建築夜楽校2009 第1夜を終えて
1日、恒例の「建築夜楽校」のシンポジウム「データ、プロセス、ローカリティ」の初日「データとプロセスの関係を考える」が開催されました。
五十嵐さんのカルチベートトークでもtwitterが活用されて盛り上がっていたので、ハッシュタグ(#yagakkou)を用意し、観客に参加を呼びかけました。
twitter--#yagakkou
「こたつ」でも活躍していた石川君が実況してくれました。偉いぞ。
建築夜学校2009 第一夜 前半部分(architecture_database)
議論の内容は上記のtwitterほか、リンク先を追いかけて頂ければ幸いです。
ぽむ日記(10月2日)
「建築夜学校2009」と藤村龍至さんの3つの力(建築浴のすすめ)
建築夜学校第一夜レポート(deline)
建築夜学校第一夜レポ 前編(koichi_katayama blog)
建築夜楽校第一夜(ARCHI BLOG)
データを誰が集めるか(eureka)
建築夜楽校2009第一夜・感想(東亜重工)
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ここではモデレータとして感じたことを記し、次週に繋げる問題を提示しておきたいと思います。
ショートレクチャーをお願いした3人のプレゼは、とにかく刺激的でした。
まず中山英之さんからは「2004」の設計プロセス。データに対する観察力(クローバーを発見したり、室内に印象的なシーンをたくさん描いたり)と、アルゴリズムに対する構想力(それを見慣れない形で住宅に再構成する)に分けられる。少女っぽい趣味とか、話の巧みさも魅力的だが、それ以上にプロセスが面白い。以前から中山さんにプロセスの話をしてもらいたいと思っていたが、ここではどんぴしゃにはまる。
小嶋一浩さんからは「宮城県立迫桜高校」と「スペースブロック・ハノイモデル」の話をして頂く。前者は教育>政治>建築と設計が濃密に進化していくプロセス。後者は大学院生が長い時間を掛けて設計されたことで固有の設計条件が抽出され、極めてgoogle的な集合知的なプロセス。
山梨知彦さんからは「ヒューリスティック・アプローチ」と題して技術的前提としてBIMのご紹介と、「2.0」展でも話題となった「w-project」と各誌の表紙を飾っている「木材会館」の話をして頂く。大量の変数を効率的に扱い、創造的な枠組みを抽出するための方法論を披露して頂く。
後半の討議は、コメンテータに江渡浩一郎さんと難波和彦さん、モデレータに濱野智史さんに加わって頂き、「データとプロセスの関係」、特に設計の情報化をめぐって「個人」や「経験」をどう位置づけるかについてテンションの高いやり取り。
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ここからは感想を。
技術的な前提として、BIMのような設計の情報化ツールがこれから普及して行くのは間違いがない。かつて90年代に2次元CADがごく普通に浸透したように、アトリエ派も学生も、数年したらごく普通に3次元CADやBIMを使いこなすようになるだろう。それは時代の流れであって、いいとか悪いとかではない。
こうしたツールが可能にするのは、多くの変数を扱えるようになるということ。ユーザー参加やIT化、CO2排出量やエネルギー問題、セキュリティなど、扱うべき情報量が社会的にも、技術的にも増えてきていて、公共建築やオフィスビル、商業施設だけでなく、住宅ですらも多変量解析的、都市計画的になっているのは時代の流れであって、ひとりの人間が全体像をスケッチできるほど単純ではない。
だから建築家は皆、多くの変数を扱うことに慣れるべきだし、多くの変数を扱うことの面白さを表現するべきだし、そういう教育をするべき。BIMはそのための最適なツールのひとつである。現状、BIMを用いた建物が凡庸に見えるとしたらそれは構造的な問題ではなく、技術の移行段階だからであって、そのうち決定打が出てくるようになる、ということだろう。
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BIMに関して言えば、今のところ、設計側でその最先端の位置にいるのが山梨さんのチームであって、その状況を追いかけているのが我々アトリエ派の立場である。
そのコンテクストで言えば、「大きければ大きいほどシミュレーションが正確にできる。すなわち、大きければ大きいほどサイトスペシフィックな建物が出来る。それが巨大建築の可能性である」という山梨さんの主張はとても刺激的である。この日のプレゼでは「アトリエの先生方はスタッフが徹夜してくれますから」とか、「3時間で設計したものが実際に建っています」とか、林昌二譲り?のヒール役を演じて下さったのだが、もうそんな悪ぶる必要はないくらい、ポジションが反転してしまっていると感じる。
