再開します
こんにちは。今日からまたジャーナルをつけはじめることにしました。
ひきつづき、藤村くんは主に東京から、山崎は京都からの書き込みになると思います。
毎日のご報告、といったところでしょうか。おつきあいいただければ幸いです。
yamasaki
こんにちは。今日からまたジャーナルをつけはじめることにしました。
ひきつづき、藤村くんは主に東京から、山崎は京都からの書き込みになると思います。
毎日のご報告、といったところでしょうか。おつきあいいただければ幸いです。
yamasaki
今日から永山祐子展の仕込み。京都精華大学と京都工芸繊維大学から計10名強の学生さんたちが駆り出され、永山事務所の木原さんの切れ味鋭い陣頭指揮のもとでがしがし働いていました。今日は展示の目玉の一つ、超巨大な竣工写真の設置。もうものすごい迫力。ああいう写真を見たことある人はほとんどいないんじゃないだろうか。明日はいよいよ永山さんが来て、一気に配置を終える予定です。
企画段階で「そんなに若いのに展示する内容があるのか?」という反応をもらったことがある。わかる。当然の反応だと思う。ただ今回は、永山さんの活動を振り返るような回顧展的な「陳列」をしたいんじゃなくて、あくまでも、自分の作品を伝えることを通じて、永山さんに「新しい空間」を作ってもらえたらいいなと思っていた。
独特の不思議さ(ほめ言葉です)を背後にもった建築をつくる永山さんだから、きっと「展示なるもの」との相性が良いに違いないと思って、お願いしました。展示ってある意味つかみが重要なので。もちろんそんな期待など軽く吹っ飛ばす「才能」が、実際は展示されることになるわけです。10/21-11/28、どうぞお楽しみに。
yamasaki
永山さんの展覧会が始まって3週間。たくさんのお客さんに恵まれた展覧会になってます。先日はご師匠の青木淳さんもご来場。ありがたいことです。ていうかTARO NASU OSAKAの青木展は良いです。一ユニット3.5万円の、照明入り発砲スチロールキューブ。これがつながってユニット化し、照明のオブジェになっています。永山展を企画しているときも思ってたんだけど、いま光って考えるべきタイミングに来てると思うんだよなあ。
ところでこの永山展は、4年前に見たafloat-fの衝撃が動機になっています。あの、異常な光量が投入された屋上庭園の不気味さ。空間が光で出来上がっている建築を見て、こういうことをできるというのはどういうことなのかと、ずっと考えていました。
永山さんにはこの展覧会に対して「この展示ひとつとってそれを永山さんの作品だと言えるような、空間と呼んでもいい展示にしてほしい」とお願いしました。建築の展覧会ってただでさえ仮設的だし、建築の展覧会は、ふつう、模型と写真が主な要素。ちょっと気が利いて図面とかスケッチが加わる。もうちょっと気が利いてオブジェみたいなインスタレーションをつくる(サーペンタインとかも大雑把に言えばこれ)。でも今回は、ぜんぜん建築的じゃない展示がメイン。まったく建築じゃないと一見思えてしまう「光のおもちゃ」がそれです。二枚の偏光板の間に、イマジナティブなモチーフが描かれたアクリル板をはさみ、観察する。組み合わせのパターンがたくさんあり、いちど自分で遊び方を見つけると(解説もついてますが)けっこうはまります。これいいですよー。おかげで観客の滞在時間が今までで一番長いかも。「個人的に」楽しめる展覧会になってると思います。一人で来ても二人で来ても、三人以上でも楽しい。来た人それぞれが楽しめるものになっているのではないかと。
いわゆる建築写真も、2300mm×3000mmの巨大パネルが2セットとか、魅力的なスケールアウトぶりです。パネル写真の前に立って、立っている様子を離れたところから別の人に撮影してもらうと、写真上では、オープンハウスに行ったかのような写り方になってしまうぐらいでかい写真です。
青木さん書き下ろしのテキスト(2000字)が入ったリーフレットと、ポストカードも売ってまして、これがまたかわいいです。
そういやこの「メーク建築」は、isshoの集合住宅を見て思いついたような記憶があります。「モテメイク」を建築にも。ていうかいつからそんなあっけらかんと「モテ」が語られるようになったんだっけ。けれんみの向く方向が、いまはそっちなのか。いやもう全然知らない領域なのでなにがなんだか。ただ、化粧って光の操作(見え方への興味)だとは思います。
yamasaki
ここしばらくはご来客が続きました。まず火曜日には西澤徹夫さんがご来館。
ひと通りご挨拶していろいろとお話ししていただけました。青木事務所出身の西澤さんにお聞きしたかったのは、事務所内でのディテールの継承方法。周知の通り原則四年制の青木研。さいきんディテール集が出たわけですが、青森のようにひとつのプロジェクトにおいて担当者が複数いる場合や、プロジェクトの途中で担当が変わる場合、次にやってくるスタッフが必ずしも経験豊富なわけではないはず。むしろ大学を出てすぐの若者である可能性が高そう。青木さんが直接口を出す場面はなんか少なそう(←想像です)。となると、実務経験の浅い新担当者はどうやってディテールを克服し、プロジェクトを完遂させるのか。事務所になんかとっておきの分類方法とか、対処マニュアルがあるんじゃないか。
とまあそういう疑問を、実務ばりばりのインテリア事務所で働いている友人が常々口にしていたのです。で、お聞きしてみました。結論から言うとそういったマニュアルめいたものはいっさいなく、新担当者はとにかく勉強するらしいです。あとは昔の作品を参照して、OBに直接電話したりするんだとか。まあそうですよね。でも青木研のスタッフ同士が独特のつながり方をしているからこそなんだろうな(青木さんの誕生日には毎年OBが相談してプレゼントを決め、持っていくんだそう)。それに若くして世に放り出されるっていう事情もあるだろう。採用段階で、まだ知らない新しい知識に対して素直なひとが選ばれているのかもしれない。
週の後半には阿野太一さんが再び上洛されていたので、金曜日に龍門へ。岡田さんや森田さんとかとくやまにも声をおかけしつつ、阿野さんの情報ツウぶりに驚嘆しながら料理を堪能。この日は龍谷大学のキャンパス内に作られた飯田善彦作品の撮影だったそうですが、撮影日における各社カメラマンの駆け引きのお話しなどなどなどなど伺う。こういうプロの貴重なお話し、プラクティカルな意味でなにかの役に立たないものでしょうかほんとに。
今日は神戸芸工大の花田先生がいらっしゃいました。afloatの現場工事をご覧になったことがあるとか。正直うらやましい。偏光板の実験コーナーにいたく感じ入ってらっしゃいました。このコーナーにはまると、多くの人の滞在時間が大幅に更新されます。
あと個人的には、X社にちょっと書かせてもらった原稿や、初めて構成から文章までやらせていただいた、イラストレーターへの取材原稿の最後の詰めの作業とかしてました。とくに後者のお仕事は畑違いすぎて面白く、仕事としてもとても勉強になりました。いや建築だって畑違いには違いないんですが、正直もうなにが自分のフィールドなのかわかりません。どちらも来月出ます。
yamasaki
11/29
東京。午前中はパラレル・ニッポン、伊東豊雄展をはしご。前者は建築関係者向けの、ひいき目にいってどこの建築雑誌(固有名詞ではなく)ですか?なパネル展示。いろいろ事情があったんだろうか…と妄想をふくらませながら、たとえそうだとしても、写真美術館で展示するのに、写真家のクレジットが一つもないのはおかしいし、結局何を見せたいのかが全く伝わってこない展示内容に心底がっかりする。パンフレットに挟み込まれたA4のコピー、写真提供という形で列挙された名前が悲しすぎます。一方、写真美術館所蔵の写真が展示されているエリアはさすが。アラーキーが首都高速上で撮った写真にアークヒルズが写っており、それを建築写真として紹介していたものがいちばん印象深い。そのエリアは入場料もとっていなかった。
対照的に、伊東豊雄展はとにかく部屋ごとのねらいがはっきりしていてすばらしい。勉強になるのは展示の順番。最新プロジェクトをたっぷり紹介して、伊東さんがいまどこにいるのかを簡潔明瞭に展示。次に展示空間ならではの建築的経験を構成。構造の面白さなど、一見マニアックな内容を「わかる」ように見せる。最後にそれまでの仕事一覧を、元所員の個人的なエピソードを練り込んで密度の高いクロニクルに。直筆原稿が熱い。とにかくメリハリ重視で飽きさせない。かといって飛び道具に頼らずしっかり展示内容を伝えきる。ヌーヴェル展と同じ空間でやったとは思えないほど、軽快な展示でした。建築な人が、非建築な友だちとかを連れて行っても大丈夫だと思います。
午後は渋谷で、スフェラで来年予定している飯田竜太さんの展示の打ち合わせ。面白いアイディアが次々出てくる方で、準備のやりがいがあります。建築関係者との親交が厚いこともわかった。だからというわけではないけど、ひとつのオブジェに空間的な発想を投入した、ある意味で建築的な作品を作る作家です。お楽しみに。
夕方東陽町に移動してA4で写真展を見る。対象への愛情をひしひしと感じる内容。その後清澄白河のギャラリーコンプレックスに移動して初めて中を見る。この日はギャラリー小柳(杉本博司)とエルメスギャラリー(今回は会場構成がコンスタンチン・グルチッチ)に行けなかったのが残念。
11/30
中高時代の同窓生と朝ご飯を食べ…の前に、久しぶりに横浜から8時台の東海道線と、品川からの山手線に乗ってしまい、2度圧死するかと思った。田町のkinko'sで書類を作って、午前中いっぱいは誠文堂親交社の大庭さんと打ち合わせ。これすごい良い企画になるんじゃないかと。午後は建築ジャーナルを経由して、光文社の黒田さんといろいろとおしゃべり。夕方外苑前に移動し、オープン直前の中村竜司展にお邪魔する。一通り設置の済んだ会場で、紙を波状に成型した椅子や、そのコンセプト模型とかを解説していただく。インテリアのお仕事が多い方なので、かえって展示内容と実際の展示との間に変な飛躍がなくてすんなり入ってきました。お忙しいところ楽しそうにお話しいただく姿に打たれる。ほんとにありがとうございました。最近、ギャラリーの仕事をメインでするようになって、展示することについて思いを巡らせる機会が多い。中村さんの率直な展示はぐっとくる内容・見せ方。その後渋谷のNANZUKAに、これまた展覧会直前のイラストレーター黒田潔さんを訪ね、来年春の展覧会の打ち合わせ。描く力に溢れた絵をたくさん見せていただきうれしくなる。この時点で20:00。ここでお仕事は終わって新宿に移動し、MDR飯尾さん、INAX高田さん、ぽむ桂さん、藤村くんと思い出横町で飲んだり食べたりして、23:30発の深夜バス(4200円)に滑り込み熟睡。安すぎて怖いです。
12/3
一ヶ月半に及ぶ永山祐子展の撤収。永山事務所の木原さん丸さんと、京都の学生の面々。ほんとに皆さんよく働く働く働く働く…。素晴らしい展示をありがとうございました。
12/5
次回展の準備中に不気味なトラブルが発生。これまでになかった種類のトラブルで戸惑い、ついいらいらしてしまう。なぜこのトラブルが防げなかったのかが悔やまれて仕方ない。仕事の進め方について大いに反省する。
12/7
次回展の施工が進む。今回は床に桐の板を敷き、その上に家具を配置。展示のために壁を新しく作り、部屋っぽいスペースも出来る予定。
12/9
元スフェラのたきざわさんがプロデュースするinspibloというスペースのオープニングに行ってみた。古いビルをたった一人でリノベーションしつつある彼が、「カルチャーハウス」としてオープンさせたスペース。五条大橋西詰めにあるエフィッシュの店長さんと、五条堀川の増田屋ビルにあるギャラリーアンテナの主宰者のトークイベントが行われていた。左京区とは違う、五条系の雰囲気ってあるよなあとかぼんやり思う。京都の中の「左京区」的なものを卒業した人が、その次に自分の仕事を作ってやっているエリア、という印象を受けました。
12/10
スフェラショップの店長の発案で、店内のディスプレイを大幅に変更。広く見えるのに空虚さがない、ステキな配置。
12/11
急遽決まったレセプションと、書店で扱っている商材の営業方法について断続的に打ち合わせ。こういうのは見た目以上に時間がかかる。ある筋からギャラリーの運営方法について相談を受け、がんばって考える。作家をその気にさせる、気持ちよく展示してもらうにはどうしたらいいのか、というお話し。ギャラリーの存続を可能にするモチベーションの所在を言葉にすることで、雇われながらも運営を行う自分の立ち位置を捉え直すことができたと思う。
yamasaki
ご無沙汰しております。3月から東京に出稼ぎに来ています。週末は京都。
21日朝は、ものすごく久しぶりに鎌倉にでかけて畠山直哉を見て、キャラウェイのカレーでたらふくになって外苑前へ向かう。今更ながら湘南新宿ラインに感銘を受けてしまう。いやわかってます、そういう路線が数年前に新設されたってことは。でも大船から渋谷(の先)まで一本でいけるってすごいことだと思う。知られざる線を無理矢理使ったんだろうけど、他にもそういう隠れた路線てのは残ってるんだろうか。あるんだろうな。鎌倉に行くと脳が10年ぐらいタイムスリップする。やや感傷的になった。いや教育実習に通ったりしたからなのだが、坂倉美術館がちと傷んでみえたせいも、あるかもしれない。今日はお休みの日だからなのか、10:30頃に東海道線では自殺者がでており、13:00になっても電車が遅れていた。
で、藤村龍至展だ。オープニングで見たときの第一印象はこんな感じ。
「やりたいことは全部、とはいわないまでもほぼすべてできてる。でも、やりたいことしか、できていないんじゃないか」
コンセプトは簡潔。表現は明快。展覧会をひとことで表すとそうなる。これはわかっていた。でもこの感想は、二回目を見てあっさり打ち砕かれました。
そもそもプリズミックの展示空間は、たぶん展示しにくいタイプの空間だ。低い天井、薄い壁、赤い床(それはいいか)、いびつなプラン。隣の部屋で鳴り響く電話。よわっちい空間なのに、展示が空間に負けてしまうことも多々ありそうだ。
そんな場所で藤村くんの展示は、大きく二つの質の空間を備えていた。一つは窓から窓までの長手方向の空間。入り口からみて前方に左右に伸びており、左から、UTSUWA、K-PROJECTスタディ模型、K-PROJECT展示模型と展示台を三つ並べていた。UTSUWAがいちばん低く、スタディ模型群は腰の位置。展示模型は目線の高さに置かれていた。展示模型は断面が異常に作り込まれており、床の下、壁の中まで再現した緻密かつ執拗な再現力を感じることができる。二つ目の空間の質は、空間構成としてのポイントとなるものだった。それぞれの展示台の前方と後方に、長手方向に横たわった模型空間を三つに輪切りするような空間が設定されている。そこには模型のひとつひとつを解説した画像を、カレンダーのように配置したプレゼンを見ることができる。これで模型と壁の間を視線が往復する、動きのある展示空間が生まれていた。
最大のポイントは、壁のプレゼンペーパーだ。だってさ、それがコメント付きなんだよ!
