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111217_コールハース浅田対談・メモ

会場:伊東塾(東京都港区)
日時:2011年12月17日11:30-13:30
パネリスト:レム・コールハース 浅田彰

twitterで実況する代わりにパソコンでメモりました。正確さに欠ける箇所もありますので予めご了承頂ければ幸いです。議論の流れをつかむためのご参考までに。
メモ・文責:藤村

浅田:まずなぜこの本を書くことになったのか

レム:建築家同士の終わりのない競争
建築家の関係も破壊された
ひとつの団体として協力することはない
それがひとつの理由

直感的にクリエイティブな国家(state)は興味深い
国家と創造力は組み合わされることがない
下河辺さんによって指揮をされた
国家と建築家の間に前向きな関係があり得た
公共部門と建築家のパートナーシップ
現在の日本において有効なのではないか

浅田:15年前ANY会議
建築と脱構築主義との関係としてはじまった
1995年ごろ新しい関心が立ち上がってきた
当時コールハースさんはラゴスの研究をしていましたよね
1990年代のなかばにメガ構造に対する新しい関心が芽生えた
今回のプロジェクトジャパンはその延長にあるのか

レム:面白い状況がありました
ANY会議はいろんな国の人が参加していて
アイゼンマンは献身的な人です
建築が新しい分野と交流すること
アジアにおけるいろんな力興味深い
西洋から消えたもの
東洋によって包み込まれていくような
アジアのアバンギャルドに興味を持った

アイゼンマン:建築は知的で批評的なもの
コールハース:建築は機能的で現実的なもの
と考えた
その頃ウブリストらと出会った

浅田:アイゼンマンは最後の建築家
レムは都市のダイナミクスに着目した
自律的な建築が生まれうる

レム:建築に関して批評的観点
翻訳とか精神的な
肉体的な形態にしていく

浅田:他の分野との出会い
メタボリズムとの出会い
リスクをとっている
資本主義に絡み取られるリスク
建築家たちは巨大な構造物をつくるということをやった
大阪のソニータワーが破壊される
そのような想定
破壊すべきだという立場もいる
全面的に吸収されて

レム:資本主義に対して反対の立場を取ったとしても
でも現実的でなければならない

浅田:資本主義のダイナミクス
噴出してくる
具体的な戦略を想定しなければならない
飛び込むだけじゃなく
そこから浮かび上がることも考えなければならない

レム:メタボリズムをみる動機
公共部門から民間部門へイニシアティブを移す
官から民へ

浅田:実際吸収された
下河辺や日本列島改造論のために「使われた」
という見方もできる

レム:そういうことも考える必要があるが
潜在的な可能性を明らかにすることも
リスクの指摘にとどまるのではなく
メタボリズムというものの真剣な努力
プロジェクトの間に一貫性が
何らかのかたちであった

水上に建造物を立てることができるか
無から建築をつくることができるか
国家と緊密な関係のなかで
いわゆる国家というものだけに関与

浅田:ここまではイントロダクション
90年代にパラダイムのシフトがあった
それまではアイゼンマン
近代が脱構築を通じながら洗練させていく
対してコールハースは都市へ
市場のダイナミクスや国家と渡り合いながら
メタボリストはリファレンスポイントに
メタボリズムは市場に吸収されたフシもある
列島改造論に利用されたフシもある
そういう試みとして面白かった

レム:メガロマニアについて一言申し上げたい
アメリカ・アポロ計画、日本の万博
建築家自身が自分たちの不毛に対して
特定の努力に対してメガロマニアというべきか

浅田:例えば田中角栄はメガロマニアだった

レム:とても生産的だったのではないか
角栄を成功例として考えても良いのでは

レム:本そのもののプレゼンテーション
もうひとつの重要なこと
「イタリア、オランダ、フランスの建築家」といっても意味が無い
でも「日本の建築家」というと意味がある
日本の建築家の連続性がある
磯崎新はひとつのパイロット・指揮官としての役割

インタビュー
磯崎さん菊竹さん槇さん黒川
下河辺

いつも正装
形式が先に立つという文化のなかで
中国大陸で都市計画を経験して戻ってきた
タブラ・ラサに絵を描いていく
広島の出来事がメタボリストのほとんどにとって
大きな影響を与えている
そのことに心を動かされた
生涯理想主義、単なる懐疑主義に陥らない
若い建築家として

