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2009年09月 アーカイブ

2009年09月02日

10/1,8(木)18:00 建築夜楽校2009「データ、プロセス、ローカリティ——設計プロセスから地域のアイデンティティを考える」開催!!

10月の日本建築学会の建築文化週間で、今年も「建築夜楽校」を担当させて頂いております。今年もかなり熱いです。乞うご期待。

−建築文化週間2009−
建築夜楽校2009
テーマ:データ、プロセス、ローカリティ——設計プロセスから地域のアイデンティティを考える

主 旨:建築設計のCAD化が進んだ1990年代以降、設計技術の「情報化」が叫ばれ、コンセプトレベルではコンピュータ・アルゴリズムをはじめとする設計プロセスに関する議論が盛んに行われたが、実務レベルでの応用が難しいとされてきた。ところが近年、設計環境のグローバリゼーションにより、実務レベルで3次元CAD、BIMの導入が盛んになされてきており、技術的な前提の変容に伴って設計プロセス論は再び転換期を迎えていると言える。
 他方、社会学等で度々指摘されているように、地域社会の空洞化に伴う地域アイデンティティの喪失=「郊外化」は著しく、風景の固有性はますます失われつつある。これらの変化は共に90年代以降の重要な社会的変化であることは認識されつつあるが、両者の関係を具体的に論じた建築学的な議論はあまり見られない。
そこで本企画では、「データ」「プロセス」「ローカリティ」をキーワードに、「情報化」を「郊外化」の原因として遠ざけるのではなく、情報化によってもたらされた知見を郊外化に対抗するためのコンセプトとして捉え直すことで、建築の新たな社会的役割について考える。

第1夜:データとプロセスの関係について考える
日 時:10月1日(木)18:00〜20:30(開場17:30)
パネリスト:
中山英之(中山英之設計事務所)
小嶋一浩(CAt・東京理科大学)
山梨知彦(日建設計)
コメンテータ:難波和彦(東京大学・界工作舎)
    江渡浩一郎(産業技術総合研究所)
モデレータ:藤村龍至(藤村龍至建築設計事務所・建築文化事業委員)
      濱野智史(日本技芸)

第2夜:プロセスとローカリティの関係について考える
日 時:10月8日(木)18:00-20:30(開場 17:30)
パネリスト:
    五十嵐淳(五十嵐淳建築設計・北海道)
家成俊勝(dot architects・大阪)
井手健一郎(rhythmdesign・福岡)
コメンテータ:古谷誠章(早稲田大学・NASCA)
        鈴木謙介(関西学院大学)
モデレータ:藤村龍至(藤村龍至建築設計事務所・建築文化事業委員)
     濱野智史(日本技芸)

会 場:建築会館ホール(東京都港区芝5-26-20)
定 員:300名(当日先着順)
参加費:無料
問合せ:日本建築学会事務局出版・普及事業グループ 鎌田
    TEL 03-3456-2056  E-mail kamata@aij.or.jp

fujimura

2009年09月07日

戦力求ム

夏のイベントが終了し、9月は落ち着いて設計モード。住宅2つのほか、集合住宅等、いくつかの基本設計が同時進行し、事務所の模型の山が積み重なってきた。エスキスが楽しい。

さて、山崎泰寛さんのインタビューが佐藤敏宏さんのHPで公開されていますね。

2009年8月2~9日 ことば悦覧in京都 記録集 山崎泰寛さん編 

いろいろ知らなかったことがわかって面白かったです。ケンチクナイト、懐かしいですねw。

柳原照弘さんやdotの家成俊勝さんらが中心となって今月18日から開催されるイベント「DESIGNEAST」の「DESIGNLOUNGE」というコーナーで、20分のショートレクチャーをさせて頂くことになりました。大阪発のイベントなのに「EAST」と名付けるあたり、世界を意識した戦略を感じさせていいですね。

福島の佐藤さんに限らず、大阪の柳原君や家成さん、広島の谷尻さんや福岡の井手君など、状況を変えるべく行動している同世代の建築家には本当に刺激を受けます。メディアそのものがどんどん縮小していくなかで、本当に批評的で刺激的な状況は自分たちの手でつくる以外にない、という認識は、今では当たり前のこととして共有されていますね。

他方で、「自分たちの手でつくること」そのものには何の意味もないことを忘れてはいけない。問題は刺激的な状況に自分たちが包まれ、「刺激を得られる」かどうかであり、そしてそれを外部に「届けられる」かどうか。