ただのキャプションじゃない。コメント、もっとはっきりいえば、画面の外から藤村くんが唐突に語りかける「吹き出し」が書いてある。具体的にいうと、「スタディ模型-4」ではなく、「おそるおそる突起を出してみる」なのだ。UTSUWAのうねうねが決定されていく過程が、物語として語られていくわけだ。たぶん本人は「説明できないことはしません」という決意のもとに設計をしているわけだ。だからどの設計物をとっても、彼がストーリーとして再現できない設計は行われない。将棋で、指し終わったあとに手順を一手目から検討し合う「感想戦」ってあるじゃないですか。あれができない設計はしないわけですね。というか、ひとつひとつの「筆使い」に客観的にコメントをつけられるのが、彼の才能なのではないかと。で、これがきわめて愉快。コメントのセンスに脱帽だった。もう、思い切り笑えたポイントがあった。まさか藤村くんの展覧会で笑いをとられることになるとは夢にも思わなかった。いいなあ。あれを見にもう一度行っても良いぐらいだ。
いちばんよかったのは、DMのイメージを決定する「藤村のデスクトップを再現したイメージ画像」のスタディ。素材をばらまき、小物のストーリーを整え、臨場感ではなくビジュアルイメージとしての手の角度が決定されていく様子が面白い。ああいうのをほんとうのイメージ画像というのだ。それが貼られた壁には、ほかにも「イメージが決定されていく(実現されていく)プロセス」がいくつか展示されていた。「設計のプロセス/プロセスの設計」というテーマはちゃんと表現されていた。
でもなあ。不満がないわけでもない。とにかく展示のコンセプトを明瞭に提示した点で、とても胸のすくさわやかな印象が残ります。だけど、ちょっと素直すぎやしませんか? ダミーのボリュームを模型の周りに配置して、それぞれのスタディ模型を都市の中に息づかせてみたり、プレゼンペーパーのコピーを過剰に貼り込んだ一帯をつくるなり、思考の過程でたどりついた最終形じたいを疑うような、そういう情報の「検索空間」があってもよかったんじゃないかなと。
あとたぶん時計回りの動線を考えていたんだと思いますが、打ち合わせ台(プリズミックギャラリーの宿命的な仕様)に荷物を置いたぼくは、逆時計回りに回ってしまった。だからなにって感じですが、ギャラリー空間の左から回ってくる模型の質と、右から回ってくるプレゼンペーパーの質が真ん中でぶつかって、ちょっと戸惑いました。まあこれは個人的な感覚なので大したことじゃないですね。
とまあ、やりたいことはやって、しかもそこからうっかり逸脱した(ほんとにうっかり、という感じだ)面白さが展示されている。これは一般論だが、まっとうなものの中にかいま見えるズレは、どんなときでも面白いものだし、そういうハズシがない物事、人物はつまらない。ただ、今回のズレは、「えーそこがズレてんの?!」と、ズレの位置じたいがズレていて面白く、しかも、ごくまっとうな展示が真横にあるわけだから、ちょっと動揺してしまう種類の面白さなわけです。たぶん藤村くんには、彼じしんぜんぜん気づいていない才能が隠れているのではないか。まったく味わい深い。いいもの見せてもらいました。ありがとう。
そうそう、もう一点だけ。 いまのところround-about journalは会場限定配布らしいですが、これ、せっかくなので各地の先輩がたに届けてはいかがですか。それも、郵送とかじゃなくて、オープンデスクの人が直接ポストに投函するの。オープンデスクの学生さんたちにとっても、事務所めぐりにもなるし(めぐるだけだけど)よい経験になるのでは。5部ずつとか。 さらに、移動・投函などその行程を記録し、まとめると面白いと思います。殴り込み、あるいは道場破り、といった趣もありますが、やっぱり元・議論の世代に対しても、何らかのアクションになり得ると思います。 それともう一つ、会場ビルの入り口に貼ってあるポスター(?)ですが、これって情報----会場の階数とか場所とかが書いてない----を整理していろんなところに貼るべきじゃない? 南洋堂に貼らせてもらうとか、都内のギャラリー(ふつうのアートギャラリー)に送りつけるとか(DMも)、そういうことがあっても良いと思います。あの手の出たデスクトップのビジュアルイメージは、いろいろな種類の人を呼び寄せる力があると思います。 ほんとは25日の打ち上げで提案したかったんですが、行けないのでここに書いておきますね。 yamasaki
それにしても、我ながら、前回の日記は最後のところでずいぶん身勝手なことを書いてしまった気がします。お前はただのマニアな観客だろと、胸ぐらつかんで言ってやりたいです。
とはいえ、今仕事で建築教育(ただし大学)の特集の一部に関わっているので、どうしてもいろいろと考えてしまう。先週も取材で、3月6日に難波和彦さんに会いに東大に、7日には石山修武さんに会いに早稲田に行った。この二大学では、調布市のコンペで学部生が競作したり、合同ゼミを計画したりと、大学間の垣根を越えた設計教育に取り組んでいる。だから大学ごとのキャラの違いがきっと表れるに違いないと思ったからだ。
難波さんのお話で気づかされたのは、東大の公開講評会が教員主導であったこと。考えてみれば講評会なんだから、教員主導であるのは当たり前なのだけど。とにかく、東大以外の、しかし一流どころによる評価軸を持ち込むことで学内の評価を相対化し(最優秀賞以外がすべて個人賞である点も、評価軸の多様性を担保していると思う)、教員も学生もそのずれを目の当たりにできるという、きわめて教育的配慮に満ちたイベントだ。言い換えれば、大学の設計教育の一環だと言える。しかも学生はスーツを着て、安田講堂という徹底的に祝祭化された空間でプレゼンテーションを行う。いち社会人を育てるための設計教育とでも言うべきか。
一方、石山さんのお話は、とても射程範囲が広い、飛距離の長いものだった。「海外に出ろ」ということと、建築以外の余計な知識(教養)を大事にしろということ。海外に出て戻ってこないぐらいで良いんだ。それこそ国際化だよね?とか。また女性など、社会的なマイノリティが爆発する瞬間に期待しているようだった。建築ガールズが、カワイイとは別の視角から捉えられていた。一方で、早稲田の学生の、学生時代における「旬」など、ほろ苦い話も伺う。いずれにしても、建築は教養の束だという主旨の発言を聞けたのは良かった。
ちなみに、20代の頃学外で最初に講義したのが京大だったそうで、「大教室なのに学生が5人しかおらず、コンチクショーと思ったよ(笑)」という。でもそれ、たぶん、たぶんていうか間違いなく、石山さんが京大生に人気なかったとかでは決してなくて、先生1人に学生5人って京大的には普通のできごとだったんじゃないか(今はそんなことないと思うけど)。数年前に研究室(教育)で川本三郎さんの集中講義を受けたときも、確か受講生10人ぐらいだったなと思い出す。
二つの大学と、8日の修士設計展、9日の卒計展を見て思うのは、建築の教育と設計の教育が、別物として考えられている(あるいはねじれて繋がっている)のではないかということだ。しかも、在学中に受ける設計教育はある意味でどんどん標準化され、逆にその分(その分?)、多様な評価を受ける機会が積極的に設けられている。各地の公開講評会や、何よりせんだいをはじめとする数々の卒計甲子園がある。京都の合同展は教員ノータッチだし、せんだいも学生会議がリードしているから、東大の公開講評会や、全国修士設計展の状況とは違う。つまり、大会自体もさまざまな評価軸を体現している。み江さんは、「わかものは言葉との距離感に悩んでいるんじゃないか」と指摘する。うまく説明できないけど、どこかが繋がっているように思う。
12日はほぼ6年ぶりに大川信行さんにお会いして、またいろいろと示唆を受けた。で、要求工学という分野をはじめて知る。ほんとうに、知らないことがたくさんある。そこに、2月23日のアーキフォーラムでお話しいただいた宮沢章夫さんの議論と、3月5日に見たチェルフィッチュの舞台がふいに重なってくる。そういえば、アーキフォーラムの二次会では、宮沢さんと延々スタディについて議論していたのだった。また考える。
yamasaki
5月31日にBUILDING Kを見ることができた。1階がテナント、2〜5階が住居。ガラス張りの1階に、4本の構造体が立ち上がっている。これらの構造体は5階まで達しており、5階以下のフロアはこの構造体から吊り下がっている。さらに、この4本の構造体には設備系統がすべて収納(内蔵)されているという。
その建ち方が小気味よい。高円寺駅を南口に降りて、雑多な商店街を通る。たしか、この通りの先には佐藤修悦さんが展示をした古着屋さんがあったはず。一言で「高円寺的」と言われてしまうような通りだ。ファーストフード、風俗店、飲み屋、コンビニ、古本屋、BUILDING K。中央線快速ホームからも見えるのだが、通りを歩くといっそう面白い。 次々と通りすぎる小さな店舗の少し上あたりに、少しずつビルの上階が見え隠れする。高さがばらばらだから、山のシルエットに近い。この第一印象がとてもよい。よい、というか、腑に落ちる。そして建物の前に差し掛かると、引きを取って建つ大きなガラス壁が突然目に飛び込んでくる。ぱっと見ると、巨大なガラスの空間が上の大きなビルを支えているようにも見える。それはありえない建物だ。ただ、瞬間的に「ありえないもの」として見えるために、この建築がとてもチャーミングなものに思えた。 既存のまちなみの雑多さを複雑化することなく、しかしすでに見事になじんでいる。 たぶんこの1階には、ドラッグストア的なテナントが似つかわしいのかもしれない。路面は、ファーストフード、風俗店、飲み屋、コンビニ、古本屋、ドラッグストアと変化する。生れるのは日本の商店街のきわめて日常的な風景に見える。しかし、それは、つくり直されたものだ。新たな意味を押し付ける(あるいは声高に提案する)のではなく、まちがもともと持っている文脈から外れない建築によって再構築された、新しい都市の風景だと思う。 それは、「よくある建物」という意味ではもちろんない。既視感はなく、しかしまちにフィットした建築(しかも新築の)が建っている。まちの文脈が流れ込む血管を太く鍛え上げて、都市的欲望との終わらない闘いに耐え抜く建築がつくられたと思う。 -- でも、質問してみたい箇所もあります。プランニングと構造ではない部分についてです。 まず、共用部について、藤村くんがどうやってあの内装にたどり着いたのか、知りたいです。5階以下の共用部の床は、どういう経緯で黒いゴムチップの床になり、天井の高さが決まり、壁の塗り方や階段のあり方が決まったのでしょうか。あるいは決めたのでしょうか。内装や素材の話はこれまであまり聞いたことがないので、どう考えているのか、いちどお聞きしたいのです。めんどくさい質問ですみません。 もうひとつ細かい話ですが、設備が詰まっているスペースは非常に見栄えがよかったのですが(手前のメーターボックスに入る検針の人もらくちんだろうし)、あそこに入る扉だけが、共用部におけるガラス扉(しかも大きなガラス)であるために、やけに個性的に見えました。それはまるで「マシーンさん」の部屋のような、ある種の人格を帯びている印象さえ受けました。外に見せないように設備を収めたのなら、なぜ住民が見えないようにしなかったのか、少し不思議でした。そこで、なぜそのような扉なのかをお聞きしたいです。 yamasaki
