新作「横浜アパートメント」の現場へ。

現場は横浜の野毛山動物園裏の住宅地にある。時間が迫っていたが、地図を忘れ、道に迷ってしまう。途中まで辻君に迎えにきてもらい、雨のなか走って現場入り。心臓破りの坂がきついですが。

今回は「横浜アパートメント」の竣工直前の現場で行われたインスタレーションを巡るシンポジウム「僕らは実『現場』所をどこにみるか?」に呼んで頂いた。インスタレーションは、「403 Architecture」という横浜国大出身のグループによる。「横浜アパートメント」には1階に大きなコモンスペースがあり、2階に4つの個室がある。今回はコモンスペースの実践の例として、西田さんが呼びかけて彼らのインスタレーションとシンポジウムが実現したのだという。

まず西田さんに建物を案内してもらい、403のトークからシンポジウムのスタート。「斜に構えた連中の集まり」とかカッコつけている割には、聞いている方が恥ずかしくなるくらいベタに熱くリアルなものを皆で作ったことの感動を述べる403メンバー。いいですね。

6人が今回のプロジェクトで感じたことを代わる代わる語り続けていたが、一貫して単管足場、布板(=マテリアル)の話と現場(=サイト)の話が中心。熱さはあるが、当事者以外にとってはとりとめがなく、広がりの感じられない議論であったのは確かである。当然の帰結として会場から「初めて来た人には通じない話だが、ギャップをどう考えるか」と質問が出る。

その後、休憩を挟んでシンポジウム。

こういうとき、僕のようなゲストの役割は、
彼らの「熱いが狭い」主張を客観視して、問題を取り出し、議論を拡げることである。

まず予想されるリアクションを整理。

後輩は「先輩すごいなあ」とベタに感動するだろうし
同級生らは「内輪で盛り上がりやがって」と斜に構えるだろうし、
先輩らは「当たり前のことで盛り上がりやがって」と思うだろう。

ラウンドアバウトの議論も全く同じなのでよくわかる。

だからそれがいかに素晴らしかったか、だけを語っても伝わらないので、
いかに客観視する問題のフレームを作れるか、がポイントとなる。

そこで僕が組み立てようとして議論は下記の通り。

作品をつくることは素晴らしいが、「その先にどこへ向かうか」を考えると、
可能性としては論理的に2つの方向にしか展開し得ないことに気づく。

1.表現を極める=芸術にする=アーティストになる
2.機能を極める=工学にする=工務店になる

その2択感は、建築家が置かれている状況と全く同じ。

1.表現を極める=芸術にする=アトリエ派
2.機能を極める=工学にする=組織・ゼネコン派

本来は建築家という職能は両者のあいだに位置づけなければならないのに、
それが不可能になってしまったのが1970年以後の技術依存が進んだ社会。

ならば君はどうするか?

アーティストか、工務店か、はたまた第3の道を探るのか?
「単管足場」の先に、君のスタンスが問われる。

現代建築がいかに可能か、について議論をしていると、
図らずもその人の人生観なり、建築観なり、社会観なりが出てしまう。

ああ、君はゼネコンに就職するわけね、とか。
ああ、君はアトリエに行くわけね、とか。
ああ、君は第3の道を目指してけもの道をたどるわけね、とか。

それを明らかにすることがまず重要。
そこが何よりも、建築の可能性を考えるための起点となるからである。

今回のテーマである「実『現場』所をどこにみるか」という問いは、
まず君自身のスタンスに問いなさい、ということになる。

彼らのような20代にとって、アトリエか組織かという就職の問題は
個人の問題のように思えて、そのまま社会の問題に繋がってしまう。
だから大学院生が「社会」とか、「都市」について考えるなら、
セルフビルドのことを考えるよりも、
「就職」のことを考えるのがもっとも正しい。

一生セルフビルドを続けるならそういうスタンスもあり得るけれども、
そんな根性のある人はほとんどいないからである。
やれるもんならやってみたまえ。

彼らは「プロセス」の話に期待して呼んでくれたみたいだが、
話を聞いていると「スタンス」の話のほうがしっくりきた。
スタンスを定めずにプロセスの話だけしていても意味がないし、
逆もまた真なり。

現状、日本の建築系の議論は90%以上「身の回り」オチである。
「作ることそのものが素晴らしい」とか。
「身の回りから考えていきたい」とか。

それでは話が前に進まない。
当事者で盛り上がって終わり。

そういう話は自分たちで勝手にやって下さい、
という空気になって議論はまずまず閉じる。

西田さんも僕も、その先に行こうとしているし、
403の彼らもそういう展開を期待しているはず(べき)。

メンバーの原崎さんは「藤村さんの言っていることは
社会人になって働くから少しはわかるようになったが
観客の学生の皆さんにはわからないのではないか」と言っていた。

たぶんそうだろう。
それはわかっている。
でも問題は常に提起しなければならない。

ちなみに僕は「どうせすぐには通じないが、しつこく話せばいつかは通じる」と考える。
黒川紀章が「共生」という単語の入った講演会のタイトルを数えたら
1000回超えていたという。そうやって同じ単語を強調していくと
世の中が「共生」「共生」と言うようになる、と。
そういう姿勢が大事かと。