・・・と意気込んでいるところで少し残念なエントリがあった。

「ARCHITECT2.0展」/「アルゴリズミック・デザイン」/「理論と実践」(建築について 地方から建築について考える)

「ARCHITECT2.0展」で藤村龍至氏との話に出た「アルゴリズミック・デザイン」について、建築系ラジオを聴き直したり、松田達氏のブログ、藤村龍至氏のブログを読み返してみた。(中略)

松田達氏のブログではより詳細に書かれていて、松川氏は「科学」、藤村氏は「政治」というメタファーで建築を捉えている。そして松田氏自身は「建築」がメタファーだ、と。「科学」や「政治」という建築の外部のメタファーではなく、建築自身を「建築的思考」をもってのみ「建築でしかできないこと」に到達できる、としている。(中略)

そして「建築という実作で勝負する」というスタンスは僕たちを勇気づけてくれる。建築を設計している多くの人たちは、独自の建築理論や設計論を展開させても多くの場合は誰にも相手にされない。それはある特別な人たちのみに開かれた世界。けれど、僕たちだって建築をつくることができて、実作・実践で勝負することには可能性は開かれている。(中略)

もちろん僕は設計論や方法論を軽んじているわけではなくって、それらはそれで可能性を広げてくれるし、それとは別に実作で勝負する世界があってもいいのだと思う。両者を横断することで、建築の可能性はより広がっていくのだろうと思う。けれどとにかく、少なくとも僕は、実作・実践で勝負をしていかなくてはいけない。

彼は地方在住の建築家であり、私たちの展覧会へ足を運んでくれ、ラジオの議論やブログのエントリ等もよく読んで下さっているという方なのだが、「残念」だと書いたのは、彼がここで得た結論が僕らが伝えたいことと全く逆だからである。

彼は地方の在住だからよく知っていることと思うが、現状では「実作」でいくら勝負したつもりであっても、それだけでは社会になかなか届かない。そもそもメディアは縮小傾向にあって掲載の機会は限定されているし、掲載されたとしても「建築」そのものが社会から乖離した現状では、そのメディアは専門家や一部のファンにしか届かない(=彼がいう「多くの場合は誰にも相手にされない。それはある特別な人たちのみに開かれた世界」)。

そのような現状で「良いものをつくれば届く」という発想はナイーブに響くし、「自分には関係ない」とやり過ごすのも消極的過ぎる。

もちろん、個人の主張が届く範囲なんてたかが知れているし、どんなにいいものをつくったつもりでも、上手く伝わらないし、伝わったところで、社会構造が大きく変わることはないこともわかっている。

しかし、だからこそ「戦略」が必要なのだ。僕らがイベントや展覧会を起こすのも、東京のメディアに頼らず自分たちの手でムーブメントを起こそうとする柳原君、家成さん、谷尻さん、井手君といった人たちに共感するのも、そこに「目標」があり、「戦略」があるからである。

僕らが「理論」で勝負しようとするというのも、それ自体が目的であるということは決してない。ひとつの「戦略」なのだ。すなわち、意味のある「理論」を提示すれば、必ず異分野の論客に届く。するとその論客はいろいろな媒体で僕らのことを取り上げてくれようとする。そこから輪が広がれば、いずれ社会全体に届くようなメッセージへと拡大する。「一般」にメッセージを届けるには、そのようなプロセス的な作戦が有効なのではないかと僕らは考える。

念のため補足をすれば、僕らは「理論」といってもそれのみを体系立てて論じる能力はない。「超線形」にしても、「批判的工学主義」にしても、生きて行くうえで、きちんとした設計料をもらって、個人的にも社会的にもクリエイティブだと思える仕事をするためにはどうすればいいか、自分たちなりに経験を分析して作戦にしたものを提示しようとしているに過ぎない。

逆に言えばそれは限りなく「実践」的な行為であって、「それらはそれで可能性を広げてくれるし、それとは別に実作で勝負する世界があってもいい」などという、生半可なものでは決してない。むしろ実践や実作で勝負をするためにやっているのである。

もし彼が現状に満足し、肯定しきっているなら特にいうことはない。しかし、現状に多少なりとも不満を覚え、将来に一抹の不安を感じて何とかしたいと思うならば、「理論」なり「イベント」なり「メディア」なり、他人を巻き込んで行動し、道を切り開こうとするべきではないか。