さて、しばらく経ってしまったが、6月14日をもって東京を引き払い、(転勤で)京都に戻った。家族としては長く、仕事としては短い1年3カ月。個人としても、round about journalのフリーペーパーやイベント、箱展で仕事をさせていただいたこと、アーキフォーラムで魅力的なゲストにお越しいただいたことなどなど、この期間は短いながらも非常に濃密な時間だった。できなかったこともまたたくさんあります。京都で生活を仕切り直して、また楽しく建築とつきあっていきたい。
前回の更新以後見たもののメモ。5〜6月の出来事は、ずいぶん前のことのように思う。 まず、「中村竜治展」(08/5/22、OZONE)が素晴らしかった。入り口にあった箱展「insect cage」の美しいスタディ模型群に、あらためてほれぼれと見入った。 「バウハウス展」(芸大美術館)も面白かった。展示中盤の、学生たちが授業で提出した課題作品が興味深かった。眺めていると、同じ学生の名前が何回か登場している。ひとりの学生が異なる課題に対応し、そこに作風らしきものを感じることができる。ほんの短期間のバウハウスの輝きを、時代状況と重ねて知るのは愉快なことだ。 そして、「ピーター・メルクリ×青木淳 建築がうまれるとき」(東京国立近代美術館)。キュレーターの保坂さんの慧眼というほかない好企画だと思う。青木さんはたくさんの模型を並べ直して、ひとつの建築がつくられていく様を展示。観客は文字通り紆余曲折しながら、思考の痕跡を目の当たりにすることになる。一方メルクリさんは、基本的にスケッチの展示。一群のスケッチは、隣接するスケッチ同士で微妙な差異を持ち、そのズレが、隣接する二枚の絵の間にある途方もない時間(長短とは関係ない)の存在を教えてくれる。 最も近い時期に見た、世田谷美術館の「石山修武展」も良かった。特に、ドローイングのすばらしさが記憶に残って仕方がない。偶然聞けた、川合健二を語った連続講義も面白かった。丹下さんが与えるほんのわずかな設備スペースに込められた天才の発想。自由とは何か、と考えざるを得ない。さらに、昨日の新日曜美術館も興味深く見ることができた。今思うと、3月にインタビューして以来、石山さんが語る建築が頭から離れてくれないことに気づく。 他にも、ROUND ABOUT JOURNALVol.8公開収録@神戸芸工大や、北海道で五十嵐淳さんにお会いしたこと、アーキフォーラムで1年間ぶっ続けでいろいろな方のお話をお聞きしたこと、藤村くんが返答してくれたBUILDING Kのこと、「批判的工学主義」を僕がどう考えているかなど、ここ数週間は考えごとをする機会が多い。 yamasaki
さて、展示空間に入った最初に感じたのは、「写真と同じように白い」ということだ。だがもちろん、写真と実体験が同一であるという意味ではまったくない。写真は視角として白く、空間は経験として白い。スペースいっぱいに充満する白い光。数十枚の薄いクロスが天井から吊り下げられ層をなし、内側から大きな「かまくら」のようにえぐられ、一つの室が生まれる。クロスの素材感と、鋭利な刃物で掻き取らられたかのようなカーブが、絶妙にマッチしていた。
一方で、えぐられて室内となった空間が、とても暴力的で唐突な現れ方だなとも思った。ある日突然、未知なる空間のただ中に放り出されたかのような経験だった。注意深く見上げると、展示の外側遠くに、天井面に走る規則的なグリッドが見える。天井面とクロスをつなぐテグスが見え、きわめて美しい収まりであることもわかった。吊られたクロスの裁断面が繊細にコントロールされており、そのエッジの表情が、空間の印象を決定づけているのだろうと思った。
対照的な展示方法も面白い。動線化された青木さんの展示に対して、メルクリさんの展示は一つ一つの作品に対峙することが要求される。会場構成を担当した西澤徹夫さんによると、入り口から一番遠い、一番奥の壁には一切展示をしたくなかったそうだ。
なるほど、展示スペースを埋めようと思えば、白いままで残しておくのはいかにももったいない。しかし、真っ白なままの壁の前を歩いて、展示の続きを見に行こうとすれば、また青木さんの展示も見、一旦立ち止まると、展示室の一番奥から入り口付近を遠くに見やることになる。すると突然、展示スペースをひとつの空間として感じられる。ようやくメルクリさんの模型に辿り着いたときには、模型やスケッチが生み続ける差異を見つめ続けるという、不思議な快楽の虜になってしまう。絶妙な構成だと思った。
それにしても、近美会館以後、なんと4つめの建築展だという。直近が「ポストモダン建築展」だったこと、回数の少ないこと、そして今回が青木×メルクリだったことなどを考えあわせているうちに、呆然としてしまった。
帰宅して晩ご飯を食べていると、奥さんから、「ハンコンデモってのがあったんだって」と聞かされた。半婚?犯婚?と脳内変換できないで困っていると、反婚なんだという。ようは反戦と同じつくりの言葉なんだけど、結婚に反対ってこと? と考えるうちに、ますます分からなくなった。おかしな言葉だなと、まずは思う。
で、検索してみると、ありました、こんな記事。 実は、ぼくと奥さんは結婚しているのだけど、一度入籍した後でよく相談して、結局それぞれがもともと持っていた名前を使っている。よくある「仕事は旧姓、戸籍は本姓」ではなく、仕事も戸籍も本名に戻して生活している。結婚を機に名字を変更して「それまで存在しなかった人名」が出現することに、大きな違和感があったからだ。この経緯はとてもおもしろいんだけど、長くなるのでそれは省きます。 さて、自分の話はいいとして、「反婚デモ」である。ぼくたちは、この記事が不快だった。どこか、おかしい。何かがずれている。客観的に見れば、ぼくたちも既存の婚姻制度に疑問を持って、別姓を求めた結果として籍を抜いたのだから、まあ、行動としては反婚と言えなくもない。でも、この「反婚デモ」は方法として間違っているんじゃないかと思う。どうにも共感できない。 たしかに、たとえば10代で子どもを産んで女手一つで育てるのにはたいへんな苦労があったと思う。でもたぶん、その苦労と現状の婚姻制度の間には、まったく関係がない。 現在の婚姻制度には問題がある。たとえば、戸籍を一つにしなければ得られない優遇措置がいろいろとある。夫婦のどちらかが扶養という優遇制度を甘受するためには、自ずから収入に限度を設けなければならない。だから、それぞれが経済的に自立したままで関係を継続するのは不可能だ。現行制度上、夫婦はあくまでも合わせ技で一本なのだ。 でも、それは制度のデザインの問題であって、結婚の実体がそこにあるわけでは決してない。結婚生活のデザインは、自分たちで何とかしなければならない。もし自分の不遇の現況を制度に求めるとするならば、それこそが、制度を過信(盲信)し、制度に身を委ねた思考にほかならない。少なくとも、「自分たちにはこんなに良いアイデアがある」と主張しなければならないと思う(記事に載っていないだけで、叫んだのかもしれないけど)。極端な言い方だが、「子守りをしてくれる人を探しても家族制度が壁にな」るなんて主張は意味不明だし(経験上はありえない)、「友達に結婚しない生き方を理解してもらえない」のは、本人の友達の質の問題に過ぎない。つまり、社会や制度のせいではなく、あくまでも自分と社会の関わり方の問題だと捉えるべきなのだ。 検索すると、webでの評価も引っかかった。「結婚がおめでとうの社会では、非婚の人が生きづらい」という彼らの主張に対して、「進学おめでとうの社会は、浪人の人が生きづらい」「新築おめでとうの社会は、中古の人が生きづらい」ということなのか?と疑問が呈されていた。その指摘は鋭い。しかも、笑える。 だからぼくたちは、この記事を読んで次の二つの教訓をかみしめた。 ところで、別姓問題では、役所の「裁量」の幅を実感した出来事があった。ぼくたちは同じ住まいで協同して暮らすことを結婚だと考えたので、「戸籍はどうでもよいけど、住民票には何かしらの記載があってほしい」と望んでいた。すると左京区役所は続柄に「妻(未届け)」と記してくれた。もちろんわれわれへの特例ではない。一向に進まない制度改正に歯ぎしりするカップル一般に示される、役所の心意気である。これ、ロマンチックで、とっても気が利いた表現じゃありませんか? ぼくたちはとても気に入っています。 ええと、このエントリの肝は、言うまでもなく、菊竹さんの言う「もっと表現すべきです。スケッチをしなさい」であり、藤村くんが言う「かたちを発展させていく」ことの実践だということです。 yamasaki
1. 自らが被る不利益を、社会や制度のせいにしてはいけない。
2. 主張する時はかならず対案を出し、実行すべく努力する。
山崎です、こんにちは。
目前に迫ってからの告知で申し訳ないのですが、12月8日に、アートスタディーズでショートレクチャーを行います。お時間ある方はぜひお越しいただければと思います。
「20世紀の名品」が大テーマなので、僕はアトリエ・ワンを題材に、彼らがどのように重要な存在であるかを話します。
詳しくはこのサイトから。以下が概要です。
-- ディレクター・彦坂尚嘉 ◆ゲスト講師
【美術】テーマ 《シニフィエ化する美術》 ◆ディレクター ◆プロデューサー ◆アドバイザー ◆討議パネリスト ◆司会 ◆年表作成 ◆日時:2008年12月8日(月) ◆会場:INAX;GINNZA 7階セミナールーム ◆定員:60名(申込み先着順) ◆参加費:1,000円(懇親会参加費は別途) ◆お申し込み・お問い合わせ ◆主催 アート・スタディーズ実行委員会 ◆後援 毎日新聞社 ◆協力 INAX:GINZA/TNプローブ/ART BY XEROX yamasaki
第13回のお知らせ
『第13回アート・スタディーズ 』へのお誘いです。
12月8日(月)午後6時から京橋のINAX:GINZAです。
いよいよ現在にもどって、1995年〜です。
近過去の歴史化は困難ですが、やさしく、柔らかに探索します。
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レクチャー&シンポジウム:20世紀日本建築・美術の名品はどこにある?