先日の思想地図イベントに参加してくれた人のひとりは
「観客が一緒に成長している」と表現してくれた。
議論の楽しさだけ、充実度だけ考えるなら話す人を選べばいいだけの話だが、
それではやがて管を巻くだけの議論になるのは目に見えている。
成長するためには「話の通じない人に」アプローチするのが重要。

僕らはずっと一貫して「メディアに訴える」という戦略を採っている。
RAJvol.8や福岡のデザイニング展で実感したことだが、
地方の建築家であれば社会=コミュニティやローカリティに直接出会えるが、
東京の建築家はメディアを介さないと社会に出会えないという
決定的なスケールの違いがある。

ゆえに採るべき戦略にも違いがある。
だから私たちはフリーペーパー、シンポジウム、本、展覧会と
メディア活動に焦点を定めて活動を展開し、
メディア関係者にターゲットを絞って問題提起を続けている。

メディア関係者の意識を変えなければ、
議論そのものの風向きが変わらないからである。

西田さんは「横浜」でローカル型、コミュニティ型のアプローチを採りつつ、
しっかり『新建築』の編集長を呼んでいるあたり、
メディア型のアプローチも忘れない。
素晴らしいバランス感覚。
とても共感する。

そして、そんな西田さんの戦略的なフリに対して
ベタなまでに熱く盛り上がっちゃう403のメンバーにも、
とても共感する。

建築家は、熱く、かつ戦略的でなくちゃね。
これからも頑張って仕掛けて頂きたい。

展覧会のオープニングの直後というタイミングで
自分たちの活動を振り返る意味でもいい機会だった。
呼んでくれてありがとう。

それにしても、すごい建築が現れたと思う。
「スタンス」や「プロセス」がそのまま立ち上がったような建築。
BankARTで模型を見て以来、ずっと期待はしていたが、本当に実現してしまうとは。

「横浜アパートメント」は間違いなく西田さんの代表作になるだろう。
そういう建築が立ち上がる瞬間に立ち会えたのは同世代の建築家として幸運だった。
またそのうち訪れたい。

fujimura

2009年08月08日

ダイアリー/アーカイブ/プロセス

10+1website「特集:建築とアートの新しい関係」にARCHITECT TOKYO 2009関連のレポート記事を寄稿させて頂きました。

ARCHITECT TOKYO 2009──アート・ギャラリーで建築展を開くという試み(藤村龍至)

同特集では美学芸術学の天内さんも寄稿されています。

記録することの意味(天内大樹)

川俣論>磯崎論ときて、最後に藤村論!!

そのプロセスの重要な役割は、実は模型という形で残された彼らの検討プロセスのログ、あるいは設計要素=「変数」の一操作ごとに残されたダイアリーであり、それが集積されたアーカイヴである。過去の操作を保存する模型群は、設計の"Undo"操作を保証するためではなく、むしろ一つの「変数」を読み込んだときの操作を保存し、そのベクトルを無効にしないようにするためのものと考えられる。

そうそう。

そうしたベクトルの集積が、検索ないし比較の過程を具現化し、そこに建築家の職能を見いだす──というのが藤村の議論である。ここでも、アーカイヴの意義が別の形で読み込まれていることが理解できよう。

そうそうそう。

こうしたアーカイヴの重視は、おそらく方法論のドラスティックな進歩が見込まれているときに、見込まれた将来の方法論を適用する材料を集める過程を軽減することが目論まれている★7。おそらく、建築でも美術でも、そのような予感が広範に共有されているのだろう。

そう、そうなんだよね!

天内さんによれば磯材、川俣、藤村は下記のように整理されると。

磯崎:建築家の署名がどこまで有効かを測定するためにアーカイヴを利用する
川俣:美術家の署名につきまとうある種の思い込みを解除するためにアーカイヴを利用する
藤村:建築家の署名がそもそも成立するのかを測定するためにアーカイヴを利用している

なるほど。

このブログにしても、twitterにしても、ダイアリーやアーカイブをそのまま設計や批評の材料にしているような感覚がある。作家がログを残すことはコルビジュエの時代からあったけれど、ログ=履歴そのものを設計の材料にするような方法論はこれまでありそうであまりなかったと思うのだが、さまざまな情報技術や、それがもたらした想像力がそれを可能にしていることは言えるのではないかと思う。それを「新しい署名の方法」と定義することはできるのではないか。

つい先日、R&Sie(n)に務める木内君とペン大でセシル・バルモンドのスタジオを受講していた福西君と話す機会があった。フランソワ・ロッシュとセシル・バルモンドは現代のアルゴリズム表現の2大カリスマのような建築家で、そこで学んだ彼らがたまたま揃ったのは興味深い。

海外を見渡すと、どこかで見たような形態が氾濫している。似たような形態の洗練の度合いでしか比較できない。それらを差異づけ、意味付けるものは背後にある設計の方法論だが、それをまともに議論しているのは日本しかない、と木内君はいう。

ヨーロッパやアメリカの建築が全体に行き詰まっているのは確かだが、木内君がいうほど日本で設計の方法論の議論が盛んだとは今のところあまり思えない。「結果論」としてプロセスを公開するような企画はいくつかあるけれど、「方法論」として正面からプロセスの問題を議論している企画は少ないのではないか。まして、その社会的な意味を議論する機会はどれだけあるだろう。

