11日はギャラリー間「日本一決定戦」のオープニングへ。順位がはっきりついている展覧会というのもなんだか面白い。
上位5作品が全て群造形(コレクティブ・フォーム)である。曲面系が少なく、ボクセライズしたような低解像度系の造形が発達しているのは日本の特徴だと思うが、今回の結果をみると、それがはっきりしている。
その状況は興味深いし、60年代の議論との比較も可能だろうが、他方でこれだけ多種多様なイメージにあふれた今日の状況では、多少捻ろうが、積み重ねようが、あらゆるフォルムには既視感があることも事実である。そのような時代には、どのような「方法」で設計されたのか、そして、どのようなコンテクストと関係を取れたのか、という裏付けだけが唯一確実な批評の手がかりとなることに注意したい。
具体的には、下記のようなテストをすればよくわかる。
1. フォルム(形態)にインパクトがあるか
2. メソッド(方法)は明快か
3. コンテクスト(文脈)を浮かび上がらせているか
「下宿都市」や「触れたい都市」などの京大勢には1までしかない。
石黒案と大野案は2まであるが、大野案には2までしかない。
石黒案のみ、さりげなく3まで満たしている。模型も小さく、プレゼンもおとなしいが、アイディアの重層性が感じられる。
講評会等で作品を見ていても、1で半減、2でさらに半減、3まで満たすものはとても少ない。方法もコンテクストもないのに「ここに住みたい」とか言われても・・・という場面も多い。
もちろん、これらは展覧会のオーディエンスが事後的に見るから言えることであって、卒業設計に取り組む当事者にとっては知る由もないことであるし、反対にオーディエンスにはわからない審査の場の力学もいろいろと働いたのだろう。
日本一の石黒卓君はこの夏、3週間ほどオープンデスクに来てくれたのでいろいろ話した。まじめで優秀だが、ポートフォリオを見て少々驚いた。卒業設計までは全然ぱっとしないのだ。自己流で、軸がない。失礼な言い方だが、地方の建築学生の典型である。どこかで化けたとしか思えないが、4年生になる頃から少しずつ他の人がどうやっているか研究し始めたのだという。確かに学習能力は高そうだが、レモン展の審査会場での堂々とした受け答えの印象しかなかったので、人は半年でここまで変わるものかと驚いた。
彼はとにかくよくしゃべる。そして何も知らない。知らないくせに思ったことをそのまま言う。そこはとてもよい。
オープニング後、遅れて打ち上げに合流。深夜の六本木で3次会、4次会と進み、最後は入賞者の学生諸兄らとまったり飲む。いろいろ議論。「下宿都市」の池田君は最後まで悶々としたままで攻略(?)できず。
石黒君にしろ、池田君にしろ、大舞台で作品を認められ、賞を勝ち取ったことは賞賛に値するし、誇るべきことだと思う。しかし、卒業設計まではすごく良かったのに、ちょっと目立ってしまったが故にちやほやされた挙げ句、迷走してしまう人がいるのも事実。終わったことはさっさと忘れて、次のステップに向けてまた頑張って欲しいと思う。またそのうち飲みましょう。
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12,13日は越後妻有トリエンナーレへ。作品は玉石混淆だが、ものすごく大量の人を動員していて興行としてかなりの成果を上げているだろうことがわかった。山奥の廃校になぜこんなに人が押し寄せるのか。アートの力というか、仕掛けの力を感じ、そのことに多いに感銘を受けた。
同時に、他ジャンルの表現を見るのは勉強になる。稚拙さに開き直ったものは面白くない。説明的すぎるものも面白くない。洗練されたものはわくわくさせられるが、それだけだと先がないような感じがする・・・などなど。
16日、朝イチで所沢ビエンナーレへ。第1回だそうだ。所沢駅前の西武鉄道の車両工場の跡地が会場。地元だがここに来たことはなかった。ものすごく味のある空間で現代美術の展示場としてとても魅力的。この建物を保存し、現代美術館として再生したら面白そうだが、いずれタワーマンションとショッピングモールになるのだろうか。
同じ日の夕方、SDレビュー2009のオープニングへ。優しげなドローイングが目立つ。なんとなく審査員の先生方が持つ若い世代へのイメージがあって、それがフィードバックされて似たようなイメージが再生産されているという状況だろうか。これは応募者の問題というよりも、企画の問題のような気もする。
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展覧会にはいくつかの効果がある。ギャラ間、SDのような教育的効果、妻有、所沢のような地域振興的な効果、など。やりようによってはいろいろ可能性のあるメディアだと感じる。
他人の展示を見て学習したことを、自分の仕事へとフィードバックしなければと思う。何事も学習、学習。夜楽校の関連展示も急がなければならない。
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