第13回アート・スタディーズ
1995年〜2004年大震災以後の建築と美術
【建築】テーマ 《超現代化する建築》
◇山崎泰寛(編集者)
サブテーマ 「『公共』のゆらぎ/アトリエ・ワンの時代」
◇五十嵐太郎(建築史・建築批評・東北大学准教授)
サブテーマ 「伊東豊雄ビッグバン」
◇保坂 健二朗(東京国立近代美術館研究員)
サブテーマ 「ドローイングは極私的メディアか 奈良美智を手がかりにして」
◇中村 誠 (埼玉県立近代美術館学芸員)
サブテーマ「ポスト・ミュージアム世代の作家たちとアジアへのまなざし、秋元珠江の映像作品を取り上げて」
『アート・スタディーズ』とは?
アート・スタディーズは多くの人の鑑賞に資する、歴史に記録すべき《名品》を求め、20世紀日本の建築と美術を総括的、通史的に検証、発掘する始めての試みです。先人が残してくれた
優れた芸術文化を、多くの世代の人々に楽しんで頂けるよう、グローバルな新たな時代にふさわしい内容でレクチャー、討議いたします。
彦坂尚嘉(ブロガー、日本建築学会会員、日本ラカン協会会員、美術家)
五十嵐太郎(建築史家、建築批評家、東北大学助教授)
建畠晢(美術批評家、国立国際美術館館長)
◇五十嵐太郎(建築史、建築批評、東北大学准教授)
◇伊藤憲夫(元『美術手帖』編集長、多摩美術大学大学史編纂室長)
◇暮沢剛巳(文化批評、美術評論家)
◇新堀学(建築家、NPO地域再創生プログラム副理事長)
◇藤原えりみ(美術ジャーナリスト)
◇橋本純(編集者)
◇南泰裕(建築家、国士舘大学准教授)
彦坂尚嘉(アート・スタディーズ ディレクター)
橘川英規(美術館研究員)
17:30開場、18:00開始、21:00終了、終了後懇親会(別会場)
(東京都中央区京橋3−6−18/地下鉄銀座線京橋駅2番出口徒歩2分)
(当日連絡先は 090-1212−4415 伊東)
http://inaxginza.info/
氏名、住所、所属、連絡先、予約人数を明記の上、下記e-mailアドレスへ
art_studies2004@yahoo.co.jp
(FAXでのお申し込みは 0466-36-7228)
◆共催 リノベーション・スタディーズ委員会
日本建築学会
日本美術情報センター
*LIVE ROUND ABOUT JOURNAL 2009についてはこちら→ 今日から、「住宅は公共建築である」というタイトルで、何回かに分けて文章を書いてみたい。いわゆる日記的なものも間に入るだろうけど、それはまた別のタイトルで書くことになるだろう。 ことの経緯はこんなところだ。 12月8日、INAX:GINZAで開かれた第13回アートスタディーズ「阪神・淡路大震災以後の建築と美術」で、ショートレクチャーをした。このシリーズは「20世紀建築・美術の名品はどこにある?」という大きなテーマを掲げていて、55年-65年、50年-60年、といった具合に、10年間を対象としながらも、5年ずつずれながら遡っていく変則的な形式をとっている。今年の3月に20世紀半ばから1900年までの議論を終え、1995年-2004年を扱う今回から、60年代に向かうという。 僕がお話をいただいたのは、最も近い過去である1995年以後の建築についてだった。大体98年の夏頃から建築に関する本を読み始めたので、実は95年からしばらくについては、同時代的に経験したわけでもない。だから、いい勉強の機会を与えてもらったと思って引き受けた(でもすぐに、これは大変なことになってしまったと焦った)。 さて、建築の名品=名作とは何だろう? すでにいろいろな定義もあるだろうし、おそらくアートスタディーズが独自に持っているフレームもあるだろうとは思ったが、ここは一つ、名作建築を僕なりに発見することにしようと考えた。 まずは「名作とは何か」を定め、次に「何を名作と言えるか」と考えた。僕は仕事中(というか生活全般)において、物事に対して「これは良い/悪い」という判断を意識的にするようにしている。その判断が正しいかどうかは分からないが、とにかく判断するようにしている。そうしないと割と多くのものを自動的に受け入れてしまう性質を、僕自身が持っているからだ。 すぐに分かったのは、この思考実験がかなり楽しいということだ。一意的に決まる、誰もが認める名作なんて、もともとあるはずもない。しかし、僕個人のバックグラウンドにある(うすいけど)社会学的な発想をある程度意識しながら考えることで、ある程度説得力のある議論の軸を、この問いに対して立てることができると感じた。 社会学的な発想の根本には、世の中の「当たり前」を疑う態度がある。誰もが当たり前のように思っていること、使っているもの、その使い方……それらは本当に「当たり前」なのだろうか? なぜ「当たり前」になっているのだろうか? あらゆる出来事や物事に対して使える考え方だ。建築も例外ではないだろう。誰もが当たり前だと思っていることを軽々と、あるいは難儀して超えていく作品というものがある。それを、批評性のある作品だと言うことも、あるいはできるだろう。だから僕は、建築を考える方法を更新してしまった作品を指して、今回、建築的な名品=名作と呼ぶことにした。震災も会のタイトルに入っていたが、震災を特別視した位置づけには抵抗があったので(もちろん、未曾有の出来事だったことは承知の上で)、いったん忘れることにした。 さて、「考え方を更新する作品」は、ひょっとすると、その(同時代の)後の建築の流れを一変させるものだったかもしれない。少なくとも、その新しい流れに何らかの影響は与えていただろう。建築の世界でその時期「以前と明らかに違う状況」はどこにあっただろう? と考えると、一般誌が建築を扱い始めた時期に重なっていることに気づいた。たとえば、Casa BRUTUSが創刊されたのは1998年だ。なぜ、一般誌は建築をテーマにしたのだろうか? それと、いま何気なくメディアという言葉を使ったが、雑誌を「メディア」と呼び始めたのはいつ頃だったんだろう?(これはよく分からない) そういう影響も与えたであろう作品とは、一体何だったんだろう? 与えた影響があるとすれば、それはどんな内容を伴っていたのだろう? そこで、とりあえず図書館に行き、まずその時期の『新建築』と『住宅特集』を一気読みして時代の雰囲気をつかんでおくことにした。この目的のために、これらの雑誌は本当に適切だと思う。やっぱり関空はかっこいいなあ、とか、横浜やせんだいのコンペがあった年かあ、などと、ぽかんと口を開けながら初めて接する近過去は、だがしかし、どこか違う国の歴史のようでもあった。となると、言説のありようも知らなければならない。よって掲載されていた論考や月評も、(自分比で)割と丁寧に読むことになった。特に月評は面白かった。その人が何を考えているのかが、おそらく作品以上によく分かってしまう面があるからだ。また、作品批評にかこつけて、持論を自由に展開し続ける人がいるのも楽しい。設計者が自由に放談する機会は、あるいは月評以外になかったのかもしれない。個人のブログを読んでいるような気分にもなった。 休日の空いた時間を使うだけなので、読み通すだけで大変に時間がかかった(しかも京都は公立図書館が壊滅状態なので、卒業生でもないのに、京都精華大学の図書館に大変お世話になった)。どうも、日本中、箱モノがいまいち元気のない時期だったようだ。1995年以後の(つまり学生時代の)空気を思い出しながら、経済発展ってしないこともあるんだなと知った、当時の感情を思い出したりした。1997年頃のことだ。就職活動で、何百枚もはがき(はがきである)を出して一通も返事がないと嘆いていた友人がいたことも思い出した。まだネットでのエントリ(←この言葉も当時出始めた言葉だったはず)も一般的ではなかった。就活という略語も、まだなかったのではないか。要するに不況だったのだ。僕はといえば、卒論で保健室の研究にのめり込んでいた(1998年)。宮台真司が『まぼろしの郊外』で郊外化を描き、『終わりなき日常を生きろ』と宣言した時期だったと思い出すこともできる。いろいろ懐かしい、が、なんだか暗い気分にもなった。 しばらく考えるうちに、アトリエ・ワンの「アニハウス」(1997年)を作品集で見た。 yamasaki
*LIVE ROUND ABOUT JOURNAL 2009についてはこちら→ 今月もあっという間にひと月経ってしまった。7日に見に行った「文五郎窯」が素晴らしかった。築数十年の倉庫のリノベだが、「既存コンクリートの補修」にこだわっただけあって、丁寧に3色に塗り分けられた補修跡が美しい。初めて行った信楽の町の雰囲気もいい。解説はここ→が詳細かつ的確。設計は田所克庸+上田篤。 8日はアートスタディーズ。90年代後半にアトリエ・ワンが到達した、住宅が示す公共性とは何か。「公共のゆらぎ アトリエ・ワンの時代」と題して、08年における彼らの作品の意義を意識しつつ95年以後の文脈で語る……つもりが、これはとても難しい問題で、11月以後今もずっと考えている。たぶん来年から先も、しばらく考え続けるテーマだと思う。発表を契機に書き始めた「住宅は公共建築である」というエントリを進めながら考えていきたい。他の発表者は、五十嵐太郎さん「伊東豊雄ビッグバン」、保坂健二朗さん「ドローイングは極私的メディアか 奈良美智を手がかりにして」、中村誠さん「ポスト・ミュージアム世代の作家たちとアジアへのまなざし 秋元珠江の映像作品を取り上げて」。打ち上げで、橋本さんから、アニ・ハウス掲載にあたってのjt編集部の様子を伺う。五十嵐さんからも、発表当時の理解について伺う。 13日はマキ(息子)の保育園で生活発表会。0歳の乳児クラスから小学校入学直前の6歳児クラスまで、学年ごとに出し物をする恒例の年末企画を見に行く。息子のいる4歳児クラスは初めての劇。大勢の大人の前でストーリーのある役を演じるのはまだまだ難しいようだったが、0歳時から同じクラスの子どもたちの成長ぶりにあらためて驚く。続いて5歳児のクラスを見て「来年はこんなに成長するのか」とまた驚く。マキがお世話になっている保育園はイベントも多くエキサイティングで、親としてはもちろん、社会人としてもとても勉強になる。就学前教育には大きく二種類あるが、文部科学省管轄で教育に重点が置かれた幼稚園とは異なる、厚生労働省管轄で「親が働いている」という一点のみを共通項とした保育園の存在感はおもしろい。人それぞれだとは思うけど、異年齢集団ってやっぱり良いものだと思う。親もいろいろである。保育園については項を改めて、また考えたい。 14日は、マキと同じ世代の子を持つご近所が集まって「午後のおやつ会」…のはずが、子どもだけじゃなくて大人も集まってしまったので、昼間から飲むただの楽しい飲み会になってしまった。最近自宅の再改装をもくろんでいるのでその話をすると、「手伝うよ!」的なノリで盛り上がる。