結局のところ、表層で多彩な表現があふれているときに表現のオリジナリティをいくら追求しても、多少の流行はつくれるとしても、結局マーケットに消費されるしかないという構造は、アートも建築も似たようなものなのだと思う。そんな時代にいたずらに美術の表現だけ真似て、あるいは建築の表現だけ真似て、「建築とアートが近づいた!」と議論しても生産的とは言えない。どちらかと言えば、天内さんが指摘するような磯崎さんや川俣さんのように記録や表現を生み出す構造的なレイヤーでのクリエイションのほうに可能性があるのではないか。

ということは、建築家にせよ、アーティストにせよ、あるいは批評家にせよ、向かうべき方向は見えているといえる。10月の建築夜楽校シンポジウムは、今回のアートイベントで学んだことを持ち帰り、新たな議論を構築するきっかけとしたい。
fujimura

2009年08月12日

ARCHITECT 2.0展 全コンテンツ解説

表参道GYREで開催中のARCHITECT 2.0展、おかげさまで動員も好調のようです。

松島JPが日記をうぷしていますね。
7/31 (STUDIO LITHIUM diary)

それでは、恒例の全コンテンツ解説を。

会場ではまず、「戦後日本建築史マンガ」が時代を切り取ります。

1.1945-1970

テーマはビジョンとリアリティの関係。経済の成長と技術の発展が著しい時代には、ヴィジョンとリアリティが緊張関係を保つことができた。博士と市長のコミカルなやり取りは科学と政治の緊張関係が、手塚、アトム的なタッチで描かれます。

2.1970-1995

ここで描かれるのは資本主義と作家性の関係。巨大建築論争からバブル建築に至るまでの建築の巨大化と、それがもたらしたアトリエと組織の乖離およびそのカップリングが、ジャンプ(=商業マンガ)ふうの劇画タッチで描かれます。

3.1995-2010

最後は萌え系マンガで現代を描きます。脈絡のない学園マンガが教室を暗示する均等なコマ割りをベースに描かれ、ヲタキャラがその周辺を埋め尽くします。最後にそれをギャルがくるっと丸め、深層を規定するエンジニアの存在と次なる展開を暗示します。

時代毎に天丼+夢オチ、少年漫画+少女漫画、ギャル+ヲタというベタな表現を展開しています。RAJや建築雑誌でコラボしてきたmashcomixの皆さんが、それぞれの持ち味を活かして3名ずつ、合計9名のチームを組んでくれました。ミーティングでセッションを繰り返してストーリーをつくり、赤入れしながら絵を完成して行くプロセスは、単なる原稿依頼というよりはセッションと呼ぶにふさわしい作業だと思います。

越澤太郎さんによるキャッチコピーにも注目。越澤さんは私が携帯電話のCMに出演させて頂いたときのコピーライターです。mashのマンガのラフが上がってきた後、越澤さんともセッションを行い、一緒にコピーを練って行きました。こちらは初めてのコラボでしたが、非常に刺激的でした。

マンガにしろ、キャッチコピーにしろ、簡単そうで難しい、実に絶妙なバランスの上に成立する表現だと思います。我々の込み入ったコンセプトをmashcomixがビジュアルで、越澤さんがキャッチコピーで、うまく開いてくれました。

会場では、それぞれのマンガに解説がついています。マンガも広告も本来、解説はタブーとされていますが、本展ではあえて詳しい解説を加え、説明主義的にプレゼンテーションしています。昨今の作家の寡黙主義に対する批判でもありますね。

次に、出展作品に移りましょう。

1.せんだいメディアテークコンペ応募案(古谷誠章)1995

いつか実物を見たいと思っていたコンペ応募当時の模型です。パネルは東京大学で開かれた「ヴァーチャル・アーキテクチャー」展当時のもの。アマゾンの書架システムのコンセプトが95年当時に提出されていたことが驚きです。当時は判断できなかった古谷案の批評性を、今なら冷静に判断できます。

2. 富弘美術館(ヨコミゾマコト)2005

カラフルな模型も楽しいですが、壁面のパネルにもぜひ注目して頂きたいと思います。シングルラインで描かれたサークル・プランが日を追う毎に濃くなって行き、フィードバックを繰り返してジオメトリーが濃密にされていくプロセスが一目瞭然。表層と深層をきっぱりと切り離しメタレベルに立つその設計者像は、とても現代的だと思います。

3. W-PROJECT(日建設計)2009

山梨チームの方々が、渾身のパネルを出展して下さいました!ファサードの部分模型+美しくレイアウトされたシミュレーション+ヒューリスティックなアプローチを描いたプロセス・ダイヤグラム。美術関係者も一様に驚いていました。チームワークを見せつけられました。巨大性と建築の固有性を示唆するそのマニフェストは、新しい地域主義の可能性を示唆します。

4. GYRE(MVRDV+竹中工務店)2008

MVRDVと竹中工務店の関係はバブル期によく見られた外タレとローカルアーキテクトの組み合わせにあらず。工務店がコンペを主催し、MVRDV案を選んでいるという関係が設計者像として決定的に新しいのです。表参道に並ぶ建築は、差異と言ってもしょせんファサードの違いに過ぎない、建築家が「表層を超える」と言っても、所詮はファサードのパターンが構造を兼ねただけじゃないか、と言っている(かのような)コンセプチュアルな模型が痛快!