丹下健三は天才
マネージメントあるいは教育・育成の天才
うまれながらの才覚を開花させる能力
また秀逸な頭脳の持ち主
言葉の面で語彙を生み出していくという面でも優れていた
言葉で結びつきを表して2つの文脈を意識させる
ミースはドイツ人だと表明しなかった
日本は日本の伝統に足を置き、
ラディカル

彼らの日常の姿を見てみますと
たやすいものではなかった
丹下のオフィス
ある意味で演劇的美学
演出感覚おどろくべきものをもっていた
決して恵まれていなかった
知識だけではなく
関係性の強化
集団をつくるという能力
大学において
建築の複雑性と関係する
よりリアルなものになっていく
孤立している自立している
仲介者がいるのか
 
菊竹さんのスカイハウス
ある映画批判している
生活の有り様
複雑な
過度に技術的であるということ

ANY会議
こんな一体感の感じられる会議
熱気があり、一貫性があり、喜びが感じられる
驚くべき環境をつくりだした
丹下:組織力のある人
丹下さん以上に効率的な組織はなかった

1960年代において
みんながそれぞれ活躍した
1960年代の近代芸術の面においても
メタボリズムは日本だけに起こったことではない

丹下さんが何を果たしたのか
重要な人物が揃っている
若い人の活躍の場をつくることに努力をした
黒川さんの若さが演劇的な印象を
わかりときの川添さん
とてもアピーリング、魅力的
頭の良い人でも喫煙の罪悪をみるのは気分がいい

人工的な土地
メタボリスト:郊外や田園にもビジョンを持っていた

最後にメディアの役割について
メディアはメタボリズムにとって重要な役割
メディアが最も執着したのは黒川
ロシアにいる黒川
黒川は左翼として行っていた
彼にとっては落胆するようなロシアとの接触

メタボリストは本当にたくさん旅行した
ヨーロッパ建築家以上にコスモポリタン
本人もうまく操作した
新しい男性像が日本にあった
英雄的な業績
建築家が施工業者の一部ではなく、文化人として同等に
当時の記事は今見ると恥ずかしい
黒川は理想を実現すると努力した
コミットメントしようとした

最後に下河辺
スーパーマスタープラン
日本の社会の複雑性
一種のデリリアスな側面

憧れを禁じ得ない
日本にとっても大事な時期だったと思いますが、
この歴史を見ていくこと
建築家たちがどうだったのか
建築家が何をなしうるか

浅田:日本では資本主義+土建国家で片付けられがちだった
丹下や黒川をまともな建築家として扱わなかった
まともな対象としてこれまでかつてなかったし
これからも考えられない
この本を祝福・感謝したい
ただ理論的には批判的
有機的な全体性にこだわりすぎた
樹状構造にこだわった
成長を考えるときにサークル・循環をかんがえていなかった
それは彼らの弱点

レム:隠喩・メタファーを使い
メディアの介在があって人々の目に止まる

浅田:磯崎について議論しておきたい
彼はポストメタボリスト
独自の問題を立てた
時間は直線的・永劫回帰サーキュラーな流れ
メタボリストの集団のなかで特殊

磯崎さんとレム:興味深い対比ができる
斜に構える
メタボリズムは楽観主義だがシニシズム
あなたにもそういうところがあるのでは

レム:この本は彼らについての本なので


質問1:東京の状況についてどう思うか
例えば東京駅の周辺の状況等

レム:特に関心はない

浅田:でも、中国での自分のプロジェクトについてはどうなのか

質問2(藤村):現在の日本の状況について
建築家は資本主義に飲み込まれ、政治に利用されたとあったが、
列島改造論は土地神話をつくり、経済が政治を凌駕してしまった
ところが、人口が減少し始め人が土地を求めなくなると
政治と経済が拮抗する状況が生まれ始めている
現在の日本の状況について示唆することは

レム:日本の現在の状況はよくわからないのでコメントできない

浅田:70年代に都市からの撤退があり
現在の状況はある種想像力を欠いている
住宅やコミュニティのご用聞きにつくだけが
政治的道徳的に正しいとされる現在の日本の状況はつまらない
再び大きなプロジェクトに対する
想像力が求められているとはいえる