もっとも、彼のメッセージには僕らのプレゼンテーションに足りていないことを教えてくれるものだ。「クリエイティブな環境をつくりたい」というストレートなメッセージをもっと主張して行かないと、「あいつら、趣味で学生相手にフリーペーパーとか展覧会とかつくっていて、気楽なもんだね。俺は仕事、仕事」みたいな感想を持ち帰る人も出てきかねないということだ。

僕らは自分たちの不満や不安を解消するために、週末に少しだけ時間を割いて活動をしてきただけだし、そのことを誇大に宣伝するつもりはない。ただ、それだけのことでそこそこの情報は発信できるし、その姿勢を人に伝えようと努力していれば、同様の問題意識を持つ人とどんどん連係するくらいのインパクトは、誰でもつくることができる、ということは伝えて行きたい。

独自の活動を展開するための条件は、webがあるのだから東京でも地方でも違いはないし、むしろ人の繋がりが強い地方のほうが展開しやすいということを考えれば、「一般」という言葉を免罪符のように使って対岸にいようとするのはずるいのではないか。

それで何が変わるのかと、性急に答えを求める人もいるだろう。しかし僕たちは、単なる議論でも、「戦略」的に発信する限りにおいては、メッセージが届く範囲も少しずつ広がるだろうし、それが力になって環境も少しずつ改善して行くだろうし、それしか方法はないと考える。それは自分たちがRAJのvol.9までをつくってきて、はっきりしたことである。活動を開始した2007年頃には、ここまではっきり言い切れることはなかった。しかし、活動を続けていろいろな反応に揉まれて行くうちに、メッセージがどんどんクリアになってきていることは確かである。

・・・というようなことを悶々と考えていたところ、東浩紀さんが『週間朝日』でまるまる1頁を使って、その思いを伝えて下さいました。

資本主義への「埋没」「抵抗」でない「第3の道」探る若手建築家(東浩紀の「批評するココロ」)

藤村氏は「批判的工学主義」や「超線形設計プロセス論」を掲げる理論派の秀英です。(中略)

むろん僕には彼の建築家としての資質を判断する能力はありません。仄聞すると、業界内には批判的な向きもあるとか。けれども、彼の試みはまちがいなく現代社会の本質に触れている。今後、注目すべき人物だと思います。(中略)

藤村氏は建築家です。だから彼にとっての最大の幸せは、作品として個別にすぐれた建築物を完成させることにあるにちがいない。けれども彼は同時に、現在の閉塞状況が、そんな個人プレイをいくら積み上げても打破できないものであることをよくわかっている。(中略)

ぼくたちには彼のような知性がもっともっと必要なのだ、と思いを新たにしたのでした。

一般紙なので少し強めに書いて下さっていて恐縮ですが、建築領域以外に、東さんのような理解者がいてくれることは心強い限りですね。

東さんによれば、文学でも思想でもアートでも同じ光景が広がっているのだという。どう「同じ」なのかが説明できるならば、どう連係して行けばいいのかがわかるわけで、同じ社会に対峙する限り、どんどん議論を広げて行くことができるということでもある。まさに「理論」の力。

・・・とはいえ、我々も設計事務所として力をつけていかなくてはならない。いくら名前が広まり、メッセージが広まったと言っても、設計の技術が伴っていなくては説得力に欠けるというものだ。「理論の力」は訴えなければならない。ただ、それを訴えれば訴えるほど、「作品の力」も問われる。それは自覚しているつもりだ。

気負う必要なないが、緊張感は保って行きたい。

というわけで、藤村事務所ではスタッフ1名と、秋学期からのオープンデスクを若干名募集することになりました。興味のある方は、奮ってご応募下さい。

STAFF WANTED!!(藤村龍至建築設計事務所)

事務所そのものは、超線形的に発展し始めています。ユニークで力強い戦力を求ム。


fujimura

2009年09月17日

3つのテスト---フォルム、メソッド、コンテクスト

11日はギャラリー間「日本一決定戦」のオープニングへ。順位がはっきりついている展覧会というのもなんだか面白い。

上位5作品が全て群造形(コレクティブ・フォーム)である。曲面系が少なく、ボクセライズしたような低解像度系の造形が発達しているのは日本の特徴だと思うが、今回の結果をみると、それがはっきりしている。