5. 朝日放送(隈研吾+NTT-F)2008

GYREと並ぶ、ダブルクレジット型のプロジェクト。担当の藤原徹平さんいわく「ビルを一個でもつくったことがある人ならきっと伝わる建築」。アトリエと組織が手を取り合えば、都市スケールで建築的思考を展開できる。コストがないから、時間がないからといってあきらめてんじゃねえ!というメッセージが伝わってきます。

6. re: schematic (徳山知永)2009

石上さんや隈さんとのコラボレーションなどで活躍する徳山さんのドローイング・ワーク。プロジェクト毎に開発された専用のCADが生み出す固有の表現を、「新しい図面」と呼んでいます。設計作業の深いところへぽんと踏み込むエンジニアのフットワークに現代性を感じます。

7. 新スケープ(中央アーキ+樋口兼一)2007

徳山作品が新しい深層のメディアアート的な表現とすると、それと対称的なのが中央アーキ+樋口兼一の写真表現です。彼らは自分たちの観察する対象を「新スケープ」と読んで区別しています。アトリエワンのメイド・イン・トーキョーのような、「B級」に注目することで価値の転倒を目論むという意図もなく、淡々と日常を切り取る姿勢を3枚の写真が的確に表現しています。

8. Browin' in the Wind(伊庭野大輔+藤井亮介)2005

代官山インスタレーションで1等を取ったインスタレーション作品。CFD解析のような大量の矢印を並列させた作品は、深層に広がる情報空間を暗示します。

会場では全ての作品にキャプションが長めに描いてあります。イントロの文章も含めて、ちゃんと読んで頂ければと思います。

なお、会場で配布しているアンケートは全部目を通しています。消費者がメーカーにクレーム付けるような調子で書かれたアンケートもたまにありますが、アンケートもコミュニケーションの手段です。匿名だからと言って汚い言葉でネガティブな印象ばかり書いていると、あなたのコミュニケーションのセンスが疑われますよ。僕らに手紙を書くつもりで記入すれば、もっと生産的な内容になるはずです。ネットも同じですけどね。

それにしても、今回はキュレーションという作業に大いに可能性を感じました。まだまだ勉強して次の展開を考えたいと思います。将来的にはコールハースみたいに本格的にキューションを展開してみたいですね。

今回は非常に限られた時間でのキュレーション・ワークでしたが、ARCHITECT TOKYOのラインナップとはまた異なるかたちで現代の日本を切り取るフレームの提示ができたのではないかと思っています。建築をリアリティをもって考えたい人に、ぜひ見に来て頂きたいと思います。

会期は30日までです。17日のみ、全館休業日なのでご注意。

fujimura

2009年08月18日

次世代の都市理論が完成するとき

2009年の夏休みは仕事の合間に後輩諸兄とフェスとか海とか行っている間に終わりました。2009年後半戦のスタートですね。

「ARCHITECT 2.0」展は相変わらず盛況。ブログ効果か、アンケートの調子がポジティブになってきた。入場者は一見少なく見えるが切れ目なく入ってきており、通常のGYREのイベントの1.5倍ペースで推移しているそうだ。LIVE ROUNDABOUTやシンポジウム等ではどんなに頑張っても200人の動員が限界であることを考えると、展覧会というメディアの大きさを思い知らされる。

そんな矢先、とてもポジティブな展評を発見。

2009-08-19 ARCHITECT JAPAN 2009─ARCHITECT2.0 WEB世代の建築進化論(Fairytale/Diary 童話日記)

近年まれに見る、「構造」と「批評」のある展覧会。裏を返せば本展キュレーターである藤村龍至さんが現代の建築界に投げかける批判的メッセージとしても読める。

我々の意図を読み取ってくれて、美術の状況と比較して下さっています。こういうレビューは嬉しいですね。

夏休み最終日の16日、東浩紀さん+宇野常寛さんの『Final Critical Ride』の打ち上げに参加させて頂く。荻上チキさんらと初対面。濱野智史さん、黒瀬陽平さんらと久しぶりに話す。東さん飲み会は毎回転校生みたいな気分で臨むがだいぶ慣れてきて楽しくなってきた。東さんのテンションにエネルギーをもらう。「建築界は外側と接点を持つべき。藤村はようやく開けた接点だ。これからも批評の世代交替のために共闘しよう」と檄を飛ばされる。

『Final Critical Ride』は1000円の同人誌というレベルを超えている。巻頭の仮面ライダー対談は異様に熱い。ライダー自体は見たことがないが、聖地が埼玉らしく、大宮とか川越とか東松山の写真が載っている。

濱野藤村対談「設計/デザインを考える」は今読み返してもとても刺激的な対談だと思う。いずれ建築系の読者にも読んでもらいたい。コミケ会場では学生も買いにきたそうだ。そのうちのひとり、後輩Nがレビューを書いてくれている。

全体を俯瞰するという価値(日常の想像力)