つまり、かつてであればコンセプトをリードするのがアトリエで、組織側がこれを洗練させていた、と言えたのだが、技術への依存が高まる現代社会では、コンセプトを開拓しているのはむしろ組織側であって、アトリエ側はそれを洗練しているに過ぎず、コメントがヒール役のそれのようにならざるを得ない。中山さんの「シミュレーションは決定を先延ばしにするツールに過ぎない」なんて、あまりにも痛快で、かつての林昌二のようではないか。
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BIMがひとつの可能性だとして、そのなかで発揮されるべきクリエイティビティにはおそらくふたとおりある。ひとつがデータに対する想像力。もうひとつはアルゴリズムに対する想像力である。
つまり、料理の美味しさは素材(データ)と調理(アルゴリズム)で決まるとして、BIMは「よく切れる包丁」みたいなもの(ツール)である。「包丁だけよくても素材や調理が悪ければ味は凡庸になるに決まっている」もしくは、「素材ばかり仕入れても、捨てることになるだけだから、必要なものだけ仕入れればよい」というのが難波さんの主張であり、ごくごく真っ当なご指摘である。
難波さんの主張を聴衆や読者が誤解しないように補足を試みるならば、googleを始めとする情報技術の浸透によりもたらされた新たな想像力は、「大量の変数を高度に処理すると、それだけで意味有る情報が取り出せてしまう」というものである。1970年代はあくまで机上の空論、メタファだったのが、1995年以後の社会ではそれが日常的に実装され始めてきた。
難波さんの主張はそうした工学的なアプローチを実践する立場に立った上で(ex.「箱の家」)、その方法論の限界を認識するというものであって、ゆめゆめ難波さんの首長を字義通り受け取り、「そうだ、やっぱり個人でスケッチとかして考えよう」と考えないようにして頂きたい。
ただ、ラストの方で江渡さんが「中山さんがこの世界に住んでもいいなと思えるようなツールを設計したい」とおっしゃって、なるほど、立場が違えばそういう発想もあり得るのか、とすごく興味深かった。
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建築夜楽校で展開したい議論は、現代特有の社会的背景(ユーザー参加、環境問題など)や技術的背景(3次元CADやBIMなど)を前提として、(1)wikiやgoogleのようなプログラミングやwebの思想は建築に応用できるのか、できるとすれば、具体的にどういう萌芽があるのか、(2)共同設計やパタンランゲージなどかつてモダニズムが行き詰まった頃に盛んに議論された設計コンセプトや、模型や図面やスケッチといった設計ツールを、この文脈で読み直すことは出来るのか、そして、(3)その作業によって、具体的に何が可能になるのか、ということである。
こういうとき、やってはいけないのは、「スケッチは豊かでBIMは貧しい」というステレオタイプな議論である。同様に「BIMが心地よくてスケッチがむしろ貧しい」という単純な逆説もやってはいけない。単なる世代間論争になって不毛な対立にしかならないからである。一緒に第3項を考えるような雰囲気をつくらなければ議論が発散してしまう。
しかし、後半はなぜかそういう対立に陥ってしまったような気がして、軌道修正しようとついしゃべりすぎてしまった。飲み会で参加して下さった東浩紀さんからも「自分での主張したいなら講演会でもやればいい」とダメだしをされ反省。
いずれにせよ、パネラーの皆さんと素晴らしい議論を展開できたことをまずは素直に喜びたい。twitterで盛り上げてくれた皆さんにも感謝している。
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第2夜の話題も多岐に渡ると思うが、個人的には以下のようなことを考えてはどうかと思っている。
-「ローカリティ」というキーワードは、「地域性」というより「政治性」の話になるのではないか。コミュニケーションとメディアの関係について生産的な意見交換ができればと思う。
-「美」について語らない。「美しい建築とはあくまで『結果』だから、『プロセス』なんて関係ない。結果を追い求めるしかない」みたいな議論は精神論にしかならないのでそこに終始するのは避けたい。
-公共建築をモノにするには、「美」よりも「公共性」を語れるようにならないといけない。第1夜で言えば小嶋さんの「迫桜高校」の事例が示唆的だが、政治的決定のプロセスにどう介入できるか、建築はメディアとしてのリッチネスが高いのだから、webよりweb的に振る舞える可能性がある。その意味で、「ハノイ」は極めてgoogle的であり、モデルとして示唆的である。
五十嵐さん、家成さん、井手さんの発表が楽しみだ。濱野さんや鈴木さんとももう少し作戦会議しておきたい。1日に参加できなかった人も、ぜひ集まって頂きたい。
fujimura