その状況は興味深いし、60年代の議論との比較も可能だろうが、他方でこれだけ多種多様なイメージにあふれた今日の状況では、多少捻ろうが、積み重ねようが、あらゆるフォルムには既視感があることも事実である。そのような時代には、どのような「方法」で設計されたのか、そして、どのようなコンテクストと関係を取れたのか、という裏付けだけが唯一確実な批評の手がかりとなることに注意したい。

具体的には、下記のようなテストをすればよくわかる。

1. フォルム(形態)にインパクトがあるか
2. メソッド(方法)は明快か
3. コンテクスト(文脈)を浮かび上がらせているか

「下宿都市」や「触れたい都市」などの京大勢には1までしかない。
石黒案と大野案は2まであるが、大野案には2までしかない。
石黒案のみ、さりげなく3まで満たしている。模型も小さく、プレゼンもおとなしいが、アイディアの重層性が感じられる。

講評会等で作品を見ていても、1で半減、2でさらに半減、3まで満たすものはとても少ない。方法もコンテクストもないのに「ここに住みたい」とか言われても・・・という場面も多い。

もちろん、これらは展覧会のオーディエンスが事後的に見るから言えることであって、卒業設計に取り組む当事者にとっては知る由もないことであるし、反対にオーディエンスにはわからない審査の場の力学もいろいろと働いたのだろう。

日本一の石黒卓君はこの夏、3週間ほどオープンデスクに来てくれたのでいろいろ話した。まじめで優秀だが、ポートフォリオを見て少々驚いた。卒業設計までは全然ぱっとしないのだ。自己流で、軸がない。失礼な言い方だが、地方の建築学生の典型である。どこかで化けたとしか思えないが、4年生になる頃から少しずつ他の人がどうやっているか研究し始めたのだという。確かに学習能力は高そうだが、レモン展の審査会場での堂々とした受け答えの印象しかなかったので、人は半年でここまで変わるものかと驚いた。

彼はとにかくよくしゃべる。そして何も知らない。知らないくせに思ったことをそのまま言う。そこはとてもよい。

オープニング後、遅れて打ち上げに合流。深夜の六本木で3次会、4次会と進み、最後は入賞者の学生諸兄らとまったり飲む。いろいろ議論。「下宿都市」の池田君は最後まで悶々としたままで攻略(?)できず。

石黒君にしろ、池田君にしろ、大舞台で作品を認められ、賞を勝ち取ったことは賞賛に値するし、誇るべきことだと思う。しかし、卒業設計まではすごく良かったのに、ちょっと目立ってしまったが故にちやほやされた挙げ句、迷走してしまう人がいるのも事実。終わったことはさっさと忘れて、次のステップに向けてまた頑張って欲しいと思う。またそのうち飲みましょう。

12,13日は越後妻有トリエンナーレへ。作品は玉石混淆だが、ものすごく大量の人を動員していて興行としてかなりの成果を上げているだろうことがわかった。山奥の廃校になぜこんなに人が押し寄せるのか。アートの力というか、仕掛けの力を感じ、そのことに多いに感銘を受けた。

同時に、他ジャンルの表現を見るのは勉強になる。稚拙さに開き直ったものは面白くない。説明的すぎるものも面白くない。洗練されたものはわくわくさせられるが、それだけだと先がないような感じがする・・・などなど。

16日、朝イチで所沢ビエンナーレへ。第1回だそうだ。所沢駅前の西武鉄道の車両工場の跡地が会場。地元だがここに来たことはなかった。ものすごく味のある空間で現代美術の展示場としてとても魅力的。この建物を保存し、現代美術館として再生したら面白そうだが、いずれタワーマンションとショッピングモールになるのだろうか。

同じ日の夕方、SDレビュー2009のオープニングへ。優しげなドローイングが目立つ。なんとなく審査員の先生方が持つ若い世代へのイメージがあって、それがフィードバックされて似たようなイメージが再生産されているという状況だろうか。これは応募者の問題というよりも、企画の問題のような気もする。

展覧会にはいくつかの効果がある。ギャラ間、SDのような教育的効果、妻有、所沢のような地域振興的な効果、など。やりようによってはいろいろ可能性のあるメディアだと感じる。