全体に読ませるが、最後が良くない。

この方法論は「ジャンプしない、枝分かれしない、後戻りしない」として、様々な設計条件を論理的に一つ一つ検証していくことで形式を発見し、成長させていく際に、同時に「イメージ」も形成していくことが意図されているのだと思うが(そこに飛躍しない飛躍という可能性が生まれる)そのイメージが形成される過程のダイナミズムをまだ実践できていないのではないかと感じる。様々な情報をコンテクストとして読み込んで行く時に、ハッとさせられるイメージを提示させられるかどうか、つまり日常を相対化できるかどうかがこの方法論の一つの勝負どころであると思われる。

要するに雑誌で見て「外観ダサくね?」っていう感想を述べている。よくある建築学生君のオチ。まだまだ読みが浅いのでは。

17日、夏休み明け業務再開。竣工検査やら会計やら原稿やらに追われる。この日から北大M1の石黒君と東大3年の西倉君の研修スタート。ふたりとも動きがよく、よくしゃべる。とてもよい。BUILDING Kのスタディをやっていた頃、生意気な東工大の後輩諸兄と議論しながら設計していた時期の雰囲気を思い出す。楽しくなりそうだ。

石黒はBUILDING Kの外観は好きだという。西倉はダサいと思ってましたという。好き/嫌いは趣味の問題なのでどちらでもいいのだが、ただ、ふたりともロバート・ヴェンチューリは知らないのだという。コルビジュエとコールハースの間にヴェンチューリがいることを、今の建築学生は知らないし、ヴェンチューリを知らないとBUILDING Kのアグリーさというのは理解されるはずもないのではないか。

18日、インタビュー取材@事務所。編集者の内野正樹さんがインタビューア。「フリーペーパーをつくった動機は?」から始まり、かなり綿密に練られたペーパーを片手に、次々と質問が繰り出される。少し話がそれると「それ違う」という表情をされるので空気を読みつつ話す。ほとんど面接試験である。

内野さんとこういうかたちでお話しさせて頂いたのは初めてだったので、とても緊張したものの、なんだかとても手応えを感じるインタビューだった。

途中、BUILDING Kの外観の話になる。設計の過程で、一旦かたちは完成したが、近隣住民の要望を踏まえて階数を下げたらプロポーションが崩れた。しかし、それでその建築のかたちはより多くの意見を読み込んだことになるので建築家としてはそちらのほうが満足だ、雑誌を見てプロポーションが悪いなどと言われるのは極めて表面的な印象論に過ぎず、建築家として目指すものが違う、という話をしたら、大いに納得してくれた。

別にカッコ悪いものを目指しているわけではないし、構成のレベルでの形式美のようなものはむしろこだわりがある(分節と統合のレトリックなど)のだが、今のところ表現としてうまく伝わっていないのだろうと思う。「アーティキュレーション」なんて言ってもなかなか理解できる学生は少ないので、後輩Nのような印象論ばかりが出てくる。

もっともその状況そのものは理論が浸透し、作品が増えるればそのうち改善されるので大して心配していない。妹島さんが出てきたときだって、みんな「ああ、あのおしゃれなパチンコ屋さんの人」とか言っていたのだ。それよりも今考えるべきことはたくさんある。

そのうちのひとつが、都市の問題である。19日、長谷川豪さん、中村拓志さんと一緒に参加している「地域社会圏」のミーティング@山本事務所へ。僕だけうまくかたちにならず苦戦していたので、この日は個別に特別ミーティング(ただの劣等生ですが何か)。ようやくおおまかな方向性はOKが出た。よかった、よかった。これで迷うことなくスタディに没頭できる。

山本さんは上機嫌でいろいろな集落の写真を見せてくれた。集落は奥深くて面白い。しばらく議論に花が咲く。

ブログに端を発し、フリーペーパーでの議論を経て、「超線形設計プロセス」という方法論は、「批判的工学主義」=新しい地域主義という目的を得た。そのおおまかなストーリーは『思想地図 vol.3』で構築することができたと思うのだが、問題はその先に構想される社会像をいかに描くか、である。まだ直感レベルの仮説でしかないが、恐らくジェネレーションの問題をアーキテクチャ的に建築化できたとき、次世代の都市理論は完成するだろう(とtwitterでもつぶやいてみた)。

それがどういうものなのか。その理論を構築するのが次のステップであり、当面の目標となる。僕の中では、40歳までにその理論を完成させるというおおまかな目標が生まれつつある。「地域社会圏」の研究会は、そのきっかけとなるあろうか。10月の締め切りに向けて、スタディを進めたい。
fujimura

2009年08月21日

「生成の世代」展 トークイベント(8/29土 18:00)のお知らせ

GYRE+都内6ギャラリーで開催中の建築展も折り返し点を過ぎましたが、hiromiyoshiiで開催中の「生成の世代」展最終日に下記のトークイベントを行います。奮ってご参加下さい。

トークイベントのお知らせ

出演:藤本壮介、中山英之、中村竜治、吉村靖孝、藤村龍至、dot architects
モデレーター:TEAM ROUNDABOUT

日時:8月29日(土)17:30開場 18:00
会場:清澄庭園 大正記念館(清澄白河駅下車徒歩5分)
料金:1000円(税込)
定員:先着150名
主催:hiromiyoshii

<お申し込み方法>
メールの件名に「生成の世代展、トークイベント参加希望」とご明記の上、info@hiromiyoshii.comへお送りください。本文には、必ずお名前、ご住所、連絡がつくお電話番号を明記くださるようお願いいたします。