質問3:建築家のジレンマについて
メタボリストも最終的に万博という国家に回収された
建築家として上部構造に回収されてしまうことについて

レム:民間セクターで解決できないことを
公共部門に関係しながら解決することも可能

質問4(ケン・タダシ・オオシマ):写真が面白いと思った

レム:そういうレトリック
エントロピーが消えて行くというか
メタボリストが立てた
私自身が保存しようという立場も取れない

質問5:メタボリズムというムーブメントは
実際にできた作品は現実のモノとして素晴らしかった
論理的な破綻が作品を殺してしまった
論理的な部分を建築家が持つことについて

レム:メタボリズムは新陳代謝は隠喩であった
字義通りにそれを考える訳にはいかない

質問6(池上高志):このところ大きな提案が見られない
新しい概念がないのではないか
メタボリズム2.0
新しい概念を持とうとすることに
期待しているか

レム:WHY NOT?
コンセプチュアルな力強いものが爆発する
斜に構える訳ではなくて
楽観的
野望・野心のあり方

浅田:成長の限界
グローバルなシステムを分析して
環境の限界
それは1960年代以降起こっていること
一回地球システムを分析して
京都プロトコルをつくった
どうも実現しようもない
温暖化ガスが影響している
懐疑主義
アメリカなどは市場に任せろと言っている
半世紀経ってグローバルなシステムがわかっている

レム:今の話に回答
野望・野心
誤解されているのは
最近は警戒心をもっている
フラーとかアメリカの建築家やロシア・日本の建築家
社会的な課題に感心を持っていた
建築家という職業の知性を過小評価することができません
見直すべきだと思います

浅田:マッシブ・データ・フロー
複雑系については
巨大なデータを眺めるしかない
理論なんかいらないという話もある
一番原理的なところに戻ってみると
かつては思考実験でしかとらえなかった
100年経ったら現実に実験できるようになった
ex.ニュートリノ
20世紀のはじめの科学革命を工学的に追体験している
巨大なデータのフローを追えばいいというシニシズムは
ある種の知的なデザインを生むかも知れない

質問7:1960年代の他の建築家のグループ
直線的な時間軸という話はあったが
同時代のアーキグラムなどと比較して
メタボリズムの特殊性はどこにあったのか

浅田:具体的な政治状況と結びついているところが違う
ヨーロッパのビジョナリーは面白かったけれども

レム:全面的に同意

浅田:15年前中国人のゲストと話していて
もっとも正直な人間だとレムは言った
アイロニーとは何かについて考えた
でも今日改めて「あなたは正直な人だ」と言い直します

(了)

*追記

コメント

『プロジェクト・ジャパン』はメタボリストやメタボリズムそのものの再評価のように見えるが、コールハースの主題は、政治と建築の緊張関係、建築家同士の協働関係、メディアとの関係などである。八束はじめ氏によれば、メタボリストたちがそのような創造的な関係を結び得ていたのは1960年代までで、1970年代には国会などでも丹下健三のメガロポリス構想が批判されるようになり、『列島改造論』が出される1972年頃には政治のシーンでの建築家の影は薄くなっていく。その後、磯崎は美術の枠組みを用いて建築業界の内部へ意図的に回帰し、黒川は自治体レベルでの交流を続けていく。
『プロジェクト・ジャパン』は1973年のオイルショックで幕を閉じたと考えるべきなのだろう。1995年の阪神淡路の復興会議では下河辺淳が議長を務め、2005年の愛知万博でもメタボリストの一部が委員を務めていたが、2011年の東日本大震災では復興会議のメンバーではプロジェクト・ジャパン世代は影を潜めた。
最後の質疑応答で繰り返し述べられたように、コールハースは現在の日本には興味がないという。確かにオランダ人の彼にとって、日本の過去こそが興味の対象であり、現状も将来も関係の無い話であろう。ベルラーへにいた時、ヨーロッパの建築家たちがヨーロッパの話ばかりをしていて、自分も含めアジア人やアメリカ人らが冷ややかに見ていたことを思い出した。次世代のプロジェクト・ジャパンについては当事者である自分たちが、政治と建築が緊張関係を結んでいた過去を参照しつつ、自力で描くしかないのだ(藤村龍至)。

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