他人の展示を見て学習したことを、自分の仕事へとフィードバックしなければと思う。何事も学習、学習。夜楽校の関連展示も急がなければならない。

スタッフを引き続き募集中です。条件を少し変えました。

STAFF WANTED!!(藤村龍至建築設計事務所)


fujimura

イベント・スケジュール情報

藤村が関係しているイベント一覧です。申し込み方法等、詳細はリンク先でご確認下さい。

9月19日21:00/ショートレクチャー(20分)/DESIGNEAST DESIGNLOUNGE/大阪

10月1日18:00-20:30/モデレータ/建築夜楽校2009/建築会館(田町)
10月1日-16日/展覧会・キュレーション/建築博物館(田町)
10月8日18:00-20:30/モデレータ/建築夜楽校2009/建築会館(田町)
10月11日11:30-13:00/トークイベント/Archi-TV2009/建築会館(田町)

11月初旬/展覧会・キュレーション/大阪
11月19日/レクチャー/名古屋(予定)
11月26日18:00-20:00/レクチャー(90分)/JIA市民大学講座まちづくりセミナー/大阪

12月中旬/トークイベント他/北海道(予定)

随時アップして行きます。

fujimura

2009年09月29日

「世界水準の」デザイン/思考の場をつくるために

19, 20日と大阪で開催されていたDESIGNEASTへ行ってきました。とても気持ちよくプレゼンテーションできたし、いろいろな人のトークを楽しんだし、打ち上げに参加させて頂きながら、心地よい充実感を一緒に味わうことができました。主催者の皆さん、成功おめでとうございます。

家成さんから準備の状況を聞いていましたが、短期決戦であれだけのイベントを成し遂げたことは快挙と言えるでしょう。

他方、このイベントに参加させて頂いて、突き上げるような高揚感を共有させて頂いた反面、イベントを仕掛ける同世代の立場として、いろいろ考えさせられるところもありました。

一番重要な問題は、何が「国際的」で、何が「世界水準」なのか、ということです。今回も、「世界水準のイベントを」と銘打たれてはいましたが、外国人のレクチャーが前日やその日の日中にあったという事実以外は、いつものメンバーといつもの話をしてきたという感じもありました。僕が発表させて頂いたのはその日の最後のコマで、こちらがまとはずれだったのか、運営メンバーも少々お疲れ気味だったのか、質問も受けられず、少々まとまりのない議論になってしまった、という意味では、いつも以上の成果、とは言えなかったかも知れない。

「国際的」ということに関して言えば、以前オランダに留学していた頃、「議論ができない」というコンプレックスがありました。言葉の壁もあるにはあるのですが、比較的英語は好きで日常会話程度なら何とかなっていたので、それより大きなことは「語るべきことがない」あるいは「語るべきことがうまく言葉にできない」ということでした。

留学するまでは「海外で働く」ということに漠然とした憧れがありました。学部3年生の頃、とある国際ワークショップに参加したことがきっかけで英語でコミュニケーションすることの楽しさに目覚め(ありがちですが)、バイトして貯金しては海外に行く、という日々を過ごし、英語もどんどん覚えることができました。

他方、留学している当時OMAにあった伊東事務所にバイトに通わせてもらっていたので、OMAのCCTVチームで怒号を飛ばして仕切っている重松さんや、毎日明け方まで働き、早朝出て行く白井さんを横で見ていて、インターナショナルなチームのなかでバリバリ働いている本当の意味で「国際的な」活躍をしている日本人に憧れる一方で、そういう環境に立つことの難しさも悟らされました。

重松さんのように帰国子女で英語が全く不自由しないか、白井さんのようにまとまった実務経験がある人もいるが、そのどちらもない自分がそのまま就職を試みてかたちとして「海外で働く」ということになっても、単なるCG係、もしくは模型係となってワークショップの片隅で黙々とヒートカッターの技を披露するだけなのではないかと。

もっとも、学校では毎週火曜日のイブニングレクチャーで必ず質問する、帰ってから必ずroundabout journalの日記でレビューする、というささやかな実践も行っていました。外国人のことなのであだ名など付けて気楽にレビューしているうちに、日本の建築関係者のあいだでも多少知られるサイトになり、同時に、よくしゃべるヨーロッパ人にもいろいろいて、本当に耳を傾けるべき議論を展開している人はごくわずかであることもわかってきました。