なお、申し込みは1回のメールにつき1名様分のみとさせていただきます。各トークは先着順に参加受付の上、順次メールにてご連絡さし上げます。

*お電話でのお申し込みはできません。
*キャンセルはお受けできませんので、お申し込みが受付された場合には必ずご参加をお願いいたします。万一キャンセルの場合でも、料金を頂戴いたします。
*スペースの都合上、お立ち見のお席をご用意する場合がございます。ご了承ください。

展覧会情報

出演:藤本壮介、中山英之、中村竜治、吉村靖孝、藤村龍至、dot architects
モデレーター:TEAM ROUNDABOUT

会期:8月29日(土)まで
会場:hiromiyoshii(清澄白河駅下車徒歩5分)
入場無料/12:00-19:00/日月祝休
お問い合わせ:info@hiromiyoshii.com(担当:関島)

fujimura

2009年08月22日

祭りのあとで、進化を誓う

「ARCHITECT 2.0」展、「生成の世代」展ともに終了しました。ご高覧頂いた皆様、どうもありがとうございました。

「生成の世代」展最終日の29日、清澄庭園でトークイベントが開催されました。

生成の世代展(arclamp.jp アークランプ)
生成の世代展、トークイベント(0829part-2)
"ARCHITECT 2.0-WEB世代の建築進化論"+"生成の世代"(archi_diary)

arclampの鈴木雄介さんはiPhoneでtsudaってくれています。

*(以下、引用)

清澄庭園の大正記念館なう。「生成の世代」のトークイベントです。

藤村さん。出展依頼した基準は設計段階にプロセス論があるか。設計の初期段階からカタチが生成されていく過程にコンセプトがあるか。

藤村さん。テーマは「模型の意味」。シュミレーション技術(BIM)の発展で模型の意味がなくなっているのではないか?

藤本さん。模型は可能性にカタチを与えたもの。見た人が、模型は全体のコンセプトを俯瞰でき、さらに建物が建ったときの体験を試せる。設計する立場としては、スタッフで共有して育てるもの

中山さん。模型はポータブル。昔、文庫本という形態が発明されたことで新しい文化を生んだ。同じように模型はそのものがメディアになりえる。周りにある空間をシフトさせる力がある。

中村さん。模型は、ナニカを発見する道具。(※中村さんはホントに寡黙なのです)

吉村さん。模型は設計過程の思考プロセスを固定してあるもの。スケッチとしての価値。一方で模型みたいな建築は作りたい。模型はエッセンスを取り出して抽象化する過程。それを実際の建築物でもやりたい。

dotさん。ひとつの模型をいじり続けるスタイル。後半は現場への導入過程としてとらえている。模型そのものを完成としたスタディもやったが、その場合は、模型が現場。

藤村さん。藤本さんは事務所空間全体が模型化している。模型依存症。(※他の人の講評は書ききれず)

oO(イロイロあるなぁ。スタディ。思考実験。ユーザーに対して俯瞰と擬似体験を提供する、メディア。あと量もばらばらなのがおもろい。藤村さんの議事録と言う表現のおもしろい。 )

藤村さん。次は模型を作る量について。

dotさん。一つだけ。積み重ねていく感覚

吉村さん。プロジェクトによって思考のキッカケは違うから作るときと作らないときがある

中村さん。あまり作らない。基本的には頭の中。頭の中だけで作れないときは「作りたいという」欲求にかられて作る

中山さん。少数派。ただ大量にあることでの楽しさはある。同じ物事のたくさんの切断面、あるいは表現の確認という側面はある。それ自体が楽しくなってしまうので注意している。

藤本さん。初期にたくさんのアイデアを形式化したものを大量に並べたい。カンブリア期の三葉虫。案の本質を探るためにやる。ただのバリエーション出しは嫌い。それは価値判断の放棄。模型と一緒に言葉を大事にしている。模型に言葉を与え、それが次の模型を産む。ただし1/20は1つのものをいじり続ける。

藤村さん。設計は進化させないといけない。単純なルールで模型を作っていることで、ヒトがアルゴリズム化されていく。googleのページランクのように。

dot。一つの模型にこだわるコトで、いまの思考状態がわかる。単純なルールをあたえて集合知モデルとして一つの模型にするというのもやっている。

吉村さん。プレゼンで本をつくるのはオランダ人向き。線系に説得するのは日本人にむかない。(※オランダは世界的に有名な建築家が多い。)

中山さん。たとえば本にはめくる快感がある。残りページ=分かっていないことがなくなっていく快感。一方で巻物的な俯瞰から入って、そこから部分の詳細に向かうというものもある。模型は後者的。全体が一気に入って来る快感。素敵な違い。

藤村さん。ブック型とマップ型と呼べるのでは。スタディにおける時系列の解釈の仕方ではないか。建築家の固有性。

藤村さん。模型はマテリアル性が強い。作ることそのものが盛り上がる。都市にも模型性がある。ここは大事。建築の本質ではないか。

模型には思考実験的なものと、もの作りのためのものがあるのでは。それがスケールの違い。ただし、簡単に分断できないはず。またプレゼン空間にも規定される。形態によって共有するスピードが違う。

藤村さん。設計プロセスを盛り上げる手法として、模型でも、ドローイングでも、BIMも個性ではないか。模型がマテリアルで身体性があり、BIMにはないということはない。