中には屋根の上に部屋を一つ作り足してしまった夫婦もいて、かなり心強い。皆セルフビルド欲が旺盛で、いろいろと経験を教えてくれる。 20日は、岡田栄造さん、満田衛資さん、森田一弥さんらと忘年会。スペシャルゲストがJIA U-40コンペでファイナルに残ったためこちらにいらした前田茂樹さん。日本では地元の堺でお仕事をスタートされるらしく、京阪神あたりがさらに面白くなるに違いない。二次会はみなさんを自宅にお招きして……というかむりやり引っ張り込んで、3時頃まで気の置けない話をいろいろ。 27日は中山英之さんにつないでいただいて、京都精華大学片木孝治スタジオの講評会に参加。片木さん、馬場徹さん、河内一泰さん、永山祐子さんという講師陣+ゲストの中山英之さん、岡田栄造さん、森田一弥さん、山崎。講評会なんて見るのは二回目、コメントするのなんてもちろん初めてなので、とても良い勉強をさせていただきました。片木さん、中山さん、ありがとうございました。森田さんが日記に書くように、学生さんの数に対してこの面子はかなり大変なことになっているのではないか。となると面白いのは各々のコメントの違い。僕はきっと的はずれなことも言ったに違いない……。違いないけど、でもそれで良いようにも思う(←図々しい)。13時〜20時半という長時間の講評。21時半から三条ラジオカフェでの打ち上げ+忘年会に家族3人で参加。取材を終えた桂さんも参戦。片木さんからは鯖江市で展開中の産業×アートの試みを伺う。久しぶりに会った永山さんからも近況を。そして、中山さんとアトリエ・ワンの話で盛り上がる。終わりがけにみなさんから「山崎はうるさがたで良いのではないか」とエール(?)を送られた。飲み会の席で自分に言及されることってほとんどないので(あっても、○○に似ているとかなので)恐縮。来年はもっとたくさんの実作を見たい。京都にはもう一人、この日は東京にいらっしゃっていた素晴らしいうるさがたがいる。 29日は会社の仕事納め。夜は、妻の両親と1年間のお礼を兼ねたお食事。30日はアクシス1月号が届く。桂さんが書く「ROUND ABOUT JOURNAL」評。写真をチーム内でかき集めて渡したので、クレジットがえらいことになっていて面白い。LRAJ2009も、もうすぐ。その前にRAJ8のいろいろを仕上げなければ……。家の大掃除が半分終わったところで妻が(掃除のしすぎで)体調を崩す。 では、来年もよろしくお願いいたします。 yamasaki
午後は「青木淳と建築を考える」とどちらにしようか迷いながらも、家族3人で保坂健二朗さんのレクチャーを聴きに、京都の近美へ。保坂さんキュレーションの展覧会「エモーショナル・ドローイング」では、辻直之さんのアニメーション作品がヒット。鉛筆で描いた線を消し、その上に新しく絵を描き足す。前に描かれた線が痕跡となって、フィルムに残り続ける。"描かれたもの"が連続することで作品となる、ドローイングの可能性を知ることができた。レクチャーを聴くと、ドローイングという手法が持つ自由度の高さを改めて知らされ、というかドローイングの持つ自由度を発見した保坂さんについて、さらに興味が沸く。保坂さんの次の企画展は2〜3年先になるらしく、メルクリ×青木淳展とドローイング展の両方を見ることができた今年は、観覧者としても幸運だったと思う。
ちなみに、ここで集まるご夫婦はみなたいへん個性が強い。とりあえず国籍がバラバラなのだ。オランダ人の夫がアジア各地で種苗を仕入れてくる夫婦(妻は日本人)=子ども2人。大学でフランス語を教えながら小説を書くフランス人の夫と、現代音楽のピアニストの妻(日本人)=子ども1人。画家志望で、現在はテーマパークの建物を塗る塗装職人(かなりの職人芸)の日本人夫とフランス人と日本人のハーフである妻=子ども3人。子どもも、見るからにモンゴリアンなのはマキだけ。各国の教育事情や日本の対外国人政策について聞く。「小学校までは日本でもいいんだけど……」との発言にはなんとなく頷けた。
それぞれに子どもがいて、それぞれにエピソードがある。この日最も共感したのは、「子どもが初めて三輪車に乗ったのを見て思わず泣いた」と話しつつ涙ぐんでいたピアニストの母親の心境。それまではバギー(乳母車)に"乗せられて"移動していた自分の子どもが、三輪車を手にして初めて1人で、自分の意志で乗り物を操って移動する。その子がどんな世界を見始めたのかと思うと、泣けるという。というかここは思い切り泣くところだと思う。
この日は、『建築学生のハローワーク』が届く。山崎は編集者の項を書かせていただきました。各章の扉に描かれたマンガ(たかぎみ江)がかなり面白いです。
今年もまた多くの人々のお力添えをいただき、盛況のうちにライブイベントを始め、終えることができた。今思うと、去年は無我夢中すぎて自分が何をしているのかがよく把握できていなかったが、今年は、イベントを開催する理由をはっきり意識しながら進めることができたと思う。
以下相変わらず自分目線でしか語れないのですが。今年の僕の主な役割は、レクチャーの内容をまとめてコメントする、レビュアだ。といっても、12名のレクチャーが連続して行われるLRAJで、1人の人間がレビューを書き続けるのは不可能だ(聞いている間は書けないから)。だから、本瀬さんと分担して、セッションの前半の人は僕が、後半の人は本瀬さんが書くことに決めた。ちなみに昨年のレビュアは、松島くんと本瀬さんだった。 ということで、僕が書いたのは、成瀬猪熊さん、mosaki、寳神さん、勝矢さん、原田さん、石上さんの6名分。その他に、レクチャー終了後の討議の間に、表紙に掲載するリード文と、最終ページに掲載する編集後記を書いた。また、g86が文字数を詰めてまとめてくれた文章にできるだけ目を通し、前述の6人に関しては気付く範囲で手を入れた。 去年僕は1/19だけ実作業をしたのだが(26日は大阪でアーキフォーラムで司会だったので不参加)、実は永山祐子さんの原稿だけは、ほとんど読むことができなかったのでした。でも今年はとんでもなく優秀なテキストが次々でき上がってくるのだから、僕がやるよりもずっと良かった。 ところで、そもそも、ライブ編集版RAJには予定稿が存在しない。もちろん、いつでも変わらない基礎的情報(=プロフィールやタイムテーブルなど)はあらかじめデータ化されレイアウトされていたが、当日のレクチャーで変動する部分(タイトル、原稿[文字も漫画も]、見出し、画像、レビュー、リード文、編集後記など)は、当然、当日生産するのである。ページデザイン、レイアウト作業も同様だ。刈谷くんは、骨格の設計と基礎的情報の配置までで準備を終える。掲載する写真も、その場で撮られたものだ。 言うまでもなく、いわゆる完成度を求めるならば、ポートレートは事前に提供していただき、図版もレクチャラと相談して絞っておき、場合によってはレビューと原稿のスケッチぐらいはしておくべきかもしれない。しかし、LRAJでは、それはあり得ないのだった。すべてがその日その時その場所での「事件」を前提として、できるかぎり純粋な伝達に徹するメディアだからである。漫画も当然、その日その場でセッションを聞いてから、描かれている。この無謀さを支えているのは、その「事件」がどいつもこいつもすばらしいものであるという、最大限の希望的観測だ。(あ、そうだ。次回は、レビューの文末や当日撮った写真のキャプションに、時間を入れておくといい。[15:48] [スタッフ一同 10:43撮影]とか。今度提案しよう) 総括議論は編集ブースで声を聞くだけ(眺めたところで、立ち見が幾重にもいらっしゃって、討論の場までは見通せないのだった)。だが、議論がまとめに入った、あいさつを始めた、など聞いていれば分かるのだから、作ってるこっちは焦る一方。刈谷くんは動揺していないように見える。すごい。mashcomixは、というと、一仕事終わりましたモードに入っている。これもすごい。テキスト作業に煮詰まったので、立ち上がって一同に会したレクチャラを見ると、背後の垂れ幕には2つの対照的な画面が投影されている。「作業デスクの上の一杯のコーヒー=mashのデスクはもう作業が終わっている」と、「文字を流したり直したりと目まぐるしい=刈谷くんのデスクトップ(でも本人はクール)」。ライブ感、というか、文字通りライブだ。 議論の内容については、学生スタッフの文字起こしチームが最後まで起こし作業を続けてくれた。全くすばらしい働きである。議論も丁々発止、白熱していた。あの様子を見ていただけたのは良かったと思う。内容についてはさまざまにフォローがあるだろうし、多くのブログ諸氏のレビューを読むことで代えたい。いくつか見つけたが、こういうタイプの積極的な議論は、昨年はあまり見受けられなかったと思う(社会学者云々のところは言いたいことがあるので別に書きます)。どんな感想が、批評が飛び出すのか、楽しみ。いつも書くことなのだが、終わってからが本当の始まりだ。飲み会では参加していただいた皆さんの様子を眺めていた。始発で解散。 翌2/1はお昼からBUILDING Kで書籍の作業に合流。編集の伏見さんも、デザインの刈谷くんも、もちろん藤村くんも朝から作業している。小一時間ほどの、藤村くんへのインタビュー(多分初めて)をして、あとがきをまとめた。 夕方早退して、桂さんと待ち合わせてディーナー&ディーナー(D&D)を見る。昨日の感想など伺う。やっぱりやって良かったなと実感する。さて、D&Dの展示空間は意図が明確に伝わるし、何より非常に美しい。本人が展示構成をしたそうだ。窓を写した写真と、窓から写した写真。窓に注目した巨大なパネル写真と、周辺地域の中に建築がとけ込んだかのような模型プレゼンも、都市的。パンフレットもすばらしい。でも、展示がすばらしかった分、なぜ今、どういう経緯でD&D展を開催することになったのか。その辺りを知りたくなる。 20時頃東京駅から京都に戻る。帰宅すると、石山修武研究室の絶版書房から、第一回配本「アニミズム周辺紀行」が届いていた。ドローイングが素晴らしく力強い。テキストは知性的私性の極地。これで2,500円(送料込)というのはずいぶん安いのではないか。編集する者としてはこのプロジェクトに参加できないのが悔しいが(そもそもシステム的にも外部に編集者を求めないタイプの作り方)、この勝手メディアぶりは感動的。RAJのことを考えても思うのだが、メディアとは、そもそも勝手に始まるものだし、既存メディアにとっては、勝手なふるまいに見えるものなのだ。絶版書房のシステムも、既存の書籍流通・制作環境に対する痛烈な批評であることは言うまでもない。そうやってあらゆるメディアがいったん相対化されて、残るものだけが残る。読みながら泥のように眠る。 yamasaki
来る2月7日(土)、大阪は中崎町コモンカフェで、藤村くんと話します。吉永健一さんと、LRAJ2009出演の山崎亮さんが司会。関西にいらっしゃる方、ぜひ! ぜひですよ!