その経験を通じて、「海外」であること、「英(外国)語」であること、「国際的」であることそのものには何の意味もなく、「議論の濃度=ナカミ」こそが重要であるという認識を持つに至りました。何とも当たり前のことですが、それまでの自分は「海外」であること、「英(外国)語」であること、「国際的」であることがより特別で、より複雑で、より上位であることだと思っていたのです。

遅まきながらそのことに気がつき、海外に長く留まることに意味を見出せなくなり、1年でさっさと帰国してしまいました。

それからというものの、それまでの海外志向の反動で、単なる「コクサイコウリュウ」に疑問を感じるようになりました。留学帰りということで、東工大で毎年開かれる国際ワークショップではしばしばTAをやらせて頂いていたのですが、その当時はそれが嫌で嫌で仕方がなく、留学生に話しかけられたりしても、英語で何か話をするのもかったるく感じていたほどでした。

それでも毎年繰り返される「国際ワークショップ」にはコミュニケーションの面で多少の苦労が伴うので、苦労を共に乗り越えて行くプロセスで独特の高揚感も生まれ、最終日の打ち上げでは毎回なんとなく「感動」してしまう。でもゲストらが帰国し、報告書をまとめる頃には「楽しかったけれど、楽しかっただけなのではないか。何か得たことはあるんだろうか」と反省することになるのでした。

もちろん成功例もたくさんあって、MVRDVのヤコブや吉村靖孝さんを講師に迎えて行われた「URBAN FARMING」のワークショップなど、楽しいだけでなく、コンセプチュアルな水準で刺激的だったワークショップの経験もたくさんありました。

つまり、こうした企画の成否は、コンセプトやテーマの切れ味に尽きるということです。単に「国際的」というだけでは、それ自体に意味はない。似たものに「異分野」と「1/1」があります。雑誌やイベントなどの企画会議をやっていると、そういう企画がしばしば出てくるのですが、「国際的なこと」、「分野が異なること」、「つくること」そのものの意味を問うような問題設定があれば別ですが、無批判にこれらのテーマを選び、そこそこ盛り上がり、何かをやった気になって終わるということもしばしばです。

もちろん、経験として「楽しさ」を得ることは大事なので、20代まではそれでいい気がします。だけど、それだけでは先へ進めない。30代になったら、見せかけの「楽しさ」でごまかさず、本当に刺激的なコンセプトを生み出す濃密な議論の場を、まずはつくらなければならないのではないか。そこから生まれたコンセプトが、本当に刺激的なものなら、それは必ず異分野の人にも届くし、外国にも届くし、つくることに繋がるのではないか。

僕らはそういう問題意識のもと、「日本語」で、「建築の内側」で、「同世代」で、というように「あえて閉じる」戦略を採るようになりました。闇雲に「開く」とか「つくる」ことを唱えるよりも、第1段階としては、「閉じる」とか「考える」ことを唱えたほうが構築的で「濃密な」議論が出来るからです。本当に濃密で「ヤバい」議論は、誰かが必ず「翻訳」して伝えようとするし、その流れで「開いて」「つくって」いけばよい。というか、本来そういう順序であるべきでしょう。

DESIGNEASTの興奮から一夜明け、ぼんやりと、しかし何度も考えたことはこんなことです。運営の完成度はとても高かったし、イベントとして華やかで楽しかったし、ラストの雰囲気にはとても感動した。けれども、そこで交わされた議論を振り返ると、彼らのいう「世界水準の思考の場」はどの程度生まれたのだろうか。確かに、海外からも、東京や他の地方からも、異分野からも、多彩なゲストは集まった。トークもそれなりに弾んだ。でも肝心の議論は、「思考の場」として、どれだけの強度があったのだろう。「デザインの状況」について、どれだけ踏み込めていたのだろう。イベントに参加させて頂いた者として、同世代で近い問題意識をもって行動する者として、自戒をこめて、そこは冷静に考えていきたいと思いました。

ただ、確実に言えることは、今回のDESIGNEASTに参加させてもらって、僕らも本気で「世界水準の」議論を目指さなければ、と奮い立つことができたということです。こちらにも、フリーペーパー、シンポジウム、書籍、展覧会と議論の場を展開してきた蓄積があります(「閉じて」きただけに)。ここからどう世界へ向けて展開するか、を僕らもそろそろ考えなければならない。大阪の皆さんが短期間であそこまで展開したのだから、こちらも彼らに負けないスケールで外向きに情報を発信しなければ、と心を新たにしたのでした。


fujimura

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