(※このあとQAで、模型を作るのに好きな素材は何か?好きなスケールはあるのか?アートギャラリー展示はどう感じたか?などがありました。それぞれ面白かった)

さすが実況中継だけあって正確。ありがとうございます。ブログの方のレポートも充実しています。
twitterはレクチャーのあり方を変えそうですね。

内容は後日きちんと振り返りたいと思いますが、個人的にはなかなか手応えを感じたイベントでした。打ち上げの席で、家成さんに「最初に大阪のApple Storeで一緒にレクチャーしたときに比べると龍至君の成長ぶりに驚いた」と言われましたが、藤本さん、中山さん、中村さん、吉村さん、dot architectsの皆さんとも、何度もイベント等に出て頂いたり、ご一緒させて頂いているので、表面的な批判でプロレス的に盛り上がるのではなく、軸を立てて差異を明らかにし、課題を共有する、という議論の基本が出来てきたような気がします。

主催者や出演者だけでなく、観客の皆さんも、質疑応答やブログの反応を見る限り、具体的で建設的な反応を書いてくれる人が少しずつ育ってきて、一緒に進化しているような感覚はありますね。

結局のところ、設計と同じで、議論の場もコミュニケーションのプロセスが重要で、漸進的に成長して行くことが重要なのだと思います。だからこそ定期的に議論の場を設ける必要があるし、そのことが僕らを成長させる確実な方法なのでしょう。

漸進的なコミュニケーションのプロセスと言えば、先日イベントに呼んでくれたY-GSAほかに所属する403 Architectureのメンバーと飲む機会がありました。先日の彼らのイベントは昼間だったのと僕の方に用事があり、打ち上げが出来なかったため、改めて機会を設定してもらったもの。

近況を聞いているうちに進路相談となり、僕が20代で経験したことの話になり、いつのまにか批判的工学主義の話になり、最後は超設計プロセスについて質問攻めになり、執拗な質問に延々答えているうちに朦朧としてきて、スリープ機能が働き、若干バカにされつつ答えていると、いつのまにかこちらの本気度合いが伝わっていて、熱い感じで終わる、というパターン。

藤村龍至という人(deline)

メディアでのお固い発言と同じことを言っているのに、実際の氏は僕たちの目線に驚くほど近い。それが不思議で仕方がない。

彼は自称ある意味邪道で横入りだし、既にメディアを牛耳る勢いだし、だから上からも下からも横からも一杯批判されてるし、その数だけ激しい賛同を得ているが、学生からすると、そんな藤村龍至を熱く語ることほどダサイことはないけれど、それでも、彼との議論は心底楽しかったし、救われた。

相変わらず言いたい放題だし、メモも若干不正確ではあるが、この素直さがいいのでは。結局ある程度の時間を掛けて意見交換を繰り返せば驚くほど素直にこちらの主張を受け入れる。こういうコミュニケーションのプロセスは楽しい。

コミュニケーションのプロセスと言えば、先頃、首都大と理科大の学生のレポートを採点した。藤村課題では、設計の後にレポートを課し、設計と同等に評価している。「設計プロセスの設計」をテーマにしている以上、設計を終えた後のフィードバックこそが重要であるという考えに基づく。

とはいえ、首都大の70人の文章を読むのはひと苦労。読みながら、顔と作品が思い浮かぶ。理科大は7名なのですぐ読み終える。大量のレポートを読み終え、おおまかに分類するとだいたい以下のようなカテゴリーが浮かび上がる。

表面的な批判・理解不足=C
自分の言葉で語っているもの=B
分析と位置づけのあるもの=A

Cは自らの理解力不足・努力不足を棚に上げて「建築はそういうものではない」などと書いているもの。遅刻欠席が多い人などに多い。Bは自分の理解したところをきちんと書けている人だが、僕が言っていることを単純にトレースしただけだったり、よくある反対意見に終始している人が多い。ほとんどはこのカテゴリー。Aは自分の思うところをまず言葉にし、さらにそれと対立する意見や具体例などを挙げて相対化し、超線形プロセスや自分の作品を位置づけているもの。

素晴らしいことに、学部3年生でもAに到達する人は一定数いる。そのうちのひとりはかなり秀逸な「超線形設計プロセス論」論を展開しており、読んでいて感動した。じっくり対話を重ねて行けば、ここまで得るものがあるものかと。

得るものと言えば、先日、日大の斎藤先生から「日大の学生がレポートで藤村のことを書いているやつがたくさんいたから見てやってくれ」と、レポートの束を渡された。

日大の大学院の授業で、ARUPや小西さんや大野さんのレクチャーに混じって、一度レクチャーをさせて頂いた。構造の学生が多かったということもあって、レクチャーではイマイチ反応が薄く、少々反省した記憶があるが、レポートを読むと確かに47人中24人が藤村論を書いているではないか。

短いレクチャー時間のなかで挑発的なレクチャーをしたせいもあって、大半は「超線形プロセス」の原則を抜き書きし、「『ジャンプしない』というが、ジャンプが必要なのではないか」などと、挑発を真に受け取ってベタな反論を書いているというパタン(=B)に留まっているが、こちらの意図を正確に読み取って自分の考えを述べている人(=A)も一定数いる。