以下、主催者からの告知メールを一部転載。ちょいとおそがけですが、ご飯でも食べながらお待ちいただければと。 -- おいしいお酒と料理、楽しくためになるけんちく話を用意してお待ち申し上げております。 『「議論の場」を設計する/PROJECT ROUNDABOUT』 *日時:2009年2月7日(土)開場19:00 開演20:00 【ゲストからのメッセージ】 2000年以降、建築雑誌は休刊が相次ぎ、またweb上ではBBSに替わってブログが一般的になり、建築や都市をめぐる議論の場が失われて久しい。 そこで私たちは「ブログと雑誌を繋ぐ」オルタナティブ・メディアとしてフリーペーパー「ROUNDABOUT JOURNAL」の発行を行い、またイベント「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL」の開催等を行うことによって建築・都市をめぐる次世代の「議論の場」を生み出そうとしている。 今回のトークショーでは、これまでの活動を通じて見えて来た課題、2009年以降の展望について語り、オルタナティブ・メディアの可能性について討議する場としたい。
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けんちくの手帖プロジェクト〜architects’BAR
「けんちく本つくりたい人集まれ」vol.18
*会場:Common Cafe
大阪市北区中崎西1-1‐6吉村ビルB1F
tel:06-6371‐1800
大阪地下鉄谷町線中崎町駅4番出口北東へ1分
*入場料:1000円(ワンドリンク付)
*ゲスト:ROUNDABOUT JOURNAL
藤村龍至(建築家、藤村龍至建築設計事務所)
山崎泰寛(編集者、建築ジャーナル)
*お問い合わせ:吉永建築デザインスタジオ内けんちくの手帖準備室
tel:072-683-6241
e-mail:yoshinaga@office.email.ne.jp
PROJECT ROUNDABOUTは、「議論の場を設計する」をキーワードに2002年より展開しているメディア・プロジェクトである。
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yamasaki
1/31のLRAJ2009から2/7のけんちくの手帖にかけて、RAJが発信源となる議論の場が持っている役割のようなものについて考えることができた。特にけんちくの手帖というアウェーがLRAJ2009直後にあったことは大きい。個人的には、建築雑誌の執筆原稿をまとめるいいきっかけになった。それにしても、藤村くんのリュ調査に比べるにつけ、自分のしゃべり下手には心底がっかりする。少しでも観客の方々に伝わっただろうか。観客の皆様、吉永さん、山崎さん、ありがとうございました。
さて、LRAJの一週間前に楽しみにしていたのが、中村竜治さんが出るアーキフォーラム(1/24開催)だ。変化球だらけだった昨年の「国境と建築」に比べると直球勝負の「建築の跳躍力」。2000年以後の建築作品について語りおろされるという、作品主義を突き詰めたら突き抜けてしまったかのような趣向がおもしろい。年代を使って考えることの効用が、そこにははっきりある。2008年5月のOZONE展で心底感激させられた中村竜治さんのソロ講演。期待しない訳にはいかない。 今回は「形」と銘打たれ、箱展「insect cage」、「ヘチマ」、そのアイデアを使ったコンペ案、一連の「JIN’S」と作品が淡々と紹介される。ヘチマで部材と形の関係性から導きだされた、海外コンペで提出された展望台のシルエットに度肝を抜かれる。同じ原理でつくられた小さな「くま」と、巨大な展望台のアイデア。両者が同一平面に並べられ、当たり前のように、同じ言葉=考え方で語られる。その過剰なまでの「まともさ」が、中村さんの発する中毒的な魅力の源泉なのではないかと思う。あの講演を聴いた誰もが、彼が、構造も素材もディテールも施主の要望も等しく重視していることに気付くはずだ。そして最後に提出されるのが、これ以外にない、という唯一無二の「形」を伴っていることに、人は驚き、深く納得する。もし彼の「形」が外観の主観的な操作で生まれるように見えるなら、デザインからすっぱり足を洗うべきだろう。 講演を聞いて、中村さんの「形」の新しさは、その形が生む空間(もちろん周辺も含んでいる)の中で、濃淡を経験できることにあると考えた。濃い/淡いというのは、塗り分けを回避し、ぼんやりと、しかし確かに連続して色合いの変化として経験される。つまり、空間を経験する者にかなり強く主体性を(無意識的に)実感させる設計がなされていると思う。その点において、石上さんの建築と似ているとも言える。 濃淡は軽重ではない。現代建築ではなぜか「軽い/重い」という形容詞が乱発される。その是非はここでは問わないが、ポイントは、その形容詞の接続する先が「建築」であるということだ。これは、建築というものを頭から信じている場合にのみ可能な表現だと思う。一方の「淡い/濃い」は、空間、あるいは経験という言葉に接続される。淡い空間とは、つまり、人格のある個人が経験することで初めて発せられる表現だ。空間の経験を前提としているということは、そこに主体的な個人が想定されているということだ。もっと言えば、人を信じているということだ。 そういった、淡い経験/濃い経験のグラデーションを設計できることが、中村さんのもっとも驚嘆すべき力量だと僕は思う。こう考えると、それが「感じられるもの」である点で、中村さんが「形」にこだわるのは至極もっともな筋道だった考え方だと言える。 だから、例えばribbon projectの展覧会でつくられた空間のありように、僕は戸惑ってしまう。まず、あの空間は美しくない(と僕は思う)。その理由を次のように考えている。おそらく空間の成り立ちは、あるいは他のプロジェクトよりもスムーズに説明されるものだと思うのだけど、そういった手続き的な面での説明可能性は、中村さん固有の設計手法=良さとはあまり関係がないのではないか。発想の飛躍こそが作家性だ、それこそが素晴らしい、などと言いたいのではない(そんなつまらない考え方は燃えるゴミの日に生ゴミに混ぜて捨てるべきだ)。考えが空間に結実していくルートそのものを中村さん自身が作ってしまうような、そういう「たどり方」が必要だったのではないかと思う。 ……えーっと、という話を、翌朝大阪から某所までお連れする車中で、恐れ多くも本人にしてしまった。でもこんな戯言にもきちんと耳を傾けて、真剣に答えてくださった。講演でも改めて実感されたが、言葉をとても大切にする方なのだ。ありがとうございました。 実は、その姿勢は、2月20日発行の『1995年以後』でも明瞭で、中村さんのページは、彼と藤村くんが本当に真剣に言葉を交わしている姿が手に取るように分かる。 普通は、同じ言葉を使っているにもかかわらず違う内容が話されることが多い。しかもそのズレを当人が自覚していないために、議論が無限定的に拡散してしまい(平行線というやつだ)、読者は置いてきぼりにされてしまう。しかし、彼らは、一見違う言葉で、同じ内容を議論している。だから数ページの間に言葉がどんどん深まっていく。これこそが、『1995年以後』のおもしろさの、つまり「議論の場」が顕在化することの、一つの重要な局面なのだ。
yamasaki
『1995年以後』のプロモーション・ツアーとして、東京から京都へ、TEAM ROUNDABOUTの面々が乗り込んでくるイベントを開催します。藤村くんはもちろん、ほぼ全員が来場予定。話題は「メディアの可能性」。建築やデザインを語る「言葉」の可能性はどこにあるのか。「メディア」を実践・体現してきた岡田さんと交わす、卒計日本一決定戦よりも熱い大人の議論。ご期待ください。
*下記Sferaのサイトからご予約ください。
----------------------以下Sferaのリリースです-------------------------- スフェラが不定期に開催するミニ・デザインシンポジウム「デザインの部屋」。今回は、藤村龍至/TEAM ROUNDABOUTをゲストにお迎えします。ホスト役はデザイン情報サイトdezain.net主宰の岡田栄造氏。TEAM ROUNDABOUTの取り組み、プロジェクトに至るまでの哲学、思想、方法をお話しいただき、メディアの可能性を議論します。岡田氏への逆取材もあり!? な、サプライズな展開にご期待ください。 日時:2009年3月8日(日) 13時~16時 ■ゲスト=TEAM ROUNDABOUT ■ホスト=岡田栄造/Eizo Okada yamasaki
■■デザインの部屋 Vol.8
■■TEAM ROUNDABOUT × 岡田栄造
会場:SferaBuilding 2F
入場料:500円
予約サイト:http://www.ricordi-sfera.com/heya/index_8.html
1995年以後の都市・建築をテーマにしたフリーペーパー『ROUNDABOUT JOURNAL Vol.1+2』を2007年3月に発行。相次ぐ雑誌の休刊で閉塞感が漂う建築メディアに新風を吹き込んだ。2008年1月と2009年1月には、若手建築家を中心としたレクチャーをもとにその場でフリーペーパーを即日発行するメディアプロジェクト「LIVE ROUNDABOUT JOURNAL」を開催し、いずれも大成功を収めている。
メンバーは、藤村龍至(建築家、藤村龍至建築設計事務所)、山崎泰寛(編集者、建築ジャーナル)、伊庭野大輔(日建設計)、松島潤平(隈研吾建築都市設計事務所)、藤井亮介(坂倉建築研究所)、本瀬あゆみ(隈研吾建築都市設計事務所)、刈谷悠三(デザイナー、schtucco)の7人。2009年2月に、『1995年以後 次世代建築家の語る現代の都市と建築』をエクスナレッジより刊行したばかり。
京都工芸繊維大学大学院准教授。千葉大学大学院博士後期課程修了(学術博士)。大学でデザインの社会的プロセスについて研究するかたわら、リボンの素材としての可能性を追求する「リボンプロジェクト」や、限定版のプロダクトを制作・展示する「デロール・コミッションズ」などのディレクションを行っている。毎日更新のデザインニュースサイトdezain.netを主宰しており、デザイン誌などへの寄稿も多い。
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3月7日、8日のイベントは、たくさんのお客さんに足を運んでいただいた。各所でレビューがあがっているように、イベントはそれぞれ本当に盛況でした。観客の皆さんと出演者、スタッフの皆さんに感謝するほかありません。ありがとうございました。時間が経ってなお、感謝の気持ちが体に染み渡っているように思う。とくに京都に戻って以降(『1995年以降』という誤記は、僕も過去のエントリで犯していました…すみませんです…)、松島、伊庭野、刈谷、藤井の各氏とは(本瀬さんとも)、なかなか話す機会も少ないので、もっと言葉を尽くしたいと気持ちを新たにした。
ところで、7日の議論に参加していて考えていたのは「ユーザー」という言い方が持つ魔力で、僕には抽象度が高すぎるように思われた。もちろんこれは1995年をいかに語るのかという問題と同じで、ユーザーという言葉に引きずられることなく、「ユーザーと表現することで何を考えられるのか」と脳内で翻訳する必要がある。 僕は、「使う」という言葉がしっくり入ってこない。端的に言ってあまり好きな言葉ではないのかもしれない。たとえば、「建築を使う」「場所を使う」と言った時、これは日本語として意味が通っていないのではないか、とさえ思ってしまう。「なんでもできる」といった意味で「使う」を用いるとすれば、それはいささか乱暴すぎると思う。例えば、図書館で本を読む人について、「この人は図書館を使っている」とあっさり言ってしまうと、かなり大事な部分を取りこぼすことになるのではないか。図書館ひとつとっても、読む、探す、借りるといった動きの他に、歩く、座る、寝るなどいろいろな動作が積み上がったり、組み変わったりして空間が成り立っているからだ。ただし、それをアクティビティだとか機能主義だとかふるまいだとか言ってまとめてしまうととたんにぼんやりしてしまうので、とりあえずそれを「動詞」と呼んでおこうと思った。動詞は名詞よりも発音や文字に動きを感じられるので、個人的には好きな品詞だ。 7日はdotの3人が立ち位置が定まらず苦労しているように思えたのだが、これは、dotが考えているのが「ユーザー」ではなく、ひとつひとつの動詞だからではないか。極限まで一般化した単語(use)よりも、部分に「動詞」を与えていくことで、そしてその動詞の重なりやズレや置換可能性をひとつひとつ見極めていくことで、dotの建築的実践に踏み込んでいけるのではないかと思う。もちろん、建物の規模の問題はあるだろう。「規模の違い」論に埋没せずに規模問題を相対化する設計の方法を、dot architectsはいつか見せてくれるのではないかと考えた。 yamasaki
8日は「デザインの部屋」。話しながら考えていたのは、dezain.netが、岡田さん自身がデザインした「プロダクトデザイン」であるということだ。岡田さんは「クリックできること」と「リンク先に飛んでいけること」という可能性を最大限に引き延ばし、「たくさんクリックできるサイトをつくった」のだという。それは、特定の工学的条件のもとにものの形を考え抜く、プロダクトデザインのつくり方と同じなのではないか。岡田さんはderollでもribbonでもプロデュースに徹しているので(もちろんそれを広義のデザインと呼ぶことは可能だが)、本人が直接デザインしたと言えるのは、実はdezain.netだけだと思う。ということで、岡田さんはウェブのプロダクトデザインとしてdezain.netをつくり出したのだ、というのが結論。それと、昨年協力させていただいた「日本史」がなぜプロダクトデザインのクオリティでつくられたのかという疑問を、いつか岡田さんにちゃんと聞いてみたい。最近、LED化した信号機のデザインのありように苛立つことしきりなので、プロダクトデザインというものについてもっと考えてみたいのだ。ROUNDABOUTの活動も、プロトタイプではなく、プロダクトデザインの精度を目指すべきだろうと考えた。
以下は、LRAJ2009から一連の出来事を通じての雑感です。まず、あらためて、「議論を開く/閉じる」問題には論じる意味を見出しにくいと思った。また、LRAJやフリペのPDFを要求されたらはっきり拒否しようと決めた。フリペのコピーをする、質問に答える、あるいはどこかでまとめる機会を持つ。僕はまだ、それ以外に公開性を保つ方法が思いつかない。完成までの(してからも)関係者の苦労を思うと、PDFをもって「公開性」を云々する人のことは信じがたくもある。ただし、たとえばLRAJを録画してすべてYouTubeにアップして、それを見知らぬ誰かが文字起こしして、RAJとまったく異なるメディアが生み出されたら、それはかなり面白い。もしテクノロジカルな意味で「開かれる」ことがあるとすれば、そういうことではないか。 他に『1995年以後』についても「相手と藤村氏との間に断絶がある」と書かれたレビューを読んだけど、仮に「言葉が通じない状況」があるとしても、それは当然のことなので、批判の論点にはなりえないと僕は思う。主義主張の賛同者を募るための行動は、議論ではなく説得であり、原理原則への同意を求めるのならば、それは宗教だ。むしろ問いの共有がなされていない状況=断絶が明らかになった時に(けっこう多い)、そこから何を考えていけるのかと思考を進めるのが、まっとうな議論の方法論だと思う。読書の経験も、本来はそういった形式(読み手が、書かれた内容と対話する)で深められるのではないか。だから、当然いろいろな意味で時間がかかる。 そういえば以前、岡田さんにこんなことを言われた。「言葉は通じることの方が奇跡的だ」と。僕もそう思う。だからこそ、議論の場で「ある問いの共有」が到来するように心と言葉を砕くのではないか。こんなこともあった。先月のアーキフォーラムの二次会で西沢立衛さんとお話しして、言葉についてどう考えるのかと質問した折に、西沢さんに「言葉って通じますよね。それって人類最大の発明じゃないですか」と言われた。僕はまさにこの発言こそが岡田さんの発言とまったく同じ平面にあると分かり、感動した。
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『1995年以後』というタイトルについてはいろいろなことを言えるが、読めば誰でも分かるように、誰もが1995年以後「について」語っているわけではない。1995年以後の状況について強烈に認識している一人の(一人じゃないけど)インタビュアーが、執拗に問いかけることに終始している。
僕は、その枠組みと執拗さが、編集的な効果をもたらしていると思う。つまり、ばらばらになりがちな各々の語りと、ただでさえあいまいになりがちな語り言葉そのものが、その執拗さの一点においてぎゅっと集約されているという意味だ。その編集的な効果が「建築家カタログ」となることをきっぱりと拒絶している。 だから万が一、「これは便利なカタログだ」と読まれるとすれば、それは好ましい読み方ではないなと著者の一員として思う。もちろん、そういった読み方を拒否することはできないけど。でも、どうやったらそう読まれないようにつくれたのだろうか、と、やはり考えてしまう。 ついでに言うと、書籍に登場する32(+1)組のインタビュイーは、誰もが同じ話をしているわけではない。読めばわかることだが、決してそうではない。だから、こんなことは言うまでもないけれど、誰もが思想的な共感を根拠に誰もが参加しているはずがないし、それで当然だと思う。むしろ違うからこそ議論に応じていると言っても過言ではないだろう。 さらについでに言うと、著者側の「TEAM」についても、32(+1)組の集まった姿を見ても、「仲が良い」「つるんでいる」と誤解する向きもあるそうだが、それはそう誤解する人の行動原理を反映しているに過ぎないのではないか。みな、ギリギリのところで言葉を紡いでいる。真剣勝負の仕事人同士が「仲良しだから集まる」はずがないと思うのは、僕だけだろうか。 それと、僕自身の心づもりを正直に言ってしまうと、ある特定の年代で社会のすべてが変わったと語ってしまうことには多少の違和感がある。もちろん、1995年はある特権的な、語るに足りる年代だとは思う。でも、社会学を多少でもかじった人間からすると、そうやってある断絶を歴史に対して施すようなやり方は、かなり勇気がいる。1994年や1996年への想像力を忘れないようにしたい。 『1995年以後』が成功しているのは、「あえて特定の年代で語る」というフレームの提示が、話者にとって新しい言葉を引き出すことに成功した点にある。その意味で、僕が「多少の違和感がある」と言えるのも、1995年というフレームがあるからこそ発言できるのであって、その違和感を根拠に何かを提示すればいいだけの話だ。それが、形式というものの、強みだと思う。 ただし、その形式性をもってこの本を世代論だと断ずるのは、やや読みを誤っているのではないかと、やはり著者の一人としては思う。ある年齢の人たちが集まったからといって、それを即世代論だと読み替えたり、あるいはそう読み替えようとする感覚には、どこか間違った部分があると思う。
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竹中工務店『凸と凹と』ワーキンググループ+長谷川直子著『凸と凹と』を読んだ。これは竹中工務店の建物と設計者がたくさん載っている本で、今回、そのレビューを書くお誘いを受けた。実は先月倉方俊輔さんのレビューにうっかり目を通してしまい、レビューはこれ一本でいいのでは……と思ってしまった。何しろ書籍の内容の紹介、位置づけ、読者としての要望など、ひととおり以上の濃さで完璧にレビューされていたからだ。うーん……。影響されやすいので、一通り忘れてから書くことにしよう。
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ということで気を取り直して、感想を書きます。
まず、建物は、やはり、とてもたくさんの人数がかかわって建ち上げられているということ。そして、その大勢の中の誰かが、最後に何かを決めているということがよく分かる本だった。たくさんの社員が、よってたかって担当者の相談相手になっている構図、とでも言えば良いだろうか。
ごく当たり前のことだと言われるかもしれない。しかし、とかく匿名性が高くなる会社組織(それも巨大な組織)において、竹中工務店の「中の人」が実名で、しかも多くは顔写真入りで登場し、発言している。一般書店で売られる本としては、画期的な出来事だ。出版社を子会社に持つ鹿島建設だって、こんなプレゼンブックはつくっていないはずだ。
僕が一番面白く読んだのは、206-207ページの「デザインレビュー ----組織で設計するということ」という記事だ。DR(デザインレビュー)と称される社内のデザイン検討会議を説明したもので、毎週月・火曜日の13時から行われる「関門」の様子が描かれている。
一つの建物にとてもたくさんの人間がかかわることのできる方法。竹中工務店という会社組織がそういった設計の方法を持っていることが、ひしひしと伝わってくる。全体のボリュームにとっては決して多くないこの2ページにこそ、竹中工務店の「なかみ」がしっかり表れていると思った。
会議の機微も感じられる。「大勢の社員が、担当者の相談相手になっている構図」がよくわかるし(否定ではなく、設計に説得力を持たせるための相談)、社内に満たす前向きな空気を表しているように思えた。そういったものを、あるいは社風と呼ぶのかもしれない。とにかく、もっと膨らんだものを読みたいと素直に感じたページだ。
同様の理由で、202-205ページの「現場のおしえ」もとても面白い。「総括」と呼ばれる上司からのアドバイスがどのように設計を変え、あるいは設計者を変えたのかが、建物を通してじわじわと読者に伝わってくる。建築書が、専門家以外に面白がられることがあるとすれば、それは、こういった生々しいプロセスを紹介できたときなのかもしれないと思わされた。
ところで、『凸と凹と』(でことぼこと)と銘打たれたこの本だが、僕は、凸についても凹についても、実は書かれていないような気がした。この本に書いてあるのは、凸と凹を重ねたときに生まれる接着面のありようや、重ね方=ストーリーだからだ(ついでに言うと、凸とか凹とかに分けて考えると、わからなくなるものがあるな、とも思った)。
あえて言うと、各々の建物がつくられる過程をストーリーだてた文章については、もちろん面白く読めはしたものの、反面、物足りなさも残った。
たぶんそれは、竹中工務店以外の人間が不在だったからだと思う。ともすれば社員同士が思い出話に花を咲かせているようにも読めた瞬間に(もちろんそうじゃないですが)、読者である僕は、どこか疎外感……というか、参加できないな、と感じてしまったことを告白しておきたい。一言で言えば、「俺、竹中の社員じゃないなー」と思わされたということだ(当たり前だけど)。そして、設計者じゃないんだな、とも思ったのだ。あるいは単に僕のコンプレックス(単にうらやましいだけ)なのかもしれないけど。
クライアントを引っ張りだすのは難しかったのかもしれないが(最後の手紙は泣けました)、社外の人が多少でも話し相手に選ばれていたら、と思う。あるいは、個々のストーリーがつやつやの成功潭で、きれいすぎて見えたからなのかもしれない。
その意味でも、施主・設計・施行のすべてを担った(施主を兼ねられるのがすごい)東京本店のプロセス(たとえばDR)を、もっと知りたくなった。平松さんの「光の教会」や「東京都庁舎」でもいいのだが、「竹中工務店東京本店」だからこそ伝えることができる建築の面白さだってあるだろうし、それは新鮮な印象を伴って受け入れられるように思ったのだ。
最後に、レビューの機会をあたえていただいた長谷川直子さんに感謝いたします。ありがとうございました。
4月3日
RAD Lab.にて、たかぎみ江レクチャーを聞く。到着時には会も半ばで、ケンチクナイトの説明がされていた。ひたすら懐かしいのだが、当時の出演者が皆ちゃんと第一線で活躍している現状にあらためて驚く。松川さんや田中さん、藤村くんらが議論を始めるきっかけでもあった(ちなみに、このサイトができた大きなきっかけでもある)。出演者の力は言うまでもないが、ぽむ企画の人選の確かさもすごかった。み江さんが、お土産にパンフレットを持参していた。お宝すぎ。
レクチャーが終わってうだうだしていると、岡田さんが中山英之さんを伴ってご来場。中山さんに六花亭コンペのスライドを見せていただく。過不足なく、かっこいい。飲んでいたら、中山さんに、ROUNDABOUTを早口で発音するとRUN ABOUTになって、それは「駆け回る」という意味であることを教えてもらう。回転広場の周りを駆け回る、というダブルミーニングを示唆されてちょっと面白かった。
4月7日 4月25日 5月3日-5日 yamasaki
京都建築スクールという、間-大学的な合同スタジオにかかわっている。田路貴弘(京都大学)、八木康夫(立命館大学)、阪田弘一(京都工芸繊維大学)、松岡聡(京都造形芸術大学)、魚谷繁礼(京都建築専門学校)の各氏が、スタジオ受講者を募って一つの課題に当たるもの。その課題は、「デザインのルール/ルールのデザイン」と名付けられている。建物の形や内容を決定してしまうルールの存在に自覚的になって、ルールを積極的に設計に組み込んでいこうとするものだ。
この日は、その課題発表会が大学コンソーシアムで開かれた。簡単に言うと、都市計画的に設定されるデザインのルールを各スタジオが「発見」し、「新たなルールをつくり出し」、それを別のスタジオにまわして=自分たちは別のスタジオからルールを受け取って「建物を設計する」というもの。半期のスタジオで、最後には公開講評会と展覧会、ドキュメントの作成を行う。また、3年度の間このテーマを継続するが、トピックは毎年変わる。今年のトピックは「境界線のルール」だ。今のところ、来年はプログラムで、再来年は環境をテーマにすることになりそう。
京都で都市のリサーチをするとすぐに「かいわい性」や「伝統」「景観」といったとらえどころのないキーワードが頻出するわけだが、今回は京都をグリッド都市として捉え直して、タイトな思考実験が展開されることになりそうだ。自分たちがつくったルールではなく、他人がつくるルールで最終的な形をつくるところが面白い。次回は5月19日の中間発表会。
アーキフォーラム。谷尻誠さんの講演だが最後の1時間だけしか聞けなかった。いつお会いしてもほんとに前向きだ。「ほんの少しだけ先の未来を提案する」、「できないことも、設計上のリスクも、全部説明する」など、谷尻節は「それで、お客さんが喜んでくれるんです」と締められる。とにかく喜ばれてなんぼ、という客商売の王道をいく哲学を持っている方なので(そういえば、常に「お客さん」と表現していたような気がする)、「さみしがりやなんです」と会場を笑わせていたのは、案外本心なんじゃないかと思う。
谷尻さんは「建物ではなく、考え方を設計している。だから毎回新しいものができる」と言う。そこで彼が言う「新しさ」は、「誰も見たことがない」という意味での新しさではなくて、フレッシュな、とか、みずみずしい、といった「新鮮さ」を表しているように感じた。アイデアの引き金がいつも「建築の外」にあるそうなのだが、それもまた、新鮮さの担保となっているのだろうと思う。
あと、「流れ星が流れたときにいつでも願えるように準備しておく」そうで、それって東工大的スタンバイ主義の文学風表現だなと思った。谷尻さん風に言えば、流れ星になるのか。そういえば、締め切りを大幅に超過して、苦しみ抜いて書いた西沢立衛さんの回のレビューが、アーキフォーラムの公式サイトhttp://www.archiforum.jpにupされています。僕の文章はともかく、このレビュー制度はほんとに良いなあ…。去年思いつけなかったのが腹立たしい。
さらに、この日は早めに打ち上げを辞して京都に戻り、21時からデザイナーの藤脇慎吾さんらと顔合せ。
連休なので家族で東京に遊びにいく。主な目的は、世田谷村の訪問、池田亮司展の観覧、「ヴィデオを待ちながら」の観覧、弟が新築した住宅を見に行って、そこで父親の還暦をお祝いすること。あとはのんびりすること。
3日は9時半頃の新幹線で東京へ。車内はひととおり混んでいる。とても天気がいいので、東京駅の地下で各々お弁当を買って、都現美行きのバスを待ちながらOAZOの足下で食べる。都現美は駅から遠いのが難点だが、東京駅からだと30分ほど都バスに乗ればいいので気楽なのだ。ベンチから、解体中の東京中央郵便局が見える。終わってるなー、と思う。看板建築的なハリボテ保存のどうしようもなさは、ほんとにいたたまれない。建築史的な価値がどれだけ主張されたとしても、建築業界の外にはほとんど届いていかない現状。建築が文化として尊重されにくいそもそもの風潮。リノベーションやコンバージョンの知恵が生かされることなくして、現代における建築保存はあり得ないと改めて思う。ユニバーサルな建築はとことんリノベーション/コンバージョン向きなんだから、どうにかできないものだろうか。
で、池田亮司展だが、これはほんとにすばらしかった。会場を一つの空間としてつくり直してしまったかのような、圧倒的な想像力。二次元の表現は空間的に発現できる、という事実を目の当たりにして感動する。作品がある速度を生み、その速度を丸ごと前進で経験することができる。早さと遅さを同時に体験できる希有な機会だった。音楽と映像の関係もとても気持ちがいい。作品の配列も見事。京都metroでのライブに行けなかったことを心底悔やむ。息子は常設展の入り口にあったジャイアント・トらやんにかぶりつき。会場で偶然南後さんに出会う。森美術館も良いらしい。
3日は神楽坂にある、朝食がやたらうまいホテルで一泊。近所にある帽子屋さんに挨拶。夜は近所に見つけたイタリアン。隣のピッツェリアがおいしそうだったので、次に来たら行ってみよう。
4日は石山修武さんに無理を言って、午前中に世田谷村を見学させていただく。昨年3月にインタビューして以来、図々しくお願いごとを重ねている。駅までお迎えにきていただき恐縮する。烏山団地のほど近くに、こつ然と、「家らしき」が現れる。あ、これ建築だな、と、見た瞬間にわかる。ただし、外観は奇抜なはずなのに、家そのものがとてもよく周囲になじんでいる。まず、石山さんが近所の菜園や敷地内の畑、建物の階段室などを案内してくださる。世田谷村に住みたいとは思わないけど、世田谷村を生み出した自由な精神とともにいたい。なぜ「村」と名付けられたんだろうと考える。かつて村というものは、きっと、濃厚な血縁関係が錯綜する社会的空間だったに違いない。世田谷村には、そういった近代以前の社会的関係の濃厚さが、現れ出ているように思った。だから村と名付けられているのではないか。結局ご近所でお昼をごちそうになり、13時半にお別れする。烏山団地をはじめ、世田谷区はセコムがディベロップしているらしいのだが、たしかに、駅前で配られていたポケットティッシュは、セコムが開発したマンションの広告だった。
その後船橋に弟が建てた家を見に行き、夜は父親の還暦を祝う。大きな窓と高い天井を持つ気持ちのいい家だった。出身地でもない土地で、敷地から探して新しく家をつくるというのは、どういう心境なのだろう。建築家も自分で見つけていた。自分の弟ながらほんとに感心してしまう。
5日は朝食後、高根台団地に向かう。昨秋、会社の仕事で津端修一さんにインタビューをして衝撃を受けたので、なんとか彼が手がけた団地を見たいという願いを、偶然にも今回かなえることができた。他の公団建築と同様に、高根台団地も建て替えが進んでいる。低層が街区的に配置された部分は、すでに更地化されて新しい建物が建つのを待っている。囲いから内側をのぞくと、ちょっとした野生の花畑になっている。道路を挟んで残る小さな団地群を見ることができた。間に合ってよかった。津端さんによると、公団は1960年に、組織の大規模化と建物の高層化を決めたらしい(その方針に反発して津端さんは公団を辞めてしまう)。全然メンテナンスされてない外観の団地を見ていると、ものがなしい。
高根台の駅から竹橋に移動して、「ヴィデオを待ちながら」を見る。西澤徹夫さんがまたいい展示空間をつくっている。映像アートは、ちゃんとオチがついた作品が好きなんだなと自己認識。有楽町で中華を食べて、16時の新幹線で京都に戻った。皇居端をタクシーで移動したが、東京海上ビルの美しさは際立っていた。
5月16日、藤崎圭一郎さんと岡田栄造さんのトークショーを見に東京に行った。直前まで悩んだけど、しかし、藤崎さんのブログにただしく当てられてしまったからには、聞き逃す訳にはいかない。
当日の様子はすでに多くの参加者がブログにupしているし、先日も加藤孝司さんが的確なレビュー(告白)を掲載されていた。この日の議論は日を改めて継続されるとも聞いている。僕自身もこの日のことは、京都に戻ってから何度も書き直している。でもどうもすんなり書けない。うまく消化できていないし、たぶんまだ僕自身が語るべき言葉を持っていないのだなきっと。
トークで印象に残ったのは、まず藤崎さんの編集者としての自覚と自信だ。たとえば、藤崎さんは批評(ジャーナリズム)の役割について、こう語っていた。「見方ノノというと視覚だけになっちゃうからそうは言いません。見方ではなく、感じ方そのものを変えること、変えることができると示すことが批評の役割ではないか」と。見方と感じ方。同じようでいて全然違うこの二つの言葉を即座に言い換えて、観客の認識を180度変えてしまう。これは極めて編集者的な集中力を伴う判断だと思う。 ところで、この日のお二人の発言に見出しを付けるならば、「批評で世界を変える」となるだろうか? それは、ある意味でこの日の対話を象徴しているし、あるいはまったく言い当てていないとも言える。 yamasaki
それと、これは「やはり」というべきなのだけど、藤崎さんは「書くことはデザインじゃない」という趣旨の発言をされていた。何かをデザインするつもりで書いているのか、という質問に対しての返答だ。「そう言いたいのならば言えばいいけど、書くことは書くこと。デザインではない」。「ばっさり」と質問が切り落とされた音が聞こえた。原理主義的に聞こえるがたしかにそれはそうだ。ただ、シンプルすぎて実行するのが難しいだけだ。
こう思った。批評的な行為に何か好ましい特徴を見出だすとすれば、それは、あるデザインについて個人の持つ感情・理解に言語で肉薄することを、執筆者が「覚悟できてしまう点」にあるのではないか。覚悟から踏み切りまでの助走距離の長短は人それぞれだろうが、「よし、いっちょ書くぞ/言うぞ」と積極的に思い切ることができること。しかも、誰も読んだことのない文章を生むという結果があり得るとすれば、これは挑戦的な仕事だ。
今回、メディアに関連して確認しておきたいのは、藤崎さんの口から、批評(テキスト)を掲載するメディアなら、それもインディペンデントなスモールメディアならば世界を変えられるかもしれないという主旨の発言があったことだ。もちろん日記でも書かれている。
テキスト(批評)は、たとえばウェブを介せば今や誰でも(僕でも)発信できる。それはそれでいいだろう。しかし、「発信欲」が欲求不満を起こしてショートする可能性は、ネット系メディアが過渡期を迎えたかに見える現在、かえって高まっているのではないかとも思う。
メディアを媒介することで初めて、批評は「言葉が届く相手」を獲得する。正確に言うと、獲得する可能性を持つ。そんなことは当たり前だと、あるいは思われるだろう(僕も思う)。しかし、何かを媒介とすることがなぜ価値を持ちうるのかを同時に考え続けることなくして、その「価値」そのものをメンテナンスしたり、更新したりなどできない。メディアが世界を変えるとしても、その変えるべき世界のありようを考えることなくして、また、そこでメディアの存在が働きかける効果のようなもの(それを仮に「メディア的ふるまい」と呼んでみる)を考えること浮ことなくして、メディアを発生させることなどありえないのではないか。
だから、今藤崎さんがスモールメディアを持つこと(あるいはそうであること)の意味を執拗に問うていることそのものを、読者でもある僕は真剣に考えたい。かかわる物事すべてが持ちうる「メディア的ふるまい」の内実を考えながら。
5月の連休でお会いした絶版書房の石山修武さんは、今年中に発行するどこかの号で達成したい「ある部数」を口にしていた。内容(100%石山)と形式(直筆ドローイングの描き込み)の新しさを踏み越えて、いよいよ部数面で事件を起こすつもりらしい。確信犯的にその部数を突破することが当初からの目的の一つだったのだろう。もちろん絶版書房が出版社として独立するというわけではないが、「ある許容範囲」からはみ出す部数である。既存の専門書系出版社は、いよいよあわてるのではないだろうか。
さて、ひとつ前のエントリの続きだが、16日の議論を起点として、編集者(あるいはその役割を担う人)とジャーナリストはやはり違う役割だと再確認できた。同一人物が両者を兼ねるケースは山ほどあるが、おおざっぱに仕事を分ければ、編集者はメディアをつくり、ジャーナリストは参加する。メディアを媒介に、両者と、取材対象が共存して、読者のいる「世界」に到達する。編集者とジャーナリストが協同しなければ、批評的なメディアは成立しない。うん、当たり前すぎて叱られかねないほど自明の事実だ。 忘れないうちに立ち戻って考えたいのが、すでに重要な位置を占めている、存在感のあるメディア(この場合はジャンルではなくて固有名としての)の将来像である。以前岡田さんとお話した時に、「今ある雑誌の機能の大部分は、ウェブに移行しても何ら問題ないと思う」と断言されたことがあった。同時期に、別のよく知る編集者からは「『新建築』はそのままウェブになっても問題なく運営できるのではないか」と言われて驚いた。確かに、完璧な写真アーカイブ運営のシステムを構築して、広告収入を確保しつつ、新規の建物をウェブで紹介する時代が来たっておかしくない(ないだろうけど)。ある意味、「1次情報だけが残るのではないか」と建築雑誌で書いた平塚桂さんの論考にも重なる。しかし印刷物というプロダクトが持つ物質的な特徴と、日本という社会的の特殊性を考えれば、新建築が紙じゃなくなるなどということは、単に荒唐無稽な話なのだけれど。 デザインされていないメディアはたしかに少なくない。しかし、形式面でいくら発明のあるメディアであっても、即編集的に優れたものだとは限らない。このあたりは、「『細い柱を表現する』とか、建築家にとって大事でも、建築にとってはどうでもよいことである」と断言する藤村くんの態度に、あるいは似ているかもしれない。言うまでもなく、柱を細くすることよりも、細くした柱で何をするのかが大事なのだ。 yamasaki
その上で、編集行為はどこかデザイン的であるとも思う。しかし、それは表現面での新しさを指すものではない。たとえば、日本語という言語の構造と、印刷、製本という制作条件を極限まで磨き上げた文庫本という形式がある。文庫本に特徴的な形式を遵守する中で(あるいは遵守することで)、文章の順序や表現がデザインされたものだってあるはずだ。それにしても、藤崎さんが「書くことはデザイン行為ではない(デザインとは呼べない)」と語ったことは印象深く、忘れがたい。
もちろん、藤崎さんが言うように、雑誌媒体には「雑誌ならではの快楽」がある。触った感じ、持った感じ、読む感じ。好きなところで折ったりめくったり破ったり、それをどこかにスクラップして自分流に編集しなおしたり。同じ紙媒体であっても、書籍の硬質な物質感とは異なる。そういったプロダクトとしての雑誌デザインの可能性を突き詰めて、ぐっと押し広げるような仕事が今後もあっていいはずだ。「日本史」展がプロダクトデザインの領域を思い切り拡張したように。「クリック」の快感と「リンク」の脈絡のなさという、ウェブのプロダクト的特徴と、「やりたいこと」を最大限にマッチさせたdezain.netのように。
ついでながら、雑誌はメディアだが、メディアだからといって雑誌を指すわけではない。言うまでもなく、書籍もウェブも(イベントもフリーペーパーも)メディアだ。
つまり、形式の新しさは編集者にとっては重要だが、印刷物にとって意味ある新しさかどうかは分からない。むしろ、過去のものも含めて、発明した形式をどのように活用するかが、編集者のセンスの見せ所なのだろう。建築家が壁の建て方から逃れることができないように。これはおそらく、20世紀の編集者がとってきた態度と変わらないのかもしれない。違うのは、さらに新しいものをつくろうとしているかどうか。それだけだと思う。