倉方俊輔さんに「学生にレポート課題を出すと必ず何人かは藤村論を書こうとするが、ほとんどはありふれた批判。ベタな反論に留まるか、きちんと批評できるか、学生の実力を判定するのにちょうどいいw」と言われたことがあったのだが、なるほどこういうことですか。

「挑発」は関心を持ってもらうにはよいが、度が過ぎるとそこばかりが伝わってしまう。そのさじ加減は今後の課題としたい。

反応といえば、最近もいろいろな反応があったので紹介しよう。

<某社会人>
批評のメタレベル化という逃げ道(歴史を知らない歴史家のぼやき)

藤村龍至の論文であるが、例によって「批判的工学主義」を謳っていた。あらためて「そういうことをいっていたのか」と納得したが、でも、それってあたり前のことで、大なり小なり、デザイナーはみんなやってるんじゃないかなって思ったりする。

この本を書店で手に取ったのは、現在議論されている建築批評の現状を知りたかったからだが、なんとなく自分が把握できる程度で安心感はあったが、お先真っ暗という感も否めなかった。

表面的な批判の典型例。ただ、実際にこのような調子で管を巻く人は多いのだろうと推察される。

しかし、このように「ぼやいて」みせたところでアトリエ派の給料は上がらず、組織・ゼネコン派の仕事は面白くならず、業界全体が縮小して行くだけであることに、彼もやがて気がつくだろう。そこで何をなすべきか考えるとき、思想地図論文にむしろ未来を見出すはずだ。自分の仕事を社会的に俯瞰して考えられるようになるには就職して2,3年はかかるだろうが、思考を停止しないで欲しいと思うし、こちらももっと呼びかけなくてはならない。

<某大学院生>
いろいろ雑記(Architectural Creation Garage)

かわいいドローイングや模型が錯乱する感性派と、社会学的な理論武装をする理論派。他にも色々見方はあるかもしれないけれど、いずれにしても何だか両方とも妙に息苦しくて居心地が悪かった。

書かれているものをとりあえず読み込んではくれているが、シラケてみせたような結論部分がよくない。

ただ、こういう感想を持つ人が多そうということもなんとなくわかる。なぜ私たちが極端な理論武装をしてまで「感性派」に対するカウンターパートをつくろうとしているのか、もっとわかりやすい説明をする必要があるし、そういう見方を誘導する工夫が必要だということを教えられる。

<某学部生>

建築以前以後 生成の世代(koichi_katayama blog)

よく方法論の話をするのは当り前であるという話はよく聞く。そして線形的な設計をするのは建築家は当り前のようにするはずなのに藤村さんはあえて、狂ったように(笑)超線形の模型たちを残している様を見ると藤村さんが無言で最大級の皮肉を建築界に向けて発しているようにしか見えない(笑)

首都大の受講生である。こちらのいうことを理解した上で、なんとか乗り越えよう、批判しようとしている。何が大事で何が変えたいのか、価値が定まっていないので(学生なので当然だが)文章の論旨はやや不明快だが、表面的な批判ではなく自分の言葉で考えようとする姿勢がにじみ出ているのがよい。

先ほどのカテゴリーで言うと、<社会人>氏はC、<大学院生>氏はB、<学部生>氏はAである。コミュニケーションのプロセスを共有して行けば、これだけブログの書き方も変わるということか。

「ARCHITECT 2.0」展も、僕らとしては渾身のコンテンツを作り上げたつもりであったが、反応はまっぷたつに分かれた。文章をよく読んでいる人はキャプションを良く読み「意欲的だ」と言ってくれるが、あまり読まない人は「いくつか面白い模型はあったが、あまりよくわからなかった」という。

作品の背景をよく読んで「よくわかった!」「感動した!」というコンテクスト型の人がいる一方で、まるで果樹園に行っていろいろなぶどうをつまみ食いし、「このぶどうはうまい」とか「あのぶどうは酸っぱかった」とか言っているかのように作品をちょこちょこっと見て帰るつまみぐい型の人もいることを、冷静に分析する必要があるだろう。フリーペーパーやトークイベントのほうはスピーカーもモデレータも観客も、どんどん上手くなってきて、共に育ってきているような感覚があるが、展覧会はまだまだ我々の出し方も、オーディエンスの受け取り方も、まだまだ未熟だ。

改善の余地はいくらでもある。例えば、展示会場でのアンケートも、「手紙だと思って書いて欲しい」と呼びかけて以降、ポジティブで具体的なメッセージが増えた。ブログのレポートと同じで、見方が分からずに不満だけ述べるような人にこそ、呼びかけが必要なのだと思う。

『ROUNDABOUT JOURNAL』もトークイベントも、内輪ウケだとか誰も読まないとか無意味だとかいろいろ言われてきたが、その度に改善を続け、対話を続けてきた。展覧会を開いて、いくら気合いを入れてキャプションを書いても誰も読まないのならば、どうにかテキストを読ませ、建設的な反応を引き出すような工夫を考えるのもまた楽しいではないか。

とにかくメッセージを大量に発信すること。そしてその反応を読んで、メッセージの出し方を工夫を重ねること。そうやって発信側も受信側も工夫を重ねて行けば、少しずつ状況は改善し、私たちのメッセージも進化するだろう。

祭りの後で、進化を誓う朝なのであった。
